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無職1日目、なんでもない日

日々、なんてことなく過ごしているだけでも、ほんとうはいろんなことがわいて、拾う暇なくこぼれおちて、どんどん流れていっている。

読んでいた本で出てきたベビーベッドのレンタルの話で思い出した、祖父の一周忌で母が挨拶のときに涙声で話した「いま孫が父のつくったベビーベッドで寝ています」というそのひとこと。

「お父さんの生きる糧をひとつでも多く作ろうっていう気持ちで、それぞれができることを精一杯やっているだけなのに」とこぼした母のこと。父が病気で亡くなるまでの約半年、兄夫婦に子供がうまれ、その半年後にわたしは入籍をした。そんなお祝い事を親戚に報告していた母に「あなたのおうちはめでたいことばっかりでいいわね」と言った叔母。父の病気がかなり進行していることは同居している家族と本当に近しい人にしか伝えていなかったから、そんなふうに捉えれても仕方ないのだけれど、おそらく傷つけるつもりで言ったわけではない叔母のことば。懸命だった母のきもち。そして家族みんなで前を向いて病気とともに生きていたあのとき。

先月いっぱいで仕事を辞めて無職1日目、興奮して目が覚めてラジオ体操をしながら眺めた6時半、バス停に並んでいた朝の人々。やってきたバス車内はそこそこ人がいて、乗車するひと、走って駆け込むひと。とうに始まっているそれぞれの一日はきっと今に始まったことじゃないのだ。早番の日でも8時に起きれば仕事に間に合ったわたしのこの1年のあいだもきっと、こうして一日が始まっていたんだよなあと思いながら、ラジオ体操を終えてお風呂にはいり、無職1日目をはじめた。

午前中、やりたい家事を終え、簡単に作ったお昼ごはん。ご飯と卵焼き、一昨日の大根の煮物、鶏ももの照り焼きを食べながら正午を迎え、家事を終えてなんでもないご飯をひとりで食べる時間の新たな豊かさみたいなもの。てきとうパスタとかじゃなくて炊きたてごはんの素朴ランチだったからかなあ、なんだかとっても、いい気持ちだった。

ふと読みたくなって夫の部屋でこっそり読み返した、結婚式で夫のお父さんが読んでくれたお手紙と夫の家族の愛情。式の3日前の仕事中に書いたというその手紙は何度読んでも「この父ありきのこのひとなんだろうなあ」と思える、温かさと真面目さの溢れるもので、定期的に読みたくなってしまう。入籍前に「結婚のお祝いとしてなにか贈り物をさせてほしい」と素敵なネックレスを買っていただいたり、退社数日前に退職祝いのお花を持ってきてくれたり、定期的に食材を届けていただいたり。いただいてばかり。だからというわけではないけれど、ほんとうに愛のあるすてきな両親で。愛情には愛情できちんとお返ししたいなあと思えるひとたちと家族になれたこと、ほんとうにしあわせだと思う。

無職1日目、掃除をしてご飯をたべて買い物に行き、ご飯を作ってたべて、あっというまに終わってしまった。読みたい本、編みたい右手の手袋、片付けたい自分の部屋…待ち伏せしてるものがいろいろあって、もうしばらくは日々があっというまに終わりそうだ。文章、しばらく書いてなかったから自分の中のリズム感がちょっと掴めてなくって、へんなかんじ。もどってこい、わたしのことばたち!

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