映画『Summer of 85』……痛みと優しさと
フランソワ・オゾン監督の映画『Summer of 85』をオンライン試写しました。
フランソワ・オゾン監督(1967年生まれ)の長編19作目。原作は英国人作家エイダン・チェンバーズの青春小説『Dance on My Grave(おれの墓で踊れ)』(1982年)。16歳のアレックス(フェリックス・ルフェーヴル)が18歳のダヴィド(バンジャマン・ヴォワザン)と出会って恋に落ち、永遠の別れを迎えるまでの6週間を描いた作品です。
物語の舞台は、1985年夏、フランス北部のノルマンディの港町ル・トレポール。1人で海に出たアレックスは、突然の悪天候に見舞われ、乗っていたヨットが転覆します。通りかかったにダヴィドに助けられ、2人は惹かれあうようになります。
フィルムで撮影された本作は、携帯電話もインターネットもなかった80年代の雰囲気を映し出し、恋愛のみずみずしさと残酷さを描いています。ビターエンディングとともに、児童文学の“やさしさ”が印象に残りました。
①恋愛における格差
本作を見ながら、アブデラティフ・ケシシュ監督の『アデル、ブルーは熱い色』(2013年)を思い出しました。高校生のアデル(アデル・エグザルコプロス)は、道ですれ違ったブルーの髪の女性に、一瞬で心を奪われます。彼女画家を志す美学生のエマ。恋に落ちた2人の幸せな日々、そして別れを描いた作品です。
どちらの作品も主役は同性愛カップルですが、運命的な出会いの相手が同性だったというだけで、恋の喜びと突然の別れの痛みをうたいあげています。
ティーンエイジャーの恋は、自宅で濃密な関係が進行します。住まい、両親などを通して、2人の格差が浮き彫りになります。
アレクシスよりもダヴィッドの方が、アデルよりもエマの方が裕福ですが、その格差は、『アデル、ブルーは熱い色』の方が大きいです。格差は、経済的な豊かさだけでなく、文化資本とも密接に繋がっています。
②文才を生かせるかどうか
アレックスとアデルには文才があり、ダヴィッドもエマも、その文才を生かしてほしいと思っているようです。しかし、ダヴィッドもエマも、具体的なアドバイスやフォローはしません。
『Summer of 85』では、アレックスの進路指導を行うルフェーヴル先生(メルヴィル・プポー)が、アレックスに書くように促します。書くと決めたアレックスは、タイプライターを取り出し、一気に書いていきます。
ルフェーヴル先生のように、アレックスに寄り添う人物が登場するところが、児童文学のやさしさなのかもしれません。
③ギリギリになると書ける
一方、『アデル、ブルーは熱い色』では、アデルは書き始めることのないまま、物語が進行します。周囲のサポートを受けられなかったことも一因ですが、締め切りの有無も、書くことの動機付けになるのではないかと感じました。
アレックスには、裁判までにというタイムリミットがありましたが、アデルには、いつまでに書かなければならないという具体的な締め切りはなく、日常が続いていきます。
ギリギリになると書ける……というのは、仕事などで文章を書く人の多くが経験しているのではないでしょうか。
このような気づきがあったのは、千葉雅也さん他の『ライティングの哲学 書けない悩みのための執筆論』を読んでいたからかもしれません。
千葉雅也さんはご自身で原稿を書くだけでなく、教授として学生たちに論文指導もなさっています。書き慣れた人にとっても、書くのは簡単ではないわけですから、書き慣れていない人に書かせるというのは、容易なことではないですよね。
④ライティングの今昔
『ライティングの哲学』によると、
短い原稿は、Ulyssesで一気に書く。
本は、WorkFlowyで構造を作り、Scrivenerでプロジェクトを立てて、パーツごとに書く。
というように、原稿のタイプに合わせて、アプリを活用する方法も紹介されています。
こうすると、理路整然とした文章を書きやすくなりますが、タイプライターで原稿を書いていた時代のような、ライブ感や冗長さは失われているのかもしれません。
話が横道に外れてしまったので、映画の話に戻しましょう。
恋は喜びだけでなく、痛みをもたらすこともありますが、自分の世界を広げる大きな原動力となりえます。成長の糧となるかどうかは、その人次第ですが、周囲の助けを借りることも大切なのだと気づかせてくれる……そんなやさしさが感じられる作品でした。
映画『Summer of 85』
https://summer85.jp
8月20日(金)公開
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