いきなり強制終了となる悲しさ

 義理のいとこがCOVID-19に感染して経過観察目的で利用されているホテルへ入ったと言う連絡を受けたのが3週間ほど前だった。その数日後体調悪化で入院となり、さらには呼吸器管理となった。呼吸器が装着されると言う直前に、今から呼吸器が漬けられるのでしばらくしゃべれないので写真を送りますとの自撮り写真が転送されてきた。熱があるのか少し顔に赤みがさし疲れている顔つきだった。周りのものは皆その回復を信じていた。

 特に連絡のないまま2週間が過ぎたところで、呼吸器の酸素濃度の設定を少し下げることができたと言う連絡が入ったと聞いた。酸素濃度が下げられたという事は肺の酸素化能が回復してきていると言う事だからこれはいい方向に起き始めたと少しほっとした。しかしそのほんの数日後突然また呼吸機能が悪化し、おそらく難しいと家族は言われたようだった。当然のことながらその間家族は全く人に会うことができていない。なんとも悲しいと闘病生活である。それでも奇跡の復活を願い、祈っていた。

 しかし今朝、逝去の知らせ。

 穏やか、朗らか、元気、そして面白い人だった。まだまだ寿命はあったはずである。孫のスポーツクラブに付き添っていったときに感染したようだ。その孫も陽性とはなったが症状なく経過したのは何よりだった。しかし、付き添っていかなければ・・・、との思いを持ってしまうのは致し方ないだろう。二回目のワクチン接種をして数日後の感染というのも運命のいたずらか。

 実はこのいとこの胃がんの腹腔鏡手術を主治医として執刀している。もう10年以上経過しているから、完全に癌サバイバーである。しかし、癌で死ななくても、いずれ何かで死ぬという現実を改めて突きつけられた。

 家族のもとには、まだ帰ってきていないようだ。死に顔を見ることなどできず、帰宅するときは骨壺の中となるらしい。なんだか混乱している。

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