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音楽と記憶と感情

久しぶりにCDを買いました。
何年振りだろう?

音楽を聴くこと自体少なくなってた上、何事もiPhoneに集約してしまい、CDを聴くこともなく過ごしていましたが、久しぶりに買ったCDは、ザ・クロマニヨンズ「MUD SHAKES」

クロマニヨンズさんは、音楽配信がないのです。

そういえば、中学生の頃に初めて買ったCDはブルーハーツさんでした!
好みが変わっていないのか?

音楽に詳しいわけでもなく、素晴らしいのか素晴らしくないのかなんて分からないけれど、30年前も今も変わらず、私の気分を上げてくれる音楽で、私は好きなのです!

そんな好きな音楽を「頭悪そう」と言われた時には、少なからず傷ついたし、「なんかいいよね」と言ってくれた人には親近感を覚えてうれしくなったものです。

そんな同じ音楽を好む友に、「きっとこれも好きだと思うよ」と別のアーティストをお勧めできるほどに心理的安心感を抱くことができていたことは、幸せな記憶です。

その友は、音楽の好みが一部似ていたという「似ているカケラ」はほんの少しで、違う部分の方がうんと多かったけれど、大事な大事な友でした。
ほんの数年、となりで働いていただけ、それでもなんだか気が合うような「似ているカケラ」を心に持っていると感じられたのです。

いつしか、年賀状のやり取りだけになってしまっても、いつでも会えると思っていたのに、ある日突然「亡くなった」との知らせが入ったのです。私は、すでに別の会社で働いていて、忙しくも楽しく暮らしていました。

正直、私の生活は1ミリも変わらなかったのだけど、折に触れて思い出し、悲しいのか、悔しいのか、なんだか分からない気持ちになるのです。

あの時、なんで私は「久しぶりに集まろうよー」って、思っただけで声をかけなかったんだろう?

なんで自ら命を絶ってしまったんだろう?

どうして、今、この世界にあなたはいないのだろう?

なにが現実なのだろう?

私たちが好きな音楽を平気でけなす
そんな人たちに最適化された組織にいたわたしたち。

私だけサッサと抜け出して、なんだかんだ気楽に生きていて、自分のことで精いっぱいで、忙しさを言い訳にしていた罪悪感。

それは違う。そのことも分かる。

それでも、どうして?が消えることはないのです。

時に怒り。なんで死んでるの?
時に悲しみ。どうしていないの?

取り残された人生の課題。

新しく買ったCDは、今の私に力をくれる。
だけど、亡くなった友は、この音楽を聴くことはない。

久しぶりに引っ張り出したウォークマンで、ブルーハーツも聴いたよ。

音楽は今も変わらず、私の気分を上げてくれるけど、なぜか涙が出てきたり、この気持ちに名前は付けられなくても、音楽と思い出と感情がリンクして、忘れないよ。何を?分からないけど、抱え続ける思いがある。

こんなご時世だけど、来月のライブに行きたいと思った。行きたいから行く。
私は生きてる。



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