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『墓守りバルザックの預かり:行方知れずの行商人』4話


「山のことは山で決着をつけるしかない」

 タロベェは大きく息を吸って腹を括ったようだ。

「でも、山の主がいるんじゃ……」

「それについてはちょっと当てがあるので、待っていてもらえませんか」

「本当ですか。わかりました」


 元主人の駆除業者に頼もうとも思ったが、忙しい方たちだ。連絡するのも悪い。

 なにより精霊と戦うような人たちに、田舎の山の主に手こずっているなどと言えるはずもない。


「気が途切れる前に行きましょう。早い方がいいです」

「では、しっかり仕度をして、明日の朝出発ということで」


 すぐに冒険者ギルドで、職員のアンネに日暮れ頃、墓地に来るよう伝言を頼み、薬屋へ向かった。

 傷薬は必須で、なるべく密閉されたものがいい。麻痺薬に眠り薬を混ぜたものを買い、魔物除けの薬は買わなかった。


 砥石と魔石の粉を数種類持って、小屋へ向かった。

 いつもの墓地だ。空気が澄んでいて程よく風も吹いている。枯れ葉はなるべくそのままにしているが、汚くない程度には掃いている。

 掃除道具や枯れた仏花は小屋の中にしまい、外にはなるべくものは置かない。古い霊廟に行くと、汚れていてシンメモリーも集まってきてしまい、ご先祖様が魔物としてよみがえってしまうと知ってから、墓地はなるべく清めている。


 そんな墓地の片隅で、山から汲んできた水で刀を洗う。

 砥石を置いて水をかけ、そっと刃を当てて研ぎ始める。


 この刀はこれだけ使っているのに、ほとんど刃こぼれをしない。切れ味をよくする魔法陣が描かれていると、譲り受けた人からは言われたが、正直初めの頃は本当かどうかは怪しかった。


 月日と共に、本当だということがわかってきた。

 この刀はあまりにも切れすぎる。特に魔力を纏わせたら、いくらでも切れてしまう。


 小鬼のゴブリンが襲ってきてもこん棒ごと持っている腕を切り落とした。肉も骨も一刀両断できるのだ。

 猪の魔物も突進に合わせて、剣を振れば頭蓋骨も内臓も関係なく切れて、一瞬断面が見えるほどだ。


 ただ魔力を注がなければただの刀。普通の刃物と変わらない。

 そんな元主人からの贈り物を、自分は大事に使っている。


 研ぎ始めて、数刻。魔石の粉を水に含ませる。

 刀に魔力が馴染むようにゆっくり丁寧に研いでいくと、時間が止まったような感覚がある。


 自分と刀だけの空間にいて、風音も鳥の鳴き声も聞こえず、ただ研ぎ音だけが身体にしみわたっていく。その分だけ、刃の輝きが増し、切れぬものなどないと信じてしまいそうになる。


 カサッ。


 墓地に足音が鳴った。

 背中で誰が来たかわかった。不思議な感覚だ。


「すみません。無理を言って」


 いつの間にか日は暮れていて、ランプを持ったアンネが笛を携えてやってきた。


「こんばんは。バルザックさん」

「こんばんは」

「父の消息が分かったのですか?」

「いなくなる直前に、一緒に山を歩いていた歩荷さんを見つけました。明日の朝、彼と一緒に捜しに行こうと思っております」

「そうですか。やっと会えるんですね」

「おそらく」


 行方知れずになって2年。彼女もまた時が止まってしまった一人なのだろう。


「すみませんが、山の主と対峙するやもしれません。よろしければ笛の音で刃に力を」

「私の笛の音が刀の切れ味に影響するとは思えませんが……」

「いえ、影響するのです。この刀に限っては……」

「では」


 アンネはいつかの日と同じように楓の木の下で笛を吹き始めた。


 彼女が笛の音が山にも響き渡る。


 秋の風は決まって冷たいものだが、彼女が吹き始めてから寒さが和らいだ気がする。気分が高揚しているのか。


 程なく、墓から白く丸いシンメモリーがポコポコと浮かんでくる。思いが魔力と結びつくと出てくる現象だ。恨みつらみが魔力と結びついて集まって固まれば魔物になってしまう。


 果たして刀に結びつけば、魔剣や妖刀になるのか。わずかな魔力でも刀の切れ味に直結するなら、やれることはすべてやっておきたい。


 笛の調べに誘われて出てきたシンメモリーに、刀をかざす。墓石から出て依り代もなく空中を漂っていたシンメモリーが刀にピタリとくっつき、そのまま泡が消えるように刀に吸収されていった。


 笛の調べが終わった頃には、刀は月の光に照らされて青白く輝いていた。


「ありがとう。助かりました」

「これくらいならいくらでも……。父をよろしくお願いいたします」


 彼女の中で父親のハロルドは生きている。それに死体も見ていないのに、死を受け入れるのは難しいことだ。どれだけ死んでいると思っていても、立ち止まってしまう。

 だからこそ人は親しい間柄の人が亡くなったと聞いたとき、現実を疑い、死んだ姿を目の当たりにして泣き崩れる。

 棺桶に入った姿を見て泣き崩れる遺族を何人も見た。葬式では気丈に振る舞っていても、棺桶のふたを閉めた時に堰を切ったように泣き崩れる遺族も何人も見てきた。


 現実を嘘だと認識して生きていくには、限りがある。


 すっかり暗くなってしまったので、彼女を町まで送り届け、小屋で準備をしてから仮眠。不思議と腹は減らなかった。背負子にお茶セットだけ入れておいた。



 笛の音がぬくもりを与えてくれたのか、身体はそれほど冷えていない。

 町の北門に行くと、ちゃんとタロベェが準備をして待っていた。肩当付きのセーターを着て、靴もしっかりした登山靴を履いている。


「おはようございます。準備万端ですね」

「おはようございます。あの日と同じ仕事用の服です」

「よし、行こう」


 街道を通って、山道へ入る。

 最近、何人も人が通ったからか山道はすっかり固まっていた。山賊もエルフも捕まえた冒険者たちも、崩れかけた山道に文句を言っているだろう。

 雨も上がった今は歩きやすい。


 枯れ葉も散り、冬の匂いもし始めていた。雪虫も飛んでいる。


「この時期は、夜になると冷えますからね。里の人たちはよく頑張りましたよ」

 タロベェが沢を見ながら喋り始めた。

「逃げ道もなかったからな」

「それでも、すぐについてきてくれましたね」

「よほど辛い生活を強いられていたのだろう。……本当につらい人たちの声はなかなか届かないものだね」


 動いていれば、自然と玉の汗が額に出てくる。

 枯れ葉が舞う山道を、タロベェと一緒に汗を拭いながら登った。

 その先に山道の分かれ道があり、片方が崖崩れを起こして道が埋まっていた。


「ここから先は回り道がないんです」

「土砂を越えていくかい?」

「はい」


 土砂や岩を越えて、埋まった山道を進む。

 埋まっているのは一か所で、すでに崖崩れがあって何年も経っているため、大きな岩をよじ登って越えてしまえば、枯れ草にまみれている山道跡が出てくる。

 

 魔物くらいしか通らない山道跡は、雨水を吸い込み泥濘になっていた。

 

「ちゃんと靴を履いてきてよかった。ああ、ここは見覚えがある。ここを何度も通って里に行ったもんです」

 タロベェは変わらない景色を見て、大きく深呼吸をしていた。言葉を飲み込んで、過呼吸にならないように呼吸を整えているのだろう。


「止まってしまって、すみません」

「いや、吐き出した方がいい。先へ進もう」


 枯れ草をかき分けて、山道跡を登る。ズルズルと滑るが、登れないほどではない。凍った道を歩くように、体重移動を気にしながら進む。ところどころ魔物の足跡がついていた。


 崖の下を見ると、鹿の魔物が移動していた。こちらに気づいていても襲ってくるようなことはしない。なにも人間に恨みを持っている魔物ばかりではない。森の奥地に生息している魔物だって多い。南半球には魔力を蓄えない動物というのもいる。

分類について、今まさに魔物学者たちが発展させているところだ。


「この先です……」


 タロベェは先にある山道のカーブを見て、大きく息を吸った。カーブの外側は崖になっている。いつどこで山の主に出会うかわからない。

 もし山の主が使う獣道になっていれば、


「山の主がいたら、迷わず跳ぼう」

「はい」


 腹を括って、崖の端まで行ってみる。カーブの先に山の主はいなかった。


「この先から、あの山の主が向かってきたんです」

「……ということは、この先にハロルドさんが向かっていくようなことはなかったのかな」

「あの大きさですよ。バルザックさんも見たでしょう。無理ですよ」


 山道の幅いっぱいに肉の塊があると思うと、山の主を躱すことはできない。


「崖の下に降りてみよう。タロベェさんを落とした後にハロルドさん自身も飛び降りたのかもしれない」

「……そうですね」


 木にロープをかけて、崖を下りていく。崖にも木々が生えていて、よく岩や何かが落ちてくるのか折れ曲がった枝が伸びていた。


 崖の下は泉で、高い崖から飛び降りても命だけは助かるだろう。


 ザプンッ。


 ロープから手を放し、泉に飛び込んだ。水深はかなり深い。落ち着いていれば溺れることもないだろう。


「これなら、落ちても……、おおっ!」

 

 泉の淵には急流があり、危うく流されるところだった。雨の後だともっと流れは早そうだ。


「俺はここから流されたんです」


 タロベェは濡れた服を絞った。


「はぁ……。こんな小さな泉だったんですね」


 過去を追体験することによって、タロベェはようやく落ち着いたようだ。


 周囲は鬱蒼とした森で、枯れ木は大量に落ちている。焚火をして、服を乾かす。茶葉を入れた壺はしっかり密閉していたので濡れていない。


 鉄瓶でお湯を沸かして、お茶を淹れた。


「このお茶はハーブですか?」

 タロベェがお茶の香りを嗅いで聞いてきた。

「そう。毒消しや疲労回復の効果もある。飲んだことはあるかい?」

「ハロルドさんがよく飲んでいたお茶の香りがします」

「そうか……」


 周囲の臭いを嗅いでみたが、二年も経っているからまるで臭いは辿れなかった。

 やはりハロルドも流されてしまったのだろうか。


 立ち上がって泉で片付けていたら、ほのかに魔物除けの薬の匂いがした。


「魔物除けの薬剤を使いました?」

「……いえ」

 タロベェの乾いたセーターからも、魔物除けの臭いはしない。


 どこかに魔物除けの薬草があるのか。


「もう少しだけ捜してみてもいいですか?」

「もちろんです」


 臭いを辿ると泉の反対岸のほうから匂いが濃くなっている気がした。

 服を脱いで、泳いで渡り、周辺の嗅いでみるとかなり濃い魔物除けの臭いがする。お香だろうか。


 服を着て周辺を捜す。寒いはずなのに、なにかに近づいている気がしてまったく気温を感じなかった。


「ありました!」

 枯れ草をかき分けていたタロベェが叫んだ。


 見れば、草むらの中に破れた籠が半分、土に埋まっている。中には魔物除けのお香やお茶の鉄瓶なんかが枯れ草まみれになっていた。


「ハロルドさんのです!」


 タロベェの歓喜の声が山に響いた。

油断していたわけではないが、荒事は歓喜の瞬間に訪れるものだ。


 山の風に乗って獣の臭いが流れてきた。

 振り返れば、岩のように大きな山の主がこちらを睨みつけている。

 籠を下ろし刀に手をかけ、敵意を放ち注意を引く。


「タロベェさん、できるだけ逃げてください……」

「そんな……」


 タロベェは腰を抜かしながら、必死にもがくように泉へと這っていく。


 ブアオウッ!


 主の雄叫びは、身体の奥まで響く。

 刀を抜くと、陽の光を受けてギラリと輝いた。


 一陣の風が吹いて、枯れ草が舞う。


 ミシリ。


 古いハロルドの籠を山の主が踏んだ。

 その音を合図に、自分は一気に距離を詰める。

 主は攻めるのは得意でも受ける経験は少なかったようで、一瞬たじろいだが、こちらに呼応するように、地面を蹴った。


 山の主の前足が頭上から振り下ろされる。

 その一瞬を待っていた。


 ズパッ!


 刀身がヌシの右手首の関節を貫き、斬り落とす。血しぶきが舞う中、肘の関節に剣先が突き刺さる。まるで刀が意思を持っているかのように、的確に骨の隙間を狙っていく。

 長年、魔物を斬り続けた結果、どこを斬ればいいのか光って見えるようになっていたらしい。

 不意に周囲の景色が真っ白になり、自分と山の主だけの空間に飛ばされたような感覚になった。時が止まり、主の息遣いだけがやけに大きく聞こえる。

 刀からは、か細い「無念だ」という声が聞こえてくる。


 自分は無心で、突き刺した刀に重みをのせていくだけだった。決まっていたかのように、鎖骨と喉の間から心臓まで突き刺し、道筋をつける。素早く抜いた刀を山の主は噛みつくように咥えた。


 顎の関節を外すように刀を振り下ろせば、下顎を斬り落としていた。


 ドプンッ。


 突き刺した道筋から血が噴き上がる。


 プシャーッ!


 血の雨が降り、ようやく山の主は動きを止めた。


 真っ白な空間に赤い血の色が付き、徐々に周囲の景色を取り戻していく。

 ふと遠くで、行商人が立っているのが見えた。片目を指さしている。


 そこでようやく山の主の片目が潰れていることに気が付いた。

 ハロルドが片目を潰してくれていたのか。

 顔を上げると、行商人の姿は消えていた。


 血を払ったが、脂でベトベトだ。

 そのまま刀身を鞘には納めず、布を巻いて腰に差した。


 血まみれのまま、行商人が立っていた方向を捜してみると、崖の下に頭蓋骨が半分土に埋まっていた。土を掘ってみれば、肋骨も腕骨もある。


「ありましたぁ!」


 大声を上げると、枯れ木を杖にしたタロベェがようやく姿を現した。


「バルザックさん、あんた山の主を倒したのかい?」

「ええ。ハロルドさんの娘さんと墓場にいる冒険者たちのお陰です」


 自分は、ちょっと体を洗ってきますと言って、泉に戻った。


 身体に付いた血と刀を洗う。先ほどまであれほど輝いていた刀身は見る影もなく、ただの鉄の板のように見える。魔力を失ってしまったようだ。


 大きく息を吐く。久しぶりに集中する戦いだった。

 こんな命を懸けた戦いが、自分の人生であと幾つできるか。


「いや、こんな戦いはしないに越したことはないか……」


 自分は一人納得して、ハロルドの遺骨がある崖の下まで戻った。

 ハロルドは足の大腿骨が折れていたらしい。泉に飛び込んだ時なのか、それとも山の主との格闘の最中なのか。とにかく身動きも取れない中、山の主の目を奪い、食べられることもなく崖の下で死んだ。

 行商人としては、勇敢すぎる最期だったようだ。


 タロベェと一緒に、できるだけハロルドの遺骨を集めて遺品を籠に入れる。


 血の臭いが充満する森を離れ、街の明かりが見えた時、ようやく緊張の糸が切れたのか、気温の寒さに気が付いた。


「こんなに冷えてましたか?」

「山はもっと寒かったですよ」


 冒険者ギルドに報告しに行くと、アンネが待っていて、籠の中の父親を見て泣き崩れた。

 ようやく泣けたのだろう。彼女の時が動き出した。



 ハロルドの墓はクーべニアの墓地の一角に建てられ、埋葬された。

 

 療養所や里のことは瓦版として、全国に知れ渡り、エルフの移民に対する目が厳しくなったらしい。やはりエルフの国で反乱を企てようとしていた集団がいたと、元主人から聞いた。

 あの人は、害虫駆除業者のはずなのだが、何をしているのか未だにわからない。

 息子のコウジが時々遊びに来て一緒に狩りをするが、成果物よりも過程を楽しんでいるようだった。王都で学校で暴れまわった後、なぜか今、最も危険なエルフの国で遺跡を発掘しているらしい。化け物の子は化け物だ。


 仕事が終わり、名産のワインを並々に注いだコップを持って小屋の外に出る。

 風は冷たく、酒と焚火でもなければじっとはしていられない。

 

 秋風が笛の音を運んでくる。

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