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娘を辞めた日と、ひとつの手ぶくろ

はなのかんづめ ep.5
(※はなのかんづめとは、花屋が敬愛してやまないさくらももこ氏に憧れて
書き始めた中身のないエッセイのことである)

身バレ防止も含めてある程度のフィクションも混ぜているので
どこかの世界で生きているOLがチラシの裏に書いている妄想くらいに思って読み流して欲しい。

*娘を辞めた日と、ひとつの手ぶくろ
~ドゥーリトルを添えて~

ドゥーリトル…ミュージカル「マイ・フェア・レディ」の主人公イライザのファミリーネームである。
また、作中に登場するイライザの父親の呼称。(本名はアルフレッド=ドゥーリトル)

マイ・フェア・レディと言えば、
下町の花売り娘が学者の言語レッスンを受けて淑女として成長していくシンデレラストーリーで、私の一番のお気に入りミュージカルでもある。

貧しい少女が、社会に通用する言葉を獲得していく過程で自分の置かれた環境に対しての見方や自我を覚え、
本当に大切なのは身分や、言葉ではなく
「その人をどのように扱うか」という心の瞳(貴賤関係なく接すること)なのだと気付くストーリー。

久々にこの物語を見返して、自分の父について考える契機となったので今回は父について自分の言葉で書こうと思う。
(いつも以上に纏まりがなく、すっきりしない文章なので観覧注意)

現代のアルフレッド=ドゥーリトル
私の父親には、この言葉がしっくりくる。

金がない時には、下町で一生懸命花を売っているイライザに飲み代をせびり、
自分が大金を手にした時にはヒギンズ教授(イライザに言語レッスンをした学者)の家から家出した彼女に対して、
「2ペンスたりともお前にはやらん。五体満足で産んでやったんだから、二本の足でしっかり立って自分で働け」と、やりたい放題の猛毒親だ。

うちの父親はまさにそのタイプで、
今まで彼から誕生日は愚かクリスマス、お正月に至るまで親らしいことをしてもらった記憶は一度も無い。

「親に恩恵を受ける」なんて言い方は適切じゃないが、そもそもそのレヴェルで父と娘という関係性が希薄過ぎるのである。

さて。そんな父が、類稀なるドゥーリトルぶりを発揮したのは、
今から約十年前の私が大学2年生の冬だった。

当時、関東の底辺女子大で短大生だった私は四年制大学の編入試験に合格し1月下旬に迫った短大の卒業試験、及び卒業論文の執筆最中だった。
事が起きたのが編入試験後だったのは、
不幸中の幸いだったのかもしれない。

ある日、半狂乱になった母親から
「父親が突然学校を退職して、蒸発してしまった」と電話がかかってきたのだ。

おそらく、私も不測の事態に少なからず動揺していたのだろう。

「え、蒸発したって言うても。そもそもずっと一緒に住んでないやん」

我ながら、なんと頓珍漢な返答でしょう。
※詳細は省くが、過去にすったもんだの出来事があり私が小学校高学年の頃には既に父親は花屋家を追い出されていた。

フーテンの寅さんのごとく、
方方を渡り歩いた結果、私が大学生の頃には
社会人の兄と二人暮らしをしていたはずだ。

「お兄ちゃんのアパートにも戻ってこんで、
電話も繋がらへんねん。
おかしいと思って学校(父の職場)に電話したら昨年末で退職されてますよ、って
校長先生に言われたんやけどどうしたらええの?!」

電話で話していても埒が明かない。
……こうなると、背に腹は代えられない。
とりあえず発狂している母親をなだめるために
私は目前に迫っていた後期の大学の定期考査をすっ飛ばし、
はるばる田舎に帰ることになったのである。

重い足取りで家に帰ってからは、
とにかく半狂乱になる母親を眠らせ
自転車に乗って
どこにいるか分からない父親探しの旅にでた。

第一のポイント、兄宅近くのスーパー。
→当たり前だが、いない。

第二のポイント、兄宅近くのレンタルショップのアダルトコーナー
→もちろん、見当たらない。

第三のポイント、花屋家近くのパチンコ店
→対象を発見した。

情けないことに、兄が愛用していたベージュのキャップを被った父は
新台でジャンジャンバリバリ奏でているところだったのだ。
私が近くに行くと、多少驚いたような反応を見せるものの片手だけを挙げて
もう片方の利き手でずっとパチンコのレバーを弄り倒しているのである。

「お前、なんでここにおるん?」

なんでじゃねーよ。
ここで切れると負けだと、ぐっと拳を握った私は玉を換金する猶予のみを与え、顔を貸せやと店の外に出てくるように指示した。

十分かそこらで、店の外へと出てきた父親は非常にのんきな表情をしている。
ここまで来ると肝が据わっている以上に、恐ろしい。

父を訪ねて三千里の結果、パチンコ屋にたどり着いた頃には
既に日が傾き始めていたので連れだってパチンコ近くの居酒屋に入った。

母から与えられていたミッションは、下記の二つである。
1)父を兄宅へ連れ戻すこと
2)何故黙って職場を辞めたのか確認すること

まるで、オーキド博士から貰ったゼニガメをレベル3で進化させないまま、
タマムシシティのジムリーダーに挑む気分だ。

鬱々とした気分のまま、父に上記二点を話すと
兄の家に戻らなかったのは、
黙って仕事を辞めた罪悪感から。

そして、仕事を辞めた理由は、
自分より年下の教員に授業に対する異論を唱えられて腹が立ったから。
もう、教壇に立つのが嫌になったと項垂れながら語った。
※なお、ここでの退職理由は
真っ赤な嘘っぱちだったことが後に判明する。

当時の私は、まだ社会とは何かを知らないひよっこだった。
長い教師生活を過ごした父が、退職に追い込まれるまでストレスを感じたならもう仕方ない。
しかし、これから学費の掛かる直前に
仕事を辞めたとなると
来年の大学入学費用をなんとか自分で工面しなければならないのである。

うちの父は基本的にお金を持つと、持っているすべてを酒や博打に溶かしてしまう。
無い袖を振るために、母以外の女性陣(妾や義祖母など)からハイエナのように
毟り取る能力も兼ね備えていた。

大学の入学費用について、この人に相談しても時間の無駄だ。
二十歳の時点でそう悟った私は、
早々に話を切り上げ父を兄の待つ家に帰すこととした。

無論、居酒屋の会計はパチンコで勝っていた父が持ってくれる……はずはなく、
「ええか?」の一言で、私が会計を持つ羽目になったのである。
(なお、この日以来 二十歳の女性に会計を払わせる五〇代の男性と私は会ったことがない。)

ここまで私のつまらない昔語りを読んでくれた
優しい読者の皆様は、
この男、愛情の欠片もねぇな。とんでもない野郎だ!と思ってくれることだろう。

私も、今まで父親に対して愛情を1mgも感じたことは一度としてなかったが
この居酒屋事件以上に、心に残った出来事がひとつだけある。

居酒屋事件のあと、私が大学四年生の時に父親が競艇場で脳卒中になって倒れ
一度だけお見舞いに行ったことがあった。
※念のために補足しておくが、私の意志で向かったのではない。
行きたくない、と突っぱねた私を
母が騙し討ちに近い形で連れていったのである。

後遺症が残って上手く喋れなくなっている、と
事前に母から聞いていたものの
実際に二年ぶりに逢った父の姿は全く知らない老人になっていた。
かろうじて目元の皺に父の面影が残っているが、今目の前にいるモゴモゴと喋っている男性と自分の記憶の中に住む僅かな父親との思い出がどうにも重ならないのである。

点滴に繋がれ白いベッドに座った男性は、
キューティーハニーの小さな片手袋を大事そうに持っていた。

その手袋には見覚えがある。
私が幼少の頃に愛用していたものだ。

きっと、母はこれを伝えるために
嫌がる娘を引き摺ってきたのだろう。
今になれば、母が私に伝えたかったことが少しだけは理解できる。

しかし、まだ大人と子供の境界線を
彷徨っていた当時の私は
その手袋を見ても「悲しい」以外の感情が沸き上がってくることは無かった。

父と名乗る男性を目の前にしても、何を喋ればよいのか。
そもそも、自分が彼と喋りたいと思っているのか。
そんなことすらも、決められない。

結局、小さく頭を下げて、
その日は言葉を交わさずに病室を後にした。

この日を最後に、私は父の娘であることを辞めた。


きっとこれを読んでいる人には、
私が父親を切った理由が
唐突過ぎて前後関係が分からないかもしれない。

「いくらろくでなしと言えども、
病気の父親を目の前にして縁を切るなんて酷すぎる」

そう考える人が大多数だろう。
上記のような印象を抱いたあなた、あなたの感想・感覚は正常で正解だ。
これからも真っ直ぐ、優しいままのあなたでいて欲しい。


・・・ここまでが私の過去の話である。
今夜、数年ぶりに冒頭であげた映画の中で生きるドゥーリトルを見て
かつて私の記憶に存在した、父だった人のことを思い出したのである。


「もう、この街には戻ってこない。どうぞ、お元気で」
父親に笑って告げたイライザの言葉で、あの頃の記憶が鮮明に蘇った。
今の私なら、彼女が浮かべた笑顔の理由が分かる。

片方の手袋を大事に持っていた理由も、
突然仕事を辞めてしまった理由も、
一度も「おめでとう」や「好き」の言葉を
貰えなかった理由も、
今ではもう聞けないけれど。

私が知りたかったすべての答えを束ねても、
敵わないくらいの、
手に余るほどの大切なものが私にはある。


余談。
この書き方だと、うちのドゥーリトルが
死んだような誤解を与えてしまうかもしれないが
彼は元気に今日もジャンジャンバリバリを鳴らしているらしい。

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