苦しみを引き受ける権利
毎日本を読んだり聴いたりしている。
苦もなく続けられる習慣、執着。趣味。
たまには本の感想を書いておく。
昨日の夕飯にたらふくカレーを食べた。
その勢いで「カレーの時間」を読みはじめ、本日読了。
ものすごくアクの強い、クセのある、嫌なやつ、そんなおじいちゃん。
孫からフルネームで呼ばれちゃうおじいちゃん。
不器用で、でも、ひたむきで必死に生きてきたおじいちゃん。
人にはそれぞれ想いがあって、生きてきた過程とか時代とか環境とか、出会った人とかタイミングとか、いろんな要素が絡み合って「今」がある。
「今」ここでの発言、行動だけを切り取って判断するのは早急だけど、人との接点において「今」は重要だ。
そして、こちら側にいろんな要素があるように、あちら側にも同じようにいろんな要素や背景がてんこ盛りなのだ。
こちらの想いをあちらがどう受け取るのか。それはコントロールできない。
相手を思いやる気持ちはもちろん尊いけれど、たとえ「苦しむ」「悲しむ」ことを取り除くための「善意」だとしても、相手の判断の余地、経験を奪うべきではない。
「良い思い」であっても、それを「良いもの」と受け取らなくてはならないなんて義理はない。
ふと、昔、精神保健福祉の授業で聞いた言葉を思い出した。
「リスクを負う尊厳」
「リスクを冒す人間の尊厳」
安全・安心は大事なことだけど、人は、守られるだけの弱い存在ではない。
この冒頭に出てくる主人公の世界観がリアルだなと感じた。
広げなくても世界との接点があって、影響を受けたり与えたりすることになる。
自分と「違う」こと開いていくことは言うほど容易いことではない。
しかし、頑なに閉じたままで完結することも難しい。
そんな塩梅の中で揺らぎ、ぶつかり、生きていく。
生きていくってなかなか複雑だ。楽しいも苦しいも、白も黒も、どっちもある。いろいろある。なんだってあり。
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