見出し画像

あせっても焦らなくても

 月ごとのカレンダーをめくり、4月となった。自宅や周囲の桜は満開になっているが、すでに地面には多くの花びらが広がっている。人間から見ると、そんなに散り急がなくてもよいのに、と思うのだが、桜にすれば季節の移ろいに合わせてその生を全うしているだけなのだろう。桜の木としての寿命を生き抜く中での小さな変化でしかないのかもしれない。

 

 現役世代の人は、私生活においても、仕事などにおいても、何かに追われているように生きていることも多いようだ。そんなに急がなくても、などと言われてもそういうわけにはいかないと考えてしまう。

 仕事人間の場合、同年齢の人との比較などもしてしまい、なんだか焦ってしまうことも多い。だけど50代半ばで役職を解かれ、60代で雇用延長待遇になったり退職したりするころから、自然と焦る必要を感じなくなり、穏やかになれる可能性が高くなる。

 生まれ、生き、老い、病を得ていずれ宇宙に還る身とすれば、最初から焦る必要などなかったのかもしれないと思いいたるには、どうしても焦りを感じながらも日々を生き抜く時代も必要なのかもしれない。特に市場原理にどっぷりつかり切った私たちは、上昇志向を持てとのプレッシャーがあり、常に何かの成績を上げていくことが当たり前と違和感なく受け入れているわけだから。でも常に前進や進化をめざす必要なんてないんじゃないの?などと、桜並木のホンワカした気分のもとで思いますね。

 忙しいが口癖の人は、本当にその忙しさが必要なのか、いやいや本当に忙しいのか、なぜ忙しいのか、ちょっと立ち止まって考えてみるとよいと思う。単に忙しくしていると言ったり、思われたりすることでなんだか頑張って前進しているんだと思いたいだけかもしれない。私自身は、忙しいという言葉はほとんど使わないようにしている。ほとんどというのは、何かを断る理由として時間がない旨を伝える手段として、忙しいと言うことがあるから。でも一時にできることは一つであり、その一つ一つを確実に行っていくことしかできないのだから、焦っても焦らなくてもあまり変わらない。かえって焦っていると、うっかりミスが発生する可能性が高くなる。

 30代のころ、アメリカで2年間ほど過ごした。その時によくお話しするようになったおばさんに、「忙しいでしょう?」と聞かれて、「忙しくないですよ。」と答えた時、一瞬びっくりした顔になりそのあと笑われてしまった。日本から留学してきた人の中で、その方に忙しくないと答えた第一号だったらしい。実際のところは、時間的余裕のないことも多いのだが、人からはマイペース人間と思われている節がある。本当にそう思われているのなら、人から見ても焦ったりしていないのだろう。ありがたいことだ。

 次第に残り時間が少ないと言うことを実感する年齢に近づいてくると、まぁのんびり行こうやへ、と言う感じで良いでしょう。昔から、徹底的にがんばり抜くと言う事は得意ではなかったので、無理に気を抜く必要は無いかもしれないが、穏やかな気分で日々を暮らしていきたいと思う。

 桜並木の下で。 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?