一重まぶた

あの子目ぱっちりしてて可愛いよね!
と誰もが可愛いというのはぱっちりお目目の二重の女の子だ。
毎日毎日嫌でも世の中二重至上主義だということを自覚させられる。

それでも私は私の目が好きだ。一重だとしても。

高校生になると、いや、早い子は中学生から気にし始めてアイプチをしていた。
私も高校生になるとそろそろメイクをしないとと焦りメイクを覚えた。
メイク動画や友達にメイクのやり方を聞いても絶対に出てくる「まずはアイプチをします。」という言葉。
一重はアイプチをしないといけない、そう思ってアイプチを何回か付けた。
でもどうしてもアイプチをした時の自分の目を好きになれなかった。
不慣れでうまくできなかったというのもあるだろう。
目が乾く、くっついてる感じがなんかやだ、とか色々理由はあったと思う。
それでも、どうしてもアイプチをつけた自分を鏡で見るとどこか相容れない部分があったし違和感が消えなかった。

高校卒業後、高校生最後の春休み、
みんなは二重整形をした。
昔に比べ技術も上がっているし値段もお安くできるからと。
やっとこれで一重じゃなくなって嬉しいと言っていた。
インスタを見るとみんな楽しそうに笑っている写真を載せていた。

でも私はアイプチをやめた。二重をすることをやめた。
アイプチはもう使わなくて済むように友達に譲った。

自分で決めたこととはいえ、みんなが二重になって変わっているのに本当に私は二重にならなくていいんだろうかと、どこか置いていかれている気持ちになった。
これはただの同調圧力だとも思う。
でもみんなと違うことって安心できない。
それでも私は私の目が好きだからと自分を納得させるように言い聞かせた。

アイプチは辞めたけど、高校生の頃マッサージしていた名残で時々私も笑うと二重になる。
それを友達や恋人に見せて一瞬だけ二重だよなんて言って笑った。そうすると友達や恋人は
「やっぱり二重いいね」と口を揃えて言った。
中には「一重もいいけど、二重もいいね」とどっちも肯定してくれる人もいた。
自分でふっといてって感じだけどやっぱり二重いいねと言われるとまだ、ああやっぱり一重じゃダメなのかと思ってしまう。

私はただ自分の目が好きなのに。

「今度デートのときアイプチしてよ!」と恋人が言っていた。
きっと恋人からしたら何の気もない言葉だったと思う。
恋人は一重の私も、二重の私も好きだと言ってくれる。
でも、もし本当に二重のままがいいと言われたら私は受け入れられるだろうか。
一重として生きようと決めた私をどこか否定されてしまうんじゃないかと怖い。
いや、否定されてしまうのではなく自分で否定してしまうのが怖いんだと思う。

一重の私も二重の私も好きだと言いたいしどちらも私だと言えるようになりたい。
きっと私はそこと向き合えない限り再びアイプチを買えない。
好きだと言うけれどまだどこかで私は一重だしと否定してしまう自分がいる。

あーあ、もしかしたらまだあの頃私から本当の意味で変われてないのかもしれないな。

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