星の重力に惹かれ落ちる

今年はお早い花粉到来の予兆を感じ、辟易とし始めた2024年1月。
年初から気が滅入ることが多いなぁと感じながらも、早速周囲に救われてばかりな日々を過ごしております。
毎年シーンズン終わりに、翌年分の花粉症薬を入手しているわけですが、今年は行きつけの病院の店主に「いつもの」を頼む機会が多そうです。
保険制度バンザイと思いつつも、杉の木は全て燃やしてしまえ(過激派)とも思うわけです。

さて。今日も今日とて深夜帯にnoteをしたためるわけですが。

サブカルの民、アキバの民なので当然その方向の趣味を持つわけで、その中でビビッと来る法則というものがあります。
イメージカラーが、青、紫、白/銀の3色いずれかに該当していれば、基本的に当たるというもの。
推しとして明確に意識したのは、如月千早。その系列から三浦あずさ、四条貴音、と。
以降、ぱっと出てくるのはラブライブなら園田海未、渡辺曜、Saint Snowだったり、少女歌劇レヴュースターライトでは、天堂真矢、星見純那、大場なな(衣装要素大)、Vの者だと猫又おかゆ、夏目ハル、凪原涼菜、燦鳥ノム、富士葵等々、大体推しカラーの法則に当てはまるわけです。

絶対というわけではないので、中には前述の3色(4色)の法則から外れている推しも居るわけですが、余程のことない限り大抵は途中で飽きちゃう。
多分、スポット的には良いと思っても、総合的に比重が低めになっちゃうんだろうなと。
経験値的に長続きしたことないという記憶。(良いよねとは思うもぬぬ)

で。なぜ前置きに色の話を持ってきたかと言うと、以降の話をする際の保険。
文体を読んで察してくれたらとは思う。

この長い前置きのあとに何を書くのか。
ちょっとこの筆者からは珍しいかもしれない「皇美緒奈」というVSingerのお話。

筆者のことを知っている人なら、だいたい書くのはEngのことでしょ。と言われるかもしれないくらい、今までは一辺倒でしたので、もしかしたら推し変したんか?!とか言われるかもしれない。
それについては肯定も否定もしないし、Eng至上主義とは今まで一度も言ったことはないので(最推し≠至上主義)、そういった部分について「あんたって人はぁ!」とシン・アスカばりにキレるのはやめて頂きたい(1月26日から劇場版やるよ)

さて。明日も仕事だけども、今書いておいたほうが良いなと思うので、明日のわたくしの体力を生贄に執筆作業を場に出す(ただ今1/16のAM 3:30)。
理由は追々書くかもしれないし、濁すかもしれない。文末がどうなってますかね。

※以降、とあるVの名称表現を簡略&隠語化してますが、記載している内容を考慮して敢えてそう表現してます。
個人的に「主軸」を分けておきたいと言うのが目的で、その他の意図は一切ないのでご了承を。

はい。本題に入りますか。

公的には去年の終盤ないし今年からファンになりましたよ的ムーブをしてますが、本人も言っていたのでアレですが、Meteopolis時代から超後方から眺めていたんですよ。
その時の推しは凪原涼菜でしたので。
初めてのエンカウントは一昨年 2022年UDXのクソ寒空の下でやったクリスマススペシャルライブにて凪原涼菜と一緒にお歌を披露してましてね。
凪原涼菜を知ったのも、Eng共通の知人からの勧めで「多分好きでしょ」と言われ、歌を聞いたら「好き」となっていたもの。
その知人はその時には皇美緒奈の方に傾注していたようなので、それぞれの推しを見に行くか程度な感じだったわけです。
まぁ、最推しはEngですからぁ?そこまでハマることはないと思いますけどねぇ?
お誘いありがとうございます。

その時はやっぱり凪原涼菜すげぇなと思いつつ、緑の人も良い歌声やん(当時の個人の感想)と。
ただ、ここで推し色の法則が発動するわけです。
イメージカラーが青、紫、白/銀は大抵合致する。
が、皇美緒奈はメインが緑(のはず)。and 髪色は銀。
率直に、加えて経験上として、多分スポット的に良いんだろうから、そこまでかな、というのが第一印象。
だが、銀髪はポイント高い。好き。だから気になる。
そんな二律背反的な絶妙な面持ちのまま、クリスマスライブは終了。
このときはお恥ずかしい話、前述の()の通り、名前すらよく覚えてなかったんですよね。
推しカラーの法則に則り、重要度が脳内で勝手に落とされていたので、きっといずれ忘れる存在という認知だったわけですな。
酷い話だ。

その後、Engの方も色々あり、最推しだった夏目ハルがEngを卒業。
それでもEngを追いし歴史は圧倒的だったし、V界隈の最初期から眺めてた側からすると視線から外すわけにも行かず、とモヤっとしつつ2023年は過ごしましたとさ。

その間にもいろいろなVを眺めていたので、X (旧Twitter) のプロフ欄に、メインの推しを記載していたりして、ちょいちょい全消しをして、なんて整理をしていたわけです。
なので、ちょっと気になっていた皇美緒奈も、カバーが出れば聞いてみる、程度で多少の追いはしていたわけですが。

今思えば、きっとこのときから彼女の重力圏内に入ってしまったんだなと。

わたくし、Eng以外はカバー曲を聞いて入る方なんで、その人が普段何やってようがカバー曲の歌う系統、歌い方、表現なんかを数曲聞いて耳にすっと入るものかどうかを判断してるんですよ。
なので、勧められて「もっと見てもらえれば…」とか、「人となりを知ってもらえれば…」とか言うレベルの「知る」行為まで派生することはあんまりない。
だって、この界隈、比較対象は星の数ほど居るようなもんで、きっとそこにはその人より「良い」人は他にも居るだろうし、そこまで見極める時間をかけれるほど暇ではないし、掛けてもいいけどその分の価値を見いだせるかと言ったら、うーむ、ほとんどはそうでもないという経験則からやらない。
(Engはアプローチが実は違うのでそんなことはしてない)

その経験則を外してきた皇美緒奈という存在。
カバーが気になるは良いんだけども、その人自体が気になるというのはなかなかない印象。
RIOT MUSICは基本的にポテンシャルの高いVSingerを擁しているので、まぁ実力は界隈の中では折り紙付きだと思ってますが、その中でも妙に気になるんですよ、皇美緒奈。

もともとカバーしていた曲の多くが、わたくし好みのものだったから入りやすかったのもあるかもしれないけれども、それでも知らない曲も多かったりする。
で。
最初の明らかな重力ターンを体験することになったきっかけは、皇美緒奈の表現力とは何じゃろか、と気になったのが大きいと思う。
ただのカバーではなく、きっとそこには「自分ならこうする」というリスペクトと挑戦が含まれてるんじゃないかと勝手に解釈しつつ、色々な曲を聞いたり。
あるカバーだと原曲より下げたほうが、自分の表現として合ってるから、今回はこうしてみました、といつぞやの配信で言っているのを聞いて、なるほどなと謎の納得をした日もございました。

そうすると、人間観察をよくやる わたくしのアンテナが皇美緒奈に向いたんですな。
このV、気になる。
ちょっと気になる → 気になる。への変化。
気になると言っても「キャラクター性」ではなく「人間性」に魅力を感じるとでも言えば良いんだろうか。
まだ、うまく言語化出来ない絶妙な気持ち。
数あるVの者の中で、特異な魅力の感じ方をしたのが美緒奈さんの言葉の表現、歌の表現とそこに乗せる表情。
うーん。文章にするとなんだか生々しい表現ですな。
捉えようによっては「■の人が目当て(メタ発言に付き一部検閲済み)」とも言えるかもしれないが、わたくしはそういうのは別にどうだって良い。
仮に演じているのであれば、それはそれとして表現者としてとても素晴らしい能力を持ってると思いますよ。えぇえぇ。
文字で伝わるかわからんが、できれば前述の通り言語化が難しいので察して欲しい。
アレどういう事と気になるなら飲み会にでも呼んでくれ。気が向いたら口頭で説明しよう。(行けたら行くわー)

まぁ、それがどうしたっていうことなんですけど、いやいや大事なんです。
表現をすることって結局「知らないもの」はどうやったって表現できないし、知っていたとしても伝える手段がないと伝わらないんです。
推しを広めたいと思っている人は経験あるんじゃないかな。
1/3も伝わらない感覚。

美緒奈さんはその辺を声の表情として乗せてくるのが上手いなと。
配信でもケロケロと笑ってみたり、少し照れてみたり、悲しみも悔しさも、割と出てきちゃう印象(全部を見てるわけではないので推測含む)。
そういう部分を見て、人によっては母性を感じるし、人によっては姉属性、妹属性、人によってはレトリバーのような大型犬のようとも。
最後はちょっとアレだけですけども、何にせよ屈託ない、一緒に居てより心地よい存在として感じている故と推察。
いずれも家族に近しい存在としての印象を持てるということは、友人、知人、あこがれの人と言った、関係性を遠く感じるような壁を感じさせない雰囲気があるんだろうね。

そんな表情を歌に乗せてくるのも、美緒奈さんは上手いな(特にライブ)と思うわけですよ。
いやいや、レコーディングで録り直してくるのもあるでしょ、と人は言うかもしれないけども、本人談からすれば研究して、自分なりの解釈とリスペクトを含めて、決めているようですし、ただ単純にカバーしているわけではないと。(当然他の方も同様でしょう、ということは申し添えますが)
前述の通り、特にライブでは際立って感じる要素で、その時その気分での美緒奈さんが表現したい歌い方をしてくれるので、ファン層にも「 "ただ" 良かった」ではなく、「今日の歌い方、いつもと違って良かったよ。今日のセトリに合ってて乗れた」という、プラスアルファの感想を与える結果にもなっているんだと勝手に考えていたりする。

ライブなんか (語弊はあるが) どうせセトリ組むし、どう足掻いてもぶち上がる曲連続で来たらそうなるでしょ、という側面は合ったとしても。
その時、その場所を加味して歌い上げ、ライブだからと多少の緩みもなく表現できるとなれば、神セトリのおかげだけとは言いにくい、そんな気もするのです。
CD音源に忠実に歌われても、多分聞いててつまらんよ?
少しの変調、声量で印象は変わるもんで。

なので、個人的にはVSingerという捉え方ではなく、表現者だなという認識だったりするわけです。

その表現者ですが、1年ちょっとですか。キングダムの大沢たかおイメージでずっと眺めていて、今のところ「等身大の人だな」という感想。
これは共通の友人にも少し前に語ったことではある内容ですけどもね。
異論は認める。が、まずは聞いて欲しい。
普段からストイックだし「歌は居場所」というくらいなので、やはり「歌」に関しては人一倍「何か」を持ってやっているのは間違いないと思います。
でも、その何かを発揮するためには決して背伸びはしない、無理はしない。
おそらくそれは妥協だし、出来ないことを無理矢理にやることのフラストレーションもあるんだろうと。

ただ、その中でも挑戦はする。
それはきっと今までやったことのないものを得るために挑戦することであって、届かないかもしれない場所に無謀に走っていくわけでもない。
自分が出せるポテンシャルの最大限はどこまでなのかと見極めた上で、後悔のない挑戦なのかなと。
勝てる戦しかしない、というと語弊はあると思うけど、簡単なイメージはそんな感じ。
だから少しずつしか出来ないし、爆発力は一切ない。
それでも、限界を見据えているからこそ、限界ラインまで全力を出せる。余力もうまい具合に使える。
故にパフォーマンスに厚みを感じることもできる。
そういう表現の作り方をしてるんじゃないかなという解釈。
つまるところ何をするにも「等身大」であって、それ以上でもそれ以下でもないのが「美緒奈さんの表現」だし、「美緒奈さんそのままが現れている」から、きっと聞いている側も安心して見ていられるんだと思いますまる
「歌に美緒奈さんの内面がそのまま外に溢れ出してきている」という表現にすれば伝わるのか、どうなのか。(個人の感想です)

だから、その等身大を次の一手で大きくするために勉強もするし、大きさに耐えうるために鍛えもする。
同じパフォーマンスで留まることはやらずに最高を常に更新していきたい。とエンタスのライブで語っておりましたし。
まぁ、自分で自分を追い越すってなかなか難しいんですけどね。
割りと自分自身と常に戦わないといけないってストレスだと思いません?
だって最高出した瞬間、次、そいつを追い越さないといけないんですもん。
100m走で13秒でフィニッシュしたら、次は13秒を切らなきゃいけないし、12秒99出したら、今度は12秒98以下で、次は(以下略が続くなんて、オールシーズンオールタイム自宅警備イズムなわたくしには信じられない思考よ。

いや、ここまで書いておいてそんな事は考えてないと言われるかもしれんけどね。
ここまで書いた通り、一挙手一投足のすべてを監視してきたわけでもないし、全配信を見たわけでもないので、眺めてきた中の一部一部を拾い集めた中で、わたくしはそう感じてるという感想です。はい。何度も重ねますが個人の感想です。

わたくしより歴の長い皇組の皆さまを差し置いてガリガリ駄文をシタタメている時点で、内容には異議ありな部分もあると思いますよ。
わたくしは「こう思っている」だけの話でございますので、共感を得ようということではないんですね。
Engm界隈とは、古来より意見のぶつかり合いがあったので、当然、いやいや、も分かるので。

なーにが言いたいんだいと。

皇美緒奈を肯定する人が、少なくともここに一人居ますよということを伝えたい。

皇組の皆様、みんな温かいので、同じく「応援」する人も多いでしょう。
だからこそ、わたくしは「肯定する」という言葉をあえて使いましょう。
過去に色々あったのもあって、個人的に「応援している」「頑張って」という言葉って、何でもないときはありがたいんですけど、ちょっとタイミングミスると結構重たいんですよね。
仕事で失敗してもうズタボロになっているときに「頑張れよ」と言われても「これが頑張った結果だわ!見てみろ!あはははは」となることもあったりするので、言葉自体を否定するわけではないですが、わたくしはそう伝えたいと思う故の「肯定する」ということです。
「歌は居場所」と共感するものの、実はもっと居場所は近くにあったりするよ的な、そんな通常営業時間では恥ずかしくて言えないような意味も含めてのことです。はい。
自他理由は様々あれど、居場所なくなるってつらいもん。

で、肯定ってなんなのよ。
個人的な解釈というかおキモチですけども、思いとしてはここまでクッソ長文駄文でいろいろ書いてきましたけど、ちょっとのことで引っかかって、ここまで気にさせるだけの魅力があるんだよと。
わたくしの初エンカウント時から顧みるとどうですか。
と、しっかり人を惹き付けるものがあるんだよ、というのをわたくしが証明するので、自信を持てと強い言葉は言わないが、そのことを知っていて欲しい。
折れそうになっても、人を引き付けていられる魅力がある存在であることは、わたくし含め皇組皆様も同様に思われていることでしょう。
なのでどんなことがあっても、肯定されている故に、着地点はどこかにあるので、多少、寄り道してくれたって良いんじゃよと。
そうしたらきっと背中を押して送り出してくれることもあるんじゃないかな。うん。ある。…あるよね?

次いで「ありがとう」と。
あなたが作った居場所に救われている人は、ここから見渡すだけでも結構居るんですよ。
普段のお話からも気付いているとは思うけどもね。
もしかして「そこまでは…」と思うことがあれば、もう一度見渡して欲しい。
すごく簡単に救われている人って見つかるはず。
配信だって楽しみにしている人もいる。
ライブを心待ちにしている人もいる。
歌を聴き込んでいる人もいる。
誰かの生活のイチ場面に必要とされているって、なかなか難しいことなんです。
少し前に書いた「飲み会にでも呼んでくれ」の下りでよくあるあるなのが、「呼ばれてない」かいうこともございまして、人生の中で区切ることもできるのに、誰かから望まれていることって、魅力あればこそなんですよね。

でもそれをプレッシャーには感じて欲しくなくて、誰かの日常の彩りになってくれていることに対して、皇組が「ありがとう」と伝えている通りだと思うので、なんて言ったら良いだろうか。
思っているより、誰かのためになっているということ。
誰かのためになってくれているということ。
少なくともわたくし自身、今日もクソお仕事終わったしGet Wild退勤決めるわと、美緒姉のカバー曲を爆音で聞きながら会社を出るという一幕でストレス発散できているし、ちょっとつらいなぁと思ったらセントエルモの火を聞いて背中押してもらったりと。
美緒姉がただしたいことをしているだけでも、人の助けになっていることはたくさんあるんですよと。

取り留めのない駄文に駄文が重なってしまったので、ぼちぼち締めに向けて。

何でこんな文章をまとめたのか。
自分の整理のためと、ひっそりと眺めてきた美緒姉のファンレター的なものなのかもしれない。
手紙として送りつけるんだったらもっと綺麗にまとめなさいよと言われるかも知れないけども。
それでも、こちらは美緒姉を見続けてきたなかで、こちらの中身は一切出さないのも卑怯な話ですよねと考えました故、全部書いた。
より居場所の近くで、今度は眺められるように、今と今までのわたくしが表に出さなかったことをシタタメておこうかなと思った次第です。

信仰心 (推し的な意味で) の都合もあってモニョっとさせることもあるかもしれないけども、ひとつ言えることは、この1年で確実にわたくしの中での比重は大きくなってきたというのは事実なんですよね。
昨日今日のメンバーシップもスパチャもそうですが。
この数年守り通してきたものを捻じ曲げてでも、と思わせるほどに魅せられたというのは、改めてお伝えできればと思います。

あなたの歌は、今、私にとって心地よい居場所となっていますよ。

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