自分のエシックは自分の中に
先日シンガポールに滞在した際にシンガポールは世界的な先進国でありながら、「エコな国ではない」と感じた。
ストローやカトラリーはどこでも大抵プラスチックであるし、屋台でドリンクを買うとプラスチックのドリンクホルダーが付いてくる。プラスチックの消費量だけが「エコ」に繋がる訳ではないが、新しく先進的な国でありながら、去年半年間滞在した北欧諸国とのプラスチックに対する対策が違っていてとても違和感に感じた。
6月13日に鎌倉でフィールドワークを行った。今回のテーマは「サスティナブルな挑戦者のキャリアストーリー」。フィールドワークではエシカルをテーマに飲食店やコミュニティースペースを尋ねた。「エコ」「サスティナブル」「エシカル」「SDGs」などさまざまな言葉を認知はしているが半知半解であった私は、今回「エシカル」をに対して実際に行動してる人と話すことでこの言葉を理解するきっかけを得られた気がした。
フィールドワークを通して、エシカルとサスティナブルの違いについて印象に残った。エシカルは日本語に訳すと倫理。サスティナブルは持続可能性。この言葉は似ているようで離れている言葉である。
自分のエシカルは相手のエシカルと同じとは限らない。シンガポールを例にとれば、プラスチック製のストローやカトラリーを使い捨てにして洗剤の消費量を抑え、衛生面を保つことが彼らの「エシック」なのかもしれない。年間を通して高温多湿なこの国では衛生面の問題も大きいだろう。北欧諸国の視点からするとエシカルでなくとも、シンガポールの視点からするとそれはエシカルなのかもしれない。
相手からの視点のエシカルを考えようとせず、ただポイントアウトするのは自分の「エシカル」を人に押し付けているのと同じこと。
自分にエシカル(倫理)は思考と経験を繰り返すことで形成されるものだと考える。エシカルという大きなワードに飲み込まれずに、自分なりのエシカルを見つけていきたい。
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