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日本文化と幣立神宮   『神を受けつぐ日本人』の梗概について  

こんにちは。

先日、『神を受けつぐ日本人』の梗概についての記事を書きましたが、引用すべき内容がかなり多く、複写に近い梗概になっている可能性がありました
よって、梗概についての記事の更新はとりやめます。申し訳ございません。公開していない梗概もかなり書き上がっていたのですが、もちろん複写はいけないことですから。


読書感想文として、私の感想を綴りたいと考えています。

実は先日も帰熊することがあり、幣立神宮に参拝をしてきました。


長い階段を登ったところで女性から声を掛けられました。写真を撮って欲しいと。
快く承諾して写真を撮影し、立ち話を。女性二人は関東からお参りに来られたとのこと。飛行機などの移動手段が太古より格段に進歩したとはいえ、かなり遠方からお越しになられたわけであります。上記の写真3枚目、大和民族の故郷が高天原であるよう、幣立神宮は重要な神宮だと再認識しました。
「一生に一度はお伊勢さん」と言われるように、幣立神宮のお参りもおすすめであります。


さて、神を受けつぐ日本人の感想ですが、多くの学びを深い感銘を受け、更には心のどこかに引っかかっていた違和感が知恵の輪を解くように解け去ったように思います。

私が生まれて三十四年ですが、多くの矛盾の中で生きてきました。
「天道様の下では嘘をついてはいけない」や「悪いことをしたら返ってくる」などなど、日本には多くの身を律する諺のようなものがありますが、実社会に目を向けますと、欺瞞が蔓延り、個人主義の奴隷と化しています。そんな私も今の会社の面接を受ける際、見栄えをよくするために会話に若干の色をつけていました。「天道様の下では嘘をついてはいけない」という崇高な規範に反し、本来であれば劣等な人間であるべきなのです。しかし、私は会社である程度罷り通り、後輩に指導する場面も多々ある。こういった悪弊をあげればキリがないのでこれくらいにしますが、正しくあればあるほど現代の社会では陰に追いやられてしまうのが、現状です。これは矛盾であります。
なぜ、矛盾が生じるかということは、『神を受けつぐ日本人』の第二章に記載されていることによることが原因だと思います。ここだけは引用いたします。

今日の社会が異質に見えるのは、心の本質はわが国の文化、道徳性を潜在的に受け継いでいるのに、教育や情報、知識がわが国の歴史や文化と異なる作為的なものに支配され、迷いの世界に入っている仮の姿だからだと思っています。

正しく、そのとおりだと腑に落ちました。
神社にお参りする人々の大半が、その神社の歴史を知らないことでしょう。歴史に長けている方が高尚なのかというと、決してそうではありませんが、歴史を知るとお参りする姿勢が変わります。
元に私は、あの願望を叶えたいなど、自己本位なお参りよりも、連綿とつながる先人に感謝し、安寧を祈る気持ちが多くなりました。もちろん、多少は自己の醜い願望が混じっているのは否めませんが、割合が大きく変化しました。また、先人が切り開いた土着文化に目を向けるならば、その地を安易と海外に売り渡したりしないでしょう。

類い稀な文化を継承してきた日本に生まれた意味を感じさせる本なのであります。『神を受けつぐ日本人』は。

ネットでも買えるようですので、是非手にとって頂けますと幸いです。

花子出版も大切なことをしっかり書き記し、日本文化のか細い礎になれれば幸いです。


花子出版   倉岡


文豪方の残された名著を汚さぬよう精進します。