11月に入ってからというもの 私の霊視鑑定師という仕事にも転機がやってきている。 何がどうというのをお話するのはかなり難しいのだが 一言で言ってしまえば 「現状維持が出来なくなった」 である。 これは良くも悪くも文字通りの意味で このまま平行線でいるわけにはいかなくなった ということ。 なので、この11月を含め12月いっぱいは 一旦霊視鑑定をお休みするという決断に至った。 そしてそれはこの昨今を生き抜いていらっしゃる皆さんにとっても チンプンカンプンな話ではないはず…
気が付くと怒涛の日々で 2022年も寒くなってきた 日々どうやって仕事を片付けようか どうやって限られた時間をこなしていこうか そんな事で頭を抱える感覚 嫌いじゃない 先日テレビ番組のディレクターの方と お話する機会があって スピリチュアルな事や 今後の世界どーなる? 的なことをお話したのだけれど 私の中に芽生えたのが その話とは全然違う方面の事だった サラリーマンの美学 私はそこまで長い時間を生きてる訳では無いし サラリーマンをやっていた年数なんて たかがしれてる
とにかく。 今年の正月は 体内にアルコールを 今年の分を全部 取り込んだんじゃないかと思うそれだった。 私は不思議と 酔っ払いになっても あまり思考能力が変わらない体質だ。 ただ、アルコールを取り入れると 普段言えない様な事も サラリと口から放つことができる。 哲学も 感情も 人生も 感覚も 歌だって上手に歌えてしまう。 そしてやはりそれを 辞められない 私たちは 赤裸々に語る事を 求めているんだと思う。 それは愚痴とか 悪口とかそういった類のモノではなく 普段か
私は霊視鑑定師をやっています。 だから何ってことは無いのですが 少し愚痴をこぼさせて欲しい。 この仕事に対してではなく 普通の人間としてです。 私はそう。 普通の人間です。 だから普通にしていて欲しいのです。 私に勘ぐらせようと回りくどい言い方をしたり 近況を話してどう思うか聞いたり そう。変に勘ぐらないで欲しい。 私は霊視鑑定師という職業柄 様々な方々の悩みや 不思議な現象の解明や 人生の目的地なんかを探したり そんなことのお手伝いを 自分がもっている技術やスキルを
私は元来とても 予定を立てるのが下手くそだ。 そして焦る。 一週間の予定を うまくスケジュール帳に書ければ モーゼ並の奇跡 3日後までの予定を把握してれば ダイエット成功ばり奇跡 2日後の予定を覚えていれば 現実が光り輝く奇跡 なんなら明日の予定が解らない が正常なぐらい そして、これを何とかかんとか 努力でやり切ろうと 何冊も使いやすい手帳を買ったり 毎日持ち歩いたり 予定管理のアプリを入れたりしたけど どれも長続きしなかった。 営業マンだった頃は これでかな
当たり障りないことを言うと 自分に正直に話しているのかどうか曖昧になる。 当たり障りないことを言うと そこに共感する人は少ない。 それは誰しもが持っている感覚であり 呼吸するのと同じように体から 流出していくからである。 そんな自分からも出るものを 出してる人を見ても 特に何とも思わないのだ。 逆に誰にも共感されないようなことを言うと そこに共感してくれる人が出てくる と言う矛盾が生じる。 つまりは 当たり障りない方が 実は障ってる可能性が高いということ。 実は私
スピリチュアルと聞いて どんなイメージを持つだろうか? なんだか宗教めいていたり 難しい哲学を並べたり 見えない世界に心酔している そんなイメージを持っている方も 少なくないかもしれない。 私は今、霊視鑑定という名の 超絶スピリチュアルな事を仕事にしております。 そしてよく言われるのが そんなの噂が好きな主婦がやってる 占いみたいなもんでしょw という意見。ごもっとも。 かく言う私も、そもそもは 金融系のセールスマンや N〇Kの受〇料の契約を取りに行く営業マンだっ
こんにちわ。Hanacoです。 今回の記事は、私がライトワーカーになるまでの遍歴を 一挙にお話できればと思い立ったので ここに記させて頂きます。 事の発端は2016年に経験した 臨死体験だったと今更ながら思っています。 臨死体験の体験記はまた追々お話するとして トラックの荷台で作業中に事故に合い 頭から地面に落ちた瞬間からこの物語りが 始まっているのだと思います。 27歳だった私は 宇宙へ意識だけになって飛び出し 沢山の星々の間を抜け 意識が存在する世界の心理を垣間見た
誰のことも気にせず 時間も気にせず 好きな音楽を聞きながら 大切な思い出や 未だに謎な感情を テキストにできる 土曜日の朝。 こんな時はつい 神様ありがとう って言いたくなる 私は無宗教だけど
この季節になると 必ず思い出す。 でも、別の思い出にすり替えて 見ないようにしてきた。 不意に涙が出そうになる。 そんな青春と呼ぶには あまりに曖昧な日々。 桜の散る頃、上着を1枚脱ぐ頃 大学の喫煙所。新校舎の匂い。 新入生歓迎会のチラシの山。 あの18歳の私から かなりの年月が経って その時をはっきりと 思い出さないようにしてたのは 「寂しい」がそこに蓋をして 中々開けられなかったから。 そうして沖縄のオレンジ色の風に当たって 季節を忘れようとしてたんだけど 特に、春と
はい。 私は心底根暗な人間でして それももぉ底なし沼の如く 真っ暗闇に思考を泳がせるのが とてつもなく好きなんです。 いや、好きと言うよりは どちらかというと そうしている時に やっと自分のことを 自分の輪郭を維持できるというか 誰にも交わらせない 自分だけの自分という意識を保てるというか。 はい。まさにその様な感じです。 私はスピリチュアルリーディングを たまに仕事としてやったりしますが その時と似ている感覚で 今、この文字を携帯の画面に せっせと打ち込んでいる私は
この感覚をどうやって文字に起こしていいのか そんな事を考えながら今 言葉を紡いでる次第なんですが 今私がいる世界が 沢山ある世界線の丁度ギリギリ 踏み込めない様になっている部分に 少しの切れ目を発見して覗いている そんな感覚なのです。 例えばあの時好きな男子に告白した私と その思いをずっと秘めてて 30歳を過ぎて淡い恋だったな、と 可愛い10代の自分を思い出す私が 同じ私なのに違う世界を生きている様な。 そりゃもちろん 当時告白していたとしても していなかったとしても
失恋とは違う 刹那ではなく切なさと儚さが混じった 締め付けられるほどでないけども ふと心の奥底の宇宙まで 見透かしているような感覚に なる時がある 私はこれを “自分が人間として感動している時” と、位置づけいてるんだけども。 こんな感覚になる時は 心の栄養が行き届いていて バランスが良い状態なんだって思う。 たまに私の心は 無双モードになり どんな攻撃や外部からの刺激も 受け付けない状態になったり 逆に内部から押し寄せる洪水みたいな 怒りや悲しみにや悔しさに 飲み込ま
みなさん あけましておめでとうございます。 だいぶ遅くなりましたが 今年もよろしくお願いします。 年末から更新が止まってました。 ちょっとだけ言い訳するとね。 年末年始が嫌いって言ってたけど そんなこと気にしないで生きてても やっぱりバタバタと 足と手と身体を動かさないとダメな時は 真面目に向き合わないといけないものですね。 そんなことはさておき。 今年もコツコツ更新したい。 タイトルにある 「今年はねぇ。」という人について書く。 いつも決まって 私の周りの「今年はね
「きっと」という言葉に 私は心底心酔しているし 凄くミステリアスで 容易に使ってはいけないような 気持ちになる。 「多分」や「そのうち」 という言葉も同じようなニュアンスを 持っているけど そことは遥かに 全然違う何かがある。 たとえば恋人に きっと君とはずっと一緒にいると思う。 と言われるのと 多分君とはずっと一緒にいると思う。 と言われるのであれば 前者の方がその不確定要素が 遥かに削がれている気がするからだ。 そうして、「きっと」 と言われた約束がご破算になっ
2020年12月24日 今日はクリスマスイブですね。 皆さんいかがお過ごしでしょうか。 うちはというと 小さい子供か居るので 小さいクリスマスツリーを飾ったり 25日に旦那が休みをとっていたり 3人家族らしい過ごし方になりそうです。 いやいや、今回の記事は そんな過ごし方ではなくて 私自身のクリスマスイブの 個人としての楽しみ方を 綴って見ようと思います。 私の身勝手なクリスマスイブ仕事の支払いをしに行ったコンビニや 夕飯の買い出しにいったスーパーは ずっとクリスマス