見出し画像

くもんの先生に聞いてみたいこととか 番外編

clubhouseでのいろんな質問や先生たちとのトークをめちゃめちゃ聞いてると、ますますくもんって面白いなあって思えるようになりました。

いくつか思ったことを書き留めておきたいと思います。

診断テストってすごいよ

 当たり前のように、入会時にやる診断テストや終了テスト。「80問中79問正解、すごいね!」とか言って返す。内容はとおる会長がご自身で作られていたものとは今全然違うんだと思いますが、あらためてすごいと思ったことは、あの評価の仕方。今更なんだけど、あの時間軸と正解数の2次元でみる評価の仕方って画期的ではないか???と、きづく。「成績がいい・悪い」を点数とか偏差値とかの一次元的配列ではなく、時間というもう一つの列を加え、2次元でその出来不出来を評価する方法って、他ではないよな。そうなんですよ、私指導者になる前にいっぱいとおる会長の本読んだじゃないか、その時に、学力は時間で測れるって書いてあったじゃない!スルーしてたよね、よく理解せずに。能力は多元的に捉えることができることを私に教えてくれる一つの指針・物差しが「時間」。各教材にある標準完成時間であり、1群2群の評価だったんだよ。そういえば、「40人中○番の子」って言い方も会長独特の評価の言い回しだよな?奥が深そう。でも、今は、ここまで。

知的謙遜は指導者の標準モード

clubhouseやってると、いろんな思想や主張が渦巻いてて頭がパンクしそうになる。世の中にはアンチ公文の人もいっぱいいるから、「何か聞きたいこととか」ってアバウトな問いかけだといろんな人が入ってくるだろうとは思っていた。覚悟もできてるし、そういう人と対峙するのはむしろ面白いと思っている。絶対普段では出会えないと思うから。しかしながら、いろんな考えを「情報」としてご提供くださるのはありがたいと思うのですが、「やり込めてやろう」とか話のマウントを取りにきて自分の優位性をアピールする姿勢で挑んでこられると、時間の無駄を感じてしまう。私も基本姿勢は情報交換で、くもんの宣伝や優位性の主張の場にしようとは思わない。そんな困ったちゃんが入ってきた時、私がオタオタしていると、くもんの先生方がヘルプしてくださる。バッサリ切ってくださると、スカッとジャパンのスッキリボタンを押したくなる。うちに入ってくる困ったちゃんたちはみんな教育関係のお仕事をされていて、「近所のくもんの文句を一言言ってやろう」的なスタンスで入って来られることが多い。教育の仕事をしているのに、この姿勢?という疑問。「知的謙遜」という言葉が頭に浮かぶ。自分の知らないことはいっぱいある、というスタンスでいれば、知りたい!という欲求に繋がり、知的好奇心に基づいた学ぶ意欲につながる。と、ほんとの学術的言葉の使い方は知らないんだけど、「知的謙遜」って言葉の感じから、そんな意味なのかな、と推察する。自分を低いポジションに置くことで自然と知恵や知識が流れ込みやすくなるってイメージもあるな。もちろん知恵や知識を流す側の人もいていい。学校の先生たちなんて子どもたちに流し込んでやる立場にたたねばならない場面が多いだろう。でも良い先生って、すぐに学ぶ側のスタンスに立てるんですよね。くもんの指導者って、「あなた数3教えられるの?」「英語しゃべれないじゃん」みたいな場面に晒されることがある。ひどいときは「普通のおばちゃん」と呼ばれたこともある。普通のおばちゃんで何か悪い?常にマウンティングの勝者でありたい人の言葉。カチンとはくるけど、指導者の先生たちってそう言われても冷静なんですよね。「なんでこの人はこんな言い方をするのかしら?」という知的好奇心がそそられるんでしょうね、シンプルな言葉で切り返す。「先生のところはそうじゃないんですか?」「先生はどうされるんですか?」と情報を引き出すモードに切り返す場面もある。常に指導者は「君の頭の中は今どうなっているか教えて」モードで生徒をみている。「知的謙遜」は指導者になった時から標準装備され、標準モードなのだと思う。

指導者間格差があるってすごいよ

アンチの困ったちゃんのご質問、てか文句?で多いのは「指導者っつったって普通のおばちゃんじゃん!指導者だって、偉そーに」みたいな感じのこと。「指導者」ってひびきが偉そうですもんね。「うちの近所の先生、英会話もまともにできないんじゃないかなあ、それで英語教えてるなんてねえ」「数学・物理できないくせに数学研究会?」とか。他のフランチャイズや塾さんはおそらく決まったテキストを決まった通りにやって、質問があれば、お勉強のできる先生がきちんと正しい答えをお答えして差し上げるシステムなんでしょう。先生のお勉強レベルがその塾のクウォリティってこと?それを言われればくもんの指導者、確かにいろんな先生がいますよ。学歴なんてさまざまですよ。とおる会長の20年くらい前のビデオで、「40人中一番の先生と40人中40番の先生がいて、40人中1番の先生の教室の生徒の方が得である」といいきられてるシーンがあったように記憶している。ちょっと曖昧。一見、40人中1番の先生にみんななりなさいよ、と言ってるかの如き言い方であるが、ちょっと違う。全然違う。人には歴然と能力差があることを私たちは知るところから始めなくてはならないことを示唆している。指導の技術にも常に良いものとそうでないものがある。これも、本当は1次元的に判断できないものであることも別に示されている。子どもに指導する中で、果たして何が良いのか、を学び、指導者どうしでより良い技術を磨きあい、求め合うのが指導者。であるなら、指導者間格差はあって当たり前。格差があるからこそ、より良い技術を持っている人が存在し、その技術を学ぶ指導者が存在し、さらに良い裾野が出来上がっていくのだと思う。どんな学びをするか、どんな磨き方をするか、それらを組織として認めバックアップする研究会という組織がある。他の塾では考えられないシステムなのかもしれない。

#くもん #指導者#くもんの先生に聞きたいこととかありますか?#clubhouse



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?