花陽浴は動かない

noteでやれ、と言われそうな気がしたので。

えのぐの夏の総決算ライブ、不撓不屈、お疲れさまでした。
流石にメンバーにも疲れが見え隠れしたライブでしたが、それでも最高のライブになったと思いますが、内容についてはどこかで語ろうかと思います。

で。本旨は思い出(えのぐっず)を整理していて、サイリウム?ペンライト?が出てきたので、同じような感覚の人が居たら、会場に似たやつが居るんだなと思ってくれれば嬉しいかなと。
意味不明なことですが…。

本題。
VRアイドル えのぐのライブに基本的は参加している花陽浴ですが、コロナ禍以前から、基本、着座スタイル&コールアンドレスポンスはしない主義です。
周囲からすると、スタンディングすらしないこいつは何しに来てんだ?と思うこともあると思いますが、それが花陽浴のライブの楽しみ方です。
盛り上がってないわけではないんです。
場の雰囲気を、音を体で感じることが楽しみと思って、それ以上の事は余計なことだという考えなので、決して義務参加とかではないのです。
花陽浴なりの楽しみ方をしているだけのこと。
それでも周囲の熱量とは明らかに違うので、場違い感や会場の雰囲気を作れないことに少しの罪悪感もありますが。

そもそも論として、花陽浴はリアルアイドル文化は否定的でしたし、声優ライブというのも、○○ライバーを筆頭に割と迷惑行為の話が目立ったせいで良い印象がなかったです。
全員が全員、そうであるとは思ってませんが、文化的に○り鉄よろしく、自分自身を制することが出来ない阿呆の集まりとすら思っていたほどです。
(※個人の感想です)

えのぐと出会ったのも、恥ずかしながらコミケ直後の大爆死記事が出回っていたのを見て、という感じで。
そもそも「戦場」と称されるコミケに事前告知なし、アドバンテージなし、ネームバリューなしで飛び込んでくる事自体、全く理解できず、数撃ちゃ当たる論法で乗り込むのは、無謀の極みと思ってました。
爆死して当然出し、消えて当然とも思っていたので、その時でさえ興味はなかったのを覚えています。

昔のことを話すと寝る暇がなくなるので、割愛しますが。

そんなこんなでえのぐを追い始め、ライブにも参加したものの、不思議なことに「そもそもアイドルを推したことがない」という人が、それなりにいた事。
そういうジャンルの人が食いついているわけじゃないのか、と、当時は豆鉄砲でしたね。

オリジナル曲がリリースされる度にえのぐみ界隈では「コールどうする」問題が一部で出始め、有志である程度作って行こうという企画もありました。
今は、色々あって見なくなりましたが。
6曲ほどは一応、コールアンドレスポンスが作成され、資料を印刷して配布したりとやってた過去もあります。

その辺りの支援もしていた花陽浴ですが、一方で「覚えなきゃいかんのか?」という疑問を持っていたのを、今更告白しておきましょう。

ライブなんてほぼえのぐでしか参加したことがないので、他のイベントではどうだか知りませんが「コールアンドレスポンスはしなければならない」という同調圧力を感じていました。
確かに会場がキレイに揃えば圧巻でしょうし、やってる側も一体感の中に参加できている喜びというか、高揚感を得られるんだろうけども。

花陽浴、覚えるのがめんどくさい。
自分が盛り上がるというよりも、場の雰囲気、音楽自体、ライブパフォーマンスを楽しみたいだけで、曲合わせて騒ぐ必要性を全く見いだせないという感じなので、そもそもコールアンドレスポンスを覚える必要性を感じない=覚えるのが面倒という感じです。

それは今までも変わらず、できれば会場後方での配席が良いなと思いながら、今日に至ります。
そのほうが会場全体を見渡せるし、全てを視界に入れつつ、音も十分楽しめるので、それで良いんです。

ただ、不撓不屈での新曲「Defiant Deadman Dance」とライブそのものの演出で、少しその場の雰囲気に飲まれなかったことを後悔していたりします。

新曲「Defiant Deadman Dance」(以下、DDD)。
ゴリゴリのロックと言うか、総じてアイドルの曲ではないと思いつつ、テンションあげるには良い曲だなと感じたのは第一印象。
今までのえのぐの楽曲からは完全に畑違いの一曲ではあったものの、しっかりと歌いきったこと、この新曲が生バンド演奏で披露されたことが、DDDの発進を大きく加速させたのだと思います。

ひとまとめごとに書きますが、DDDが花陽浴に後悔させたのは何故か。
今だから言える。DDD、くっそカッコいいし、生バンド演奏かつ現地に居て乗らない理由がわからん。
多分、本能的なアレなのかもしれませんが、少しのノリもしなかったかと言えば嘘です。
首をちょっと振ったりはしてました。
ただ、スタンディングするほどのことはしてないです。
それは「今まで座ってたし、そもそもペンライトも持ってきてないし」という謎の意地。
そう。そもそも立ち上がってコールアンドレスポンスする気がないので、ペンライト自体を持ち歩かないという感じなんですよね。
だって使わないんだもの。
それでも。
DDDは色んなものを投げ捨ててでも、雰囲気に飲まれてガンガンに乗っておけばよかったなと、思ってます。
本能的にね、このビッグウェーブに乗れよ、と言われた気もしたんです。
えぇ。えぇ。わかっております。

次にライブの演出。
コロナ禍の影響もあり、引き続きコールの禁止。
えのぐみ界隈では「いい加減コールしたい。コールのないライブは不完全燃焼」という話は毎回聞いています。
わからんでもない。
今までのライブではガンガンに愛を叫べていたのだから。
で、コロナになってからは、前述の「コール企画」が動いていないこともあって、結構ばらついたペンライトの動きに。
でもまぁ、なんだかんだ「歴戦の勇士」はそれなりに揃った動きを見せるもんで、やっぱ「なんかルールあんのかな」という印象は否めない。
初期の6曲以外ないんですけどね。

ただ、不撓不屈ではえのぐ側が会場を盛り上げるように終始していたし、コール的なところも代わりに発することで、代弁してくれていたように思います。
多分、遮二無二等々、ライブをめちゃくちゃやってきたからこそ、どうしたら良いのかをえのぐの中で話し合ったりして、少しずつ変えてきたのかなと思います。
そうなると。
そもそも定形のコールアンドレスポンスが消失している上、統制をえのぐが取ることでその通りにすれば良いだけという状況が発生するわけで、よくわからんがえのぐの言うとおりにやってみるか、というのは、漫然と会場を真似るより、遥かに敷居が低い訳で、しかも公式案内みたいな立て付けなので、みんなそうする。会場も一緒の動きになる。
あとは簡単な振りで案内してくれるのもなかなか、コールアンドレスポンス初心者には易しいよね。
あとはペンライトの色変え技術さえマスターすれば、もう上級者よ、という感じ。

となると、そこまで案内してくれているのに何もしない花陽浴さん。
いよいよ何しに来てんだよと。簡単な振りすらしないのかと。
はい。何もしませんでしたー。

まぁ、この2つがあった上での話になるのだけれど。
DDDを始め、ライブ中、会場全体を見回して思ったわけです。
ペンライトの色の制御という特殊条件はあるものの、ノリ方はひとそれぞれだったし、自分やグループ間でその瞬間を全力で楽しんでいれば、それで良いんじゃないかと。
提携なんかどうでも良くて、ただ自分の思うがままに、場に乗っていく。
会場を見渡すと結構、自由なんですよね。
えのぐのダンスでシンプルな動きであれば自然と合うし、複雑なダンスパートであれば、もう全力でペンライトを振ったり、拳を振り上げたり、腕を回したり、オーケストラの指揮者のような動きだったり、DJっぽいことをしていたり。
冷静に見たら自由すぎんだろ!と思いつつ、音に乗るっていうのはそういうことなんだなと。

多分、花陽浴は難しく考えすぎていたし、そもそも「みんなと同じことが出来ないと恥ずかしい」と思っていたんですよね。
「他の」ライブでは決まった動きをしているという知識先行だったので。
そもそもライブ参加もえのぐしかない状態で「どう楽しんだら良いんだ」という疑問の答えが出てなかったのもありますね。
近しい人には言ってますが、過去の経験から花陽浴はえのぐみになりきれないえのぐみになってしまっていて、ファンとしての楽しみ方、距離感がいまいち掴めてないんです。
一時期、えのぐみがどう楽しんでくれるのだろうか、ということばかり考えていたので、場を楽しむこと以外、わからなかったんです。
この感覚はわからないかもしれませんが、えのぐを見て楽しめれば良い、会場の雰囲気を肌で感じられればいい、きっとそれが正解で良いという感じだったのかもしれません。

今更ですが、花陽浴も心のままに楽しむこと、雰囲気に飲まれることを、少しずつ覚えていこうと思います。
ライブを楽しむ時はね、誰にも邪魔されず、自由で、何というか。
心から楽しんで居なきゃあダメなんだ。。。
それに気づいた不撓不屈でした。
ありがとう、えのぐ。ありがとう、えのぐみ。

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