臨月〜出産レポ(のはずが、ラブレター)

8月某日


昨夜は早めに横になったのに意外と寝付けなくて、寝られてもなんだか目がさめて、朝が来るまでに何度起きただろう。5時に夫が活動を開始したのでなんとなくそこで覚醒したけれど、トータル睡眠時間はそこそこにはなったから元気。のはずが、7時台で既によぼよぼであるし、トーストを焼く気力もなくてとりあえずバナナを食べて朝ドラをみてから横になる。脱力と堕落を自分に許した途端にだるさと疲れとかなしみと、そういう類のかたまりがどっと押し寄せてきて、なんでなん?なんなん?と思いながらただ存在をし続ける。それは生理前のなぞの波にすこぶる似ていて、つまりホルモンのしわざなのだと思う。ホルモン以外に思い当たる節がなさすぎる。意味がわからないがただかなしいというこの状態はただ受け止めてやりすごすしかないので、心のようすを夫にLINEで吐露しながらただやりすごす。波の途切れる気配をちらっと感じたので、少し前の自分にはできなかったトーストを焼く仕事(パンとチーズを取り出しトースターに入れるだけの極めて簡単な仕事)となんとなく栄養を賄ってくれそうなミロ生成の儀式をさくっと済ませ、ようやく朝食にありつく。横になっていた時間、夜間の自分の力の入りすぎによる身体のこわばりを感じていたので、これはのばすべき。のばしたらいいことある。と思って、昨日しまったヨガマットを引っ張り出して股関節まわりを伸ばす。昨日もやったのだけど、マイブームはおだやかな邦楽ロックのミックスリストをAirplayでテレビ出力しながら身体をのばすこと。ヨガ〜〜〜!ア〜〜サナ!!!!みたいな音楽よりも、今はどこか落ち着く聞き慣れた雰囲気の音に触れたい。おだやかな邦楽ロックを聴きながらやるヨガ、安心感と幸福感と平和な気持ちを運んできてくれるのは脳内麻薬エンドルフィンがせっせと分泌される。さっきのホルモンの波、いい感じにやりのけたように思う。

のばしたいところをなんとなく伸ばして気が済んで、ベッドに戻る。昨日のヨガのときもそうだったのだけど、伸ばしてる最中よりも事後のほうがドバァ〜っとエンドルフィンが放出されて猛烈な疑似風呂上がりが仕上がる。ととのうってやつに近いのかもしれない。やべ〜〜〜〜と無の気持ちで意識をベッドの上にぶっ飛ばして、眠りと覚醒の境目で彷徨う。ふわふわわわ。30分くらい彷徨ったのち意識を脳みそに引き戻したらホルモンの端くれもちょっと戻ってきて「くんな!!!!!」だった。くんな!!!!

こんな操縦不可のホルモンウェーブの往来も、きっともうすこしでやんなきゃならない人生における大仕事に付随するものなんでしょう。しゅ、しゅっさん…!!!!
昨日会話の流れで夫が「もしもお腹の子がかなりはやい時期に亡くなってしまうようなことがあるとして、そのときはもうふたりで暮らしていこうね」と呟いた。こどもを望んでいたのは夫なので結構驚いて、ふたりでいいの??とつい聞き返す。「だってここまでをもう一回やるの、結構たいへんだし」。そっかあ。彼は妊娠という出来事を背負う妻を決してひとりきりにせず、心から一緒に歩んできてくれていたのだなあと改めて感慨深く思った。
そしてこんなやりとりがなくても、この臨月中に不意に溢れる夫への感謝の気持ちが、9ヶ月間のわたしの心身の戸惑いにいかに寄り添ってきてくれたかを表していた。

妊娠が発覚した当初。うれしくはない、と正直に夫に伝えたそのときから、やっぱりずっと前向きになれなくて、暴走した感情を都度夫にぶつけた。 毎回建設的な解決案を提示してくれて、わたしは鼻かみティッシュの山を作りながら、そのたび彼を尊敬した。
つわりのピークとされる時期、幸い消化器系の症状はほとんど出なかったのだけど、疲れやすさとだるさとイライラが絶頂で夕方以降は静かにベッドに伏せていた。夫が帰宅しても部屋は真っ暗、よかれと思って彼がやることはすべて裏目にでて怒られるし妊婦はずっと不機嫌で、「あの頃は家に帰るのいやだったよ」とあとから弱音を吐かれるような状態。
気分の浮き沈みは激しく身体も思うようにいかない妻にひたすら寄り添い続ける夫の努力は、臨月に入った頃にわたしの心のコップをすっかり満たし、折に触れて感謝の気持ちを抱かせた。臨月にはいってようやく穏やかに、夫にやさしくなれたきがする。

お盆休み


臨月真っ最中、いつどうなるかわからないしどこにもいけないねえと、猛暑のなか自宅にこもって過ごした。
うだるような暑さが続く日々、妙な眠気と疲れで一日ぼーっと過ごしたある日の翌日。久々に過ごしやすい気温で、風が強くて、外は雨。夜中から陣痛のような痛みがあって病院に連絡するものの、朝になって消失。あれれ〜と思いながら午前中はのんびり過ごし、からっぽの冷蔵庫に入れる食材の買い物を夫に頼む。午後からなんとなく家の周りをふたりで散歩してみるも、徒歩3分圏内をゆっくり歩くので精一杯。これはもうしんどいわ〜と家に戻ってカルテットの再放送に目を細めていたら、気づけばあの痛みが10分間隔をばっちり切っている。1時間様子見してもやっぱり切っている!病院に連絡すると今度は来院命令をいただき、車内でいきみ逃しをしながら、病院前で痛みにうずくまりながら、ようやく病室へ。助産師さんがお股に指をつっこむ。
「赤ちゃんの頭もう結構下がってきてますね〜!子宮口も開いてきてる!これはもう入院です!」「やったーー!!!!」
初めての陣痛、どこまで耐えればいいのかわからずひたすらにいきみ逃しをしていたけれど、もっと前に病院にきててもよかったらしい。ごく当たり前に、頑張れるところまで頑張ってしまったわたし、えらかった。
しかしこのとき既に17時半、入院するにしても夜ご飯は望めない…近くのコンビニで何買ってきてもらおうか、と思っていたらなんと、病院に連絡したタイミングが早かったおかげで病院食の用意もされるらしい!!!!やったー!!!
助産師さんと入院やお産にあたっての様々な確認を経てやってきた夜ご飯、一口食べたそばからめちゃめちゃおいしくて幸せな気持ち!しかし同時に襲いくる陣痛!起きてられないね!ということで、お産にまつわる夫の最初のミッション「妻の食事介助」!!!!
はじめは痛みの波の合間を見計らってご飯を口元に運んでもらっているだけだったのに、だんだん増してくる痛みでテニスボール係も命じられる夫。ベッドに横になる妻の口元とお尻を行ったり来たり。健気。
食事介助が完了するとミッションはテニスボール係専任へ。押し当てるポイント、力加減、力の方向が概ね正しいプロテニスボール師に。必死な妊婦からの「もうちょい上!」「いきすぎ!」「なんかちがうかも…」「ア〜〜それ!!!」というあるようなないような指示のもと大体正解を叩き出すプロテニスボール師。
一方で、強い痛みの波に呼吸が乱れついこわばる身体を察して「いきまないいきまない」「力入ってるよ〜」と冷静でやわらかなトーンで声掛けをし、はっと気づいて力を抜くと「じょーずじょーず!」とすかさず褒める。声掛けの神。え、助産師さんですか??
お産が進むとともにテニスボールに求められる圧力はどんどん増していき、最終的には「骨折すんじゃないかと思った」と心配されるほどのパワーで押していたそう。お産を担当してくれたほんとうの助産師さんも「あんなに力強く押せる旦那さんあんまりいないです」と褒めていた。(夫曰く「やんないと怒られると思って…」とのことで、普段の自分の怒りっぽい部分が功を奏していた(?))
余談ですがこの日、普段は一日4回あるお通じが全くきておらず、そのせいで陣痛なのかお通じなのか判断しかねる内側からの衝動がすごかった。テニスボールはうんちのような感覚に外部から抗う術でもあるのだけど、夫が猛烈にテニスボールを押し付けてくれているとき、わたしは全力で「ウンチィ〜〜〜〜!!!!」と叫んでいた。叫ばずにはいられなかった、うんち…
全力うんち絶叫タイムに入って間もなくいきみ逃しタイムが終わり、いよいよいきむぞ出すぞ!!!になると、プロテニスボール師は隠居。特筆すべきミッションはなくなるので、そこからはずっと手を握っていてくれていた。
わたしはもう必死で「でておいでーーーー!」とか叫んでいた。これは「あなたに会いたいよ!」とかではなく、「ここまできたんだからもうさっさと出ておいで!まあせっかくだし会おうよ!さっさと会おうよー!!」の意味である。(ちなみにこのときの叫び声はたぶん今まで生きてきた中で一番の大声で、これのせいで喉が不調になり、疲れも相まって退院後数日経つまで弱々しい声を出すことしかできなくなりました。)
絶叫タイムを経て、200%のいきみのために叫ぶのは我慢タイム、そしておへそのほうを見て目をかっぴらいてお顔はサンシャイン池崎タイム、分娩台の取っ手を掴んで全力で出すタイム!!!!!そして最後、ずっと置いてた脚台の脚がつらすぎて勝手に違うとこに脚置いたら「その姿勢いちばんいいやつです!!」とほめられるタイム!!!そしていきむこと数回、うおおお股がやべ〜〜〜!こりゃ高血圧のひと血管ブチギレて死んでしまう〜〜〜!想像のかなり上をいくレベルのいきみ〜〜〜!!!えいや〜〜〜〜〜!!!!!!出た〜〜〜〜〜〜!!!!!!!夫が泣いてる〜〜〜〜〜!赤ちゃんも泣いてる〜〜〜〜!生命〜〜〜!出産すげかった〜〜〜〜!夫のアシストやべえ、だいすき、尊敬、結婚してよかった、こ
のひと最高!!!!うおおおお!!!!


…それから2週間


わたしの実家に一緒に住み、家にいる時間はおっぱい以外あらゆる育児をしてくれる夫。夜の授乳タイムも起きてくれるしおむつも抱っこも沐浴もなんでもたのしそうにしてくれて、赤子はもちろんメロメロに可愛がるし、産後の妻を可愛がることも忘れない。こどもは思った以上にかわいいのだけれど、こどもをかわいいと思えているのも夫がとことん寄り添ってわたしに余裕を作ってくれているからであり、結局夫に感謝でしかない。
退院前は義両親が何度か面会にきてくれて、絵に書いたようにメロメロで既に愛情が降りしきってやまないのだけれど、元々感じていた夫家族の愛情深さみたいなものを改めて肌で感じられたのは他でもない出産のおかげであり、妊娠にも出産にも育児にも前向きではなかったわたしの手をしっかり繋いでここまで連れてきてくれた夫のおかげ。自分がすべきことを粛々とこなしてゆけるあなたにとってこれまでの行動は、自らのすべきことを当たり前にやってきただけなのだろう。お産のときも「立ち会いしてもやることないっていう旦那さんいるみたいだけど、それ俺よくわかんないな…ずっと忙しかったけど…あと助産師さんにもすごいほめられた?らしい?けどよくわかんないな…なんか特別なことしてた…?」と後日呟いていたし、退院後お父さんデビューをしてみたとりあえずの感想として「やってみてわかったけど、育児しない父親はただの怠慢。仕事してても全然、やろうとすればできる。」と真顔で話していた。わたしはあなたのその部分に大いに救われている。
わたしたちを3人家族にしてくれてありがとう。色々あるけどやっぱりだいすきでこの上なく大切なひとです。これからもずっとよろしくな!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?