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思い出ぽろぽろ

心の箱のふたが、ぱかっと開いているようです。
最近、何の脈絡もなく、昔の記憶がぽつぽつと浮かんできます。
「出来事」を事細かに思い出すのではなく、「感情」と共にある「場面」「瞬間」がフラッシュバックする感じです。

そして、少し切なくなって、胸がシクシク痛みます。
そんなセンチメンタルな今日この頃なのです。

子どもの頃、言われた言葉。
その時は、傷ついていなかった(と思う)はずなのに、今さら思い出して、「あ~、嫌だったんだ」「悲しかったんだ」と気づいてしまったのです。
それを人に話せるようになるまでに、20年以上かかって、思い出して、話せるようになった後、「もう大丈夫」だと思っていました。
それなのに、今になって、また思い出して、話をして涙が出るのです。我ながら、しつこいな、根に持つタイプだなと思うのですが、やっぱり嫌だったんだよなーと、その感情と共にいます。

このような感情のことを「未完了の感情」と言います。

その時は、「感じてはいけない」ものとして、「ないこと」にして蓋をしてしまった感情です。
「ないこと」にした感情は、そのまま消えることはありません。蓋をされて、発酵し熟成し、美味しくなれば良いけれど、腐って毒を発生するのです。怖いですよね。

では、この毒をどうしたらよいのでしょうか。

感情は、身体に湧いてくるエネルギー、雲のようなものです。
感情は、きちんと感じたら去っていきます。
だから、蓋をして見ないようにするのではなく、蓋を開け、光を当てることが必要です。嫌な感情、怖い感情でも、それは「ある」し、「あってもいい」のです。
しっかり感じて消化させましょう。

なんて偉そうに書いておきながら、私はまだ泣いているじゃないかって話ですよね。

そうなんです。だって、すごーく嫌だったから、まだ子どもだったから、本当につらくて悲しかったのです。まだまだ、その時の、子どもの私のために涙を流せるほどに、つらいことだったのです。

「今」起きていることではないと、理解した上で泣いています。悲しいけれど、感情に飲み込まれているという感じではないのです。

そして今回、この「感情」が改めて浮上してきた時、それを聞いてくれた人たちがいました。多分、「その場」があったから、安心して思い出して、話が出来たのだと思います。
私の話を聞いてくれて、「それはひどいね」と言ってくれました。自分ではひどいことだと思っていないのだけれど、そうやって憤ってくれる、寄り添おうとしてくれることは温かく心強かったです。
また、「許さなくていい」「根に持ってもいい」とも言ってもらえました。

そうか、「なかったこと」にしなくてもいいのだから、本当に嫌だったことなのだから、それでいいのだなと納得しました。

しっかり感じ切って、「さようなら」と終わらせられればクールです。
でも、無理になかったことにするのでは、本末転倒です。

まだすっきり癒されてないのか~と、ちょっとうんざりしながらも、付き合っていくしかないみたいです。
そこに自覚的でいるうちは、その感情に飲み込まれてしまうことはありません。安心して感じていればいいのです。いいのかな?

日常生活を送る中で、どっぷり感情に浸ってばかりもいられませんが、そんな時間を持てるのは、贅沢で豊かなことかもしれません。
もう少し、秋の夜長(もう冬かな)をセンチメンタルに過ごします。

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