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幻燈の舞

はじめに

これは、わたしが数年前、建築学科の卒業制作の一環で作成した小説です。テーマは「メディア(媒体)としての建築」―小説を建築で表現することに挑戦した作品でした。モチーフは「宮沢賢治の世界観」。彼の作品を読み、それをひとつなぎの空間に落とし込むために、このnoteに載せた小説を書き、それを建築の形に再翻訳しました。小説と建築を合わせて、一つの作品です。

物語は、現代に生きる主人公が、宮沢賢治とゆかりある「菊坂」から「宮沢賢治の世界(本作の建造物)」へと迷い込み、建物を歩きながら何かを体験するお話です。

わたしにとっての1つの出発点で、どこかに置いておきたいという想いがあったので、3か月ほど迷いましたが公開することにしました。少しだけタイトルを変えています。

誤字以外は書いた当時そのままです。文体も展開もかなり宮沢賢治を意識して書いてあり、手を入れてしまっては当時の解釈や込めたものが薄れてしまうと思うので。また、当然のようにオマージュがばらまかれています。このnoteでは、なるべく純粋に作品を楽しんでいただけたらと思いますので、建築としての仕掛けや、設定、あり方については割愛しました。

よろしければ模型写真と一緒に、ひとつの物語として読んでいただけるとさいわいです。



幻燈の舞


 夕方、私は菊坂を歩いて居りました。ここは、かの樋口一葉が暮らしていたことで有名な場所です。大きく曲がる坂道をぐんぐん曲がりました。わきを見れば、ほそっこい道や階段がもくりもくりと延びだしていました。階段ではおにっこをしている子供らが口々になにかを叫んでいるのでした。私がそちらへ近づきますと、小さな札看板が見えます。そこには、

 宮沢賢治旧居跡

と書いてあるのでした。

「ははあ、宮沢賢治もこの場所に居たことがあるのだ。菊坂は文学の源でもあったにちがいない。」
 案内札には、『注文の多い料理店』をはじめとしたいくつかの童話をこの場所で宮沢賢治が記したとありました。これは、私も子供のころに読んだことがありました。お話はすこしこわくて、せをぴんと伸ばしてどきどきしながら読みすすめたのを思いだしました。


始幕 <菊坂>

「この場所は、面白いぞ。」
 私は上機嫌になり、そのまま階段を降りてゆきました。左を見れば、巨大なトパーズのようにべトンの建物が立ち上がっていました。右にはまた下り坂がひろがります。またしばらく下りますと、赤やら青やら黄やらにいろどられた民家が通り過ぎていくのでした。
 そしたら、目の前の道のはしから、ゴム靴をはき詰襟に赤ネクタイを結んだ猫がこちらをじっと睨んで立っているのが見えました。髯を撫ぜながら道へ出てきます。そして、ふかぶかとお辞儀をしながら云いました。
「こんばんは。このたびあなたをお連れしたいところがあるのです。」
「はあ。そこはどんなところなのでしょう。」
 話しかけられたもんですから私はびっくりして怒ったような声が出てしまいました。
「かの宮沢賢治の世界です。きっとお気に召すでしょう。なに、すぐに帰れます。」
 ところが猫は少しも慌てず丁寧に説明してみせましたので、ちょっと行ってみたくなりました。
「よろしい。行きましょう。」
「ではこちらへ。」
 猫はふたたびお辞儀をすると、私をわき道へ案内しました。道はせまくて壁に囲まれた空が遠くに見えたのでした。


一幕 <入り口>

 猫のうしろをついてずいぶん歩いたように思いますが、いっこうに道から出ません。ふしぎに思ってあたりを見ますとそこにあったはずの壁は消え、どこまでもまっすぐ道が伸びているのでした。
「もうすぐですよ。」
 猫がふり返って云いますので、またしばらくついて行きますと、森に出ました。木々の間から、なにやら戸がのぞいていました。石造りの玄関が立ち上がっていて、扉のまん中には、
 透明なしあわせのあるところ
と文字が刻まれていました。これは一体どういうことなのだろうか、と私は首をかしげましたが、扉を恭しく開いた猫にせかされ、そろりとうちへ入りました。すると、上から勢よく鳥が飛んできて叫びます。
「やあやあようこそ! どうぞおすきな扉からお入りください。」
 燕尾服に身を包んだ大きな鳥がその羽でまわりをくるりと指しながら云いました。つられて見ますと、たしかに、大小いろとりどりの扉がさまざまにいくつかありました。少し迷います。
「どこにつながっているのですか。」
 私は尋ねました。ところが、鳥は猫と口げんかしていました。「おい、おまえ。お客さんが困っているだろう!」「何を云うか。君こそまたろくすっぽ説明もせずに連れてきたんだろう。」などと言いあっているのでした。
答えが得られないのにいよいよ腹がたってきましたが、そのとき部屋のなかに大きな木が見えますので、そちらに近づいてみることにしました。幹はまっ黒く焦げついており、そこがうろとなっていました。

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二幕 <すいそう>

 どうしてこんなところに穴があるのだろう、私は穴をのぞきこみました。ところが、思ったよりも穴は大きく、私は足をすべらせてしまいました。すべり台を下るかのように、するすると落ちていきます。どすんと大きくしりもちをついて私は地下まで降りてきていました。あんまりこわくてつむっていた目を開けると、そこから人が歩けるくらいの大きなトンネルが続いているのでした。透明なそのトンネルからは、まっくらやみのなかにゆらと揺らぐ雲のようなものが見えます。すると、すぐわきで声がしました。

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「おい、見ろ。客人だ。」
「ほんとうだ。ほんとうだ。」
「まだ若いじゃないか。」
 声のするほうへ顔を向けると、そこにはあざやかな色をした魚が数匹泳いでいるのでした。
「客人、此処は水葬ですよ。」
「水槽、ですか。」
「ええ、なに、われわれが案内しましょう。」
 集まってきていたなかでもいちばん年長らしき大きな魚が得意気に話はじめました。誘われるままに私は歩きはじめました。
「それ、あれがシリウスです。」年長の魚が云いました。
「こちらはカシオペイアですよ。うしろに見える靄が銀河の帯です。」小さな物知り顔をした魚が云いました。
「あれが北極星さ。どうだい、かがやいているだろう」ふわりとういた海月が踊りました。
 私はそれを聞きながら、ここはどうにもアクアリウムみたいだなどと考えておりました。
 最後にさそり座のアルタウスを紹介してくれた長老の亀は最後にゆっくりぐるっと廻ると、トンネルの上を指しました。
「ここを上がれば次の場所へ行けるでしょう。さあ。」
 しかして、トンネルを抜けるとそこはひたすらのまっくらやみでした。


三幕<苹果のランタン>

 足元さえ見えないまっくらやみがこわくて、私はもと来たトンネルへ戻ろうとふり返りました。
 けれどもそこには何も見えず、立ち尽くすほかありません。その時、どこからか歌が聞こえました。
 「のぼれ のぼれ
  はこべ はこべ
  届けなければ逃げちまう。」 
 歌といっしょに規則的に朱のような橙のような色がざわざわ波になって伝ってゆきます。それはずうっと上まで続いているようでした。苹果の形をしたランタンがゆらりゆらりと揺れていました。見れば、点滅が始まる足もとに何か札が立っています。
 至 イーハトーヴ
と記されていました。そして灯る明かりに沿って階段が伸びています。急げ急げとせかせかするランタンにつられて私はそこを上りはじめました。カンカンカンと金属の音が鳴り響きました。

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四幕 <イーハトーヴ>

 そして私はまあるく広い部屋に出ました。シアターのようにくるくると動く高い天井をぼうっと見上げていると、さっと両わきからきつねが二疋飛び出してきました。どうやら双子のようです。色違いのエプロンを腹に巻き付けていました。双子は私の腕を取り、ぐいぐいとテーブルまで引っ張りました。そうして又さっといなくなったかと思えば、暖かいたべものを持って出てきました。
「疲れたでしょう、どうぞ。」
「どうぞ。」
 にっこり笑いながら私をじろじろ見てくる双子にむっとしましたが、たべものはいやにうまいので、私は思わず文句を忘れてしまいました。
「ああ! 忘れてた。これをどうぞ。」
「どうぞ。」
 思いついたように双子は席を外すと、先ほど上ってきた階段わきのランタンを一つ摘み取りました。動いていたランタンはぴたりと動きを止めると、ただの苹果に成り果ててしまったのです。私はあんまりぎょっとして、思わず身体を引いてしまいました。
「美味しいですよ。」
「ですよ。」
 確かに苹果は甘くてとても美味しいのでした。
「そんなことより全体ここは何なのだ。」
 あまりにも不可思議なことばかり見えますので、いよいよ我慢がならなくて私は二疋にたずねました。
「ええ、それなら。」
「あの階段を上ってみればわかると思いますよ。」
 私の後ろにある小さな階段をさして、今までろくに喋りもしなかったきつねが云いました。
 そして二疋はそそくさと私の目の前から消えていったのでした。

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五幕 <透明なしあわせ>

 いきなり消えるもんですからなんだか信じられませんでしたが、私はその階段を上ってみることにしました。
 途中兎の案内するショップでなにやら宝石をひとかけら貰い、兎にはあまり良い顔をされませんでしたがそのまま階段を進みます。螺旋の階段にはびゅうびゅう風がまわって頬がちりちりと寒いのでした。
 そして上がると、そこは思ったとおり屋根の上でしたが、見たこともない場所でした。屋根の上には大小さまざまな形の煙突がとんがったり丸まったりしながら立ち並んでいました。その向こうには、山の峰が見えました。

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「ここは全体何なのだ。」
 私はじっと煙突を見つめて、ひとりごとを言いました。すると、背後から、
「ここは南昌山です。」
 大きな木に成った栗の実が体を揺らしながら答えたのでした。
「何処だ。菊坂ではないのか。」
「それこそ何処です。」
「何を。私はついさきまでそこにいたのだ。」
「全てあなたの幻燈ですよ。それだけで御座いましょう。」
 栗の実はそれっきり黙ってしまいました。
 脈々と続く山の風景にどうもおそろしくなり、私は逃げるように走りだしました。階段を下りその奥の通路を走り抜けました。通路の前には何やら書いてある看板があったように思いますが、それを見ることもしませんでした。通路を抜け、はあはあ息ついていますと、目の前に私が見えました。鏡です。その淵には烏が佇んでいました。鏡の中の烏はまっ黒で滑らかな羽根を広げると、ばっと地面に叩きつけて飛び上がりました。そうして天井に張り巡らされた鏡へと飛び立って行くのでした。
 続いて隣の鏡に座っていた犬もきゃんきゃん叫びながら下へ降りて行きました。彼らは鏡の中を自由に行き来できるようです。眼前に広がる階段を降りて、私も下へと進みました。


六幕 <わたし>

 降りた先には先ほどの鏡がたくさん置いてあって、それぞれの鏡の中で動物たちがひそひそと話をしているのでした。会話の中味は、昔どこかで聞いたことのあるような詩です。また、あたりには宮沢賢治の作品が小説や絵画を問わずに所狭しと並べたてられているのでした。動物たちが流れる方向へ向かうと、壁に書かれた言の葉が目に入りました。

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『わたくしといふ現象は 仮定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です』
『すべてがわたくしの中の みんなであるように みんなおのおののなかの すべてですから』
『正しく強く生きるとは 銀河系を自らの中に意識して これに応じて行くことである』
『まことのことばはここになく 修羅のなみだはつちにふる』
『こんなさびしい幻想から わたくしははやく浮びあがらなければならない』

 さまざまにならぶ言葉に私の考えもふつりとまとまってゆくのでした。
 そのなかで一冊の本を手に取り、先へ進みました。


七幕 <崩落>

 階段を下ると、そこは停車場でした。ピーと鋭い笛の音がなりました。そのとき汽車が現れて、赤ら顔をした猿がその座席からこちらをのぞき込んで云いました。

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「ここで読んで行くといい。読み終わったらそのまま置いてくれればいい。」
 そう云って猿は紅茶を差し出してくれました。私はそれを受け取ると客車の中へと入ります。
 少し進んで手頃な席に着き、本を開きました。
 私が手にとった本の題目は「さるのこしかけ」という短い物語でした。私と同じようにふしぎな体験をするお話でした。いくらもかからず読み終わり、私は本をそこに置くと出口を探して歩きました。するとどうしたことか、壁がほろほろと崩れてゆきます。頭上からはパラパラと霰がふってきました。これは大変だ、埋もれてしまうやもしれぬ、そう思い急ぎ足で進みます。
 そうして逃げるように出ると、そこは元来たエントランスなのでした。


終幕 <とうめい>

 ふたたび大きな羽を揺らせて鳥が目の前にやってきました。
「やあやあ。いかがでしたかな。」
「お帰りはどうぞこちらから。」
 そうして猫もやってきて入口へと誘導します。ようよう森へ出るのだと思い歩を進めましたが、扉を抜けたらそこは菊坂なのでした。伸び切っていたと思った道はぷつりと戻っていて、すっかりあたりは暗くなっていたのでした。



作中引用元(ともに宮沢賢治著)「春と修羅」/「農民芸術概論綱要」


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