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くもんの先生に聞きたいことってこんなこと??

その1  宿題のモチベがキープできない!!どうしたらいい?

 これはケイパブルとかでの定番テーマですが、いつまでもあるんですね、この疑問。うちの子全然宿題しないんだよね、と思いながら我が子の公文を15年させ続けてしまった私が言うのもなんですが、やっぱりやらせ方が悪いんだと思います。宿題の渡し方、というか出す側の問題が大きいんだと思う。

 宿題なんて喜んでする子なんているわきゃない、ぐらいに思っていた私でしたが、とある尊敬するS先生の教室を訪ねたとき、ガツンとやられてしまいました。宿題について考えが変わりましたね。

 S先生の教室はめちゃめちゃ高進度の生徒をたくさん輩出していることで有名。高進度の生徒が多い教室の多くは、宿題めっちゃ出して、めちゃめちゃみんなやってるってパターン。研究会も多くの先生も実際これ目指しちゃうんですよね。でも、私は無理かな。だーって我が子にすらさせられないんだもん。「親が宿題させてくれないんだよね」ってくもんの先生たちが話す時、私、肩身が狭いんです。

 逆に、全然生徒が宿題してないのに高進度がいっぱい、という場合も、先生どうやってるの?すごい!ってことになるわけですよ。S先生の場合、そういう感じでもなくて、月間の枚数100枚くらいやってる子とかが平均的な感じ。中には30枚くらいの子もいたみたいですが、めちゃめちゃやってる子もいる。そこで、

何?宿題と進度って関係ないんじゃね?と思いました。コツーン!

S先生は「宿題?(進度とは)関係ないでしょ」と、案の定おっしゃいました。しかし、だったらどうやって伸ばしてるの、先に進ませられるようになるの?先の教材をさせられるかしら?と、宿題なしには何もできんじゃろ?という想いが沸々と。宿題の枚数と進度は比例するという認知バイアスはくもんの先生なら割とみんな持ってるんじゃないかしら。でも、かつて創成期のくもん教室では宿題なんてなかったんでした。宿題はないのが普通で、教室で学習したプリントを採点し、その中でその生徒に必要なことを見極め、次の教材をやらせる。ちょーシンプル。そんな中で、「この子、もう一回おんなじことさせたほうがいいかしら?」と思うケースが出てきて、おうちでやってもらおうと発想した先生が手書きで宿題を作って渡したエピソードを聞いたことがあります。「おうちでさせると子どもラクみたいよ」って話が広まり、もっとラクにしてやろう!という想いがこうじて、宿題いっぱいしておいでーという今に至る。??だいぶ話は乱暴な展開ですが、宿題たくさん出すのは、先生方のアイなんですよ、けしてイジワルなんかじゃない。

 でも、好きなことでないとモチベは上がらないでしょ?どうやってさせたらいいの?が、当初の疑問。S先生は?質問してみる。

「なんでモチベーションがいるの?」?? コツンコツーン

先生がやれって言えばやるのが当たり前ってこと?宿題なんだから泣きながらでもやるのが当然とでも?とか考えてたら、全部外れて、先生はほんとに、わからないよそれ、教えてよ、と聞いている感じ。厳密に言えば行動には動機が必ずあるわけで、そういう意味では動機(モチベーション)がないと宿題をするという行動には至らないわけですが、ここでは「モチベ」=「やる気」「情熱」みたいなもののことかな と思います。考えてみれば、「私宿題大好き💓」「俺は宿題に燃えているんだ」というやつはいないよね。宿題やって来てる子たちをみても思う。情熱は不要かもしれない。ということは「好き」も関係ないんかい、ってこと。

 そこで新たな疑問。いうてもS先生だって宿題渡してるじゃない。なんで宿題を毎度渡すの?関係ないんじゃないの?という疑問。

 小さい頭で考えた。結局、いつでも勉強できるように宿題と称して渡してるわけではないのか?してもせんでもどっちでもいいんだけど、やったらそんだけ進むってだけのこと。そういうことなんじゃないだろうか!というと、「どっちでもいいとは言ってない。するのがいいのよ」と。なんやねん。

 いろいろ言葉で、ああですか?こうですか?と言ってるうちに、「あんたはなんもわかっとらん」と言われてしまう。ガッツーンですわ。

 果たして、「わかっとらん」を脱却したいという思いを抱きつつ歳月はすぎ…

 このところ、生徒には「宿題は一枚でも一問でもいいから毎日して」というようにしている。学年を大きく超えて学習を続けるためには習慣化した行動の中に組み込むことが一番ラクなのではないか?という考えに至る。習慣化するには、まずは続けられる難易度の調整が可能でなくてはならない。そこで、「あなたには毎日5枚くらい平気かもしれないけど、大変だなって思う日があるかもしれない。そんな時は3枚でもいいよ、なんなら1枚でも1問いい。でも、お休みしないで毎日やって欲しいな」とハードルを下げることにしている。それを横で聞いてるずるい奴が家でお母さんに「先生が一問でいいって言った」と宣い、親から「ウソですよね」と電話がかかってくる。

 宿題をしてこない言い訳も色々だ。「学校の宿題が多くて」「お母さんが無理しなくていいよって言った」「めちゃめちゃ忙しかった」etc.言い訳を考える頭があるならプリントするのに使え、と言いたい。そもそも言い訳なんて必要ないのに。私はなんも困らん。むしろ採点の手間がかからず、採算的には Go ahead! 「毎日、一問ずつならやりました」と、足し算3問やって来た子に「先生のお話よくわかったのね。すごい。じゃ、今日はこの続きからね」と理解のある先生を演出。プリント5枚意気揚々とやりおえ、次の宿題をもらいにきた。「すごい、5枚5分1枚1分、ってことは1問だいたい…4秒!!…じゃ、先週は一日4秒ずつお勉強して来たんだね、それはそれは忙しかったんだね」とイヤミを付け足すこともある。が、毎日やることの価値をわかっているからこその小さなウソ、とそこは勘弁してやる。

 宿題をするのにモチベはどうしたら?という問題からずれてしまっただろうか?そもそも、モチベ、やる気、情熱、好き、と言った類のことでおこした行動はそのうち冷めてやらなくなるに決まっている。仕事を選ぶとき「好き」を基準にすると危険だという話もある。情熱があるからやるのではなく、これをやったらどんな変化が起こるだろうか?ということを楽しみにしてもらえればいいのではないか。小さいお子様など変化を楽しみにできるほどの認識がないなら、学習を続けることで変化したことを伝える、あなたがやったことでこう変わった、を先々で伝えるツールとなれば、くもんの教材を学習させる価値はあるのではないかと思う。

 結論、やりたくなきゃ、やんなきゃいい。先生は、このプリントはあなたに必要なこと・できること・「ちょうど」、だと思って渡してるんだからね、それはわかってね。学習習慣にしちゃえば難しいこともラクにできるようになるよお。というメッセージが生徒に伝わってない。だからプリント見たら泣きたくなるんだよ、きっと。

※クラブハウスでお話ししたことをヒントに書きました。クラブハウスのアイコンはチンチラのフェルマです^^気づいたらフォローしてみてくださいね!土日のお昼に「くもんの先生に聞きたいことってありますか?」ってお部屋を気まぐれに開いて、ネタ集めにご協力いただいてます。よろしくお願いします。


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