一歳おめでとう、ありがとう、すごいことだよ
誕生日前夜、まもなく赤ちゃんを卒業する我が子を前に気持ちがキュッとなったり、生まれてきてくれてありがとうとごく自然に思ったり。そんな自分になるなんて、一年前は思いもしなかったし、夫が聞いたらきっと驚くだろう。
まいにち一生懸命話しかけるとか、早いうちから英語に触れさせてみるとか、発達を促すなにか働きかけをしてみるとか、そういう「赤ちゃんにとってよい効果がありそうなアクション」の類はなにもしてこなかった。
そういえばうちの子全然笑わないねと夫婦で気づいて不安になった翌日、子のクーイングに全部相槌を打ってみたら初めて声を出して笑ってくれて、夫婦で感極まって泣いた。
ひとりでおもちゃをカミカミしはじめたと思いきや数分でギャーギャー泣いていた6ヶ月頃。ひと月が経つ頃には、人生がやたらたのしそうなご機嫌ガールに変身していた。
おすわりはもう少し先かなあ、できてるおともだちも結構いるみたいだけどねえとのんびり待っていたら、なんの気なしにおすわりを達成していたゴールデンウィーク。
そのうち、よくいく子育てサロンではにこにこ笑顔がトレードマークのようになっていって、みーんなに可愛がられるように。
むずかしいことはなにもせずとも、子は子なりに自ら成長してゆく説を信じていたけれど、この一年ほんとうにそうなのだった。
とにかく子育てに嫌気が差すことなどないように。しんどい気持ちになりたくない。夫の帰宅までふたりでおだやかにすこやかに過ごすには今日はどうするか。その基準で日々の行動を選択していたら365日経っていた。
愛着関係だけ築ければまずはOK、ほかのむずかしいことはなんにもなし、あとは子をよくみて、なにがしたいのか、それをさりげなくサポートするように。
元々こどもの相手は苦手なほうで、赤ちゃんにどんなふうに話しかけたらいいかもよくわからない。たくさん話しかけるに越したことはない気がするけれど、いかんせんその方向性はプレッシャー。なのでわたしは見守る育児で子の自主性と意欲を尊重する方針とする!そういう育児も大正解!と腹に落ちてから、元々適当にやっていた育児を一層肩の力を抜いてするようになった。
自宅でも外でも、子の行動をよく観察して、気持ちを想像する。初めての場で戸惑っているときも、おもちゃを提示することなく子の観察タイムを観察する。そのことの正解不正解はわからないけれど、そのくらいの距離感でともに生きていく育児がわたしにはすごく楽だし、なにより子が毎日楽しそうに過ごし、毎晩すやすや寝てくれるので、きっと日々の行動選択ひとつひとつにあまり間違いはないのだと思える。
今日で赤ちゃん終わりじゃん!明日で一歳じゃん!というその夜、けれど特別なことはなにもないまま一緒に風呂に入り、夫に風呂上がりから寝かしつけまでをお願いし、わたしが居間に戻るころにはいつもどおりすやすやの星の住民。もううちから赤ちゃんいなくなるのかあとしみじみ子を眺め、いつのまにか長くなった手足、ずっと変わらない寝顔をみて、すごいなあ大きくなったなあ、でもまだこどもだなあと思う。
365日も無事に過ごしてきてほんとうにえらい。毎日確実に生きていたのに、もう寒かった頃のことおもいだせないよ。赤ちゃんの一年間ってすんごいねえ。
元来、赤ちゃんかわいいこどもかわいいの人間ではなかったからこそ、育児をやってみて、子のすべてを「なにもしらない動物としての面白さ」で受け止められるし、お腹の中にいたときの想像を遥かにこえる面白さ・興味深さ・楽しさのある日々。そこに、生まれてから絶え間なく成長過程をみてきたことと自らの遺伝子を感じる部分、そして子からの無償の愛がかけ合わさる。それがわたしの「生まれてきてくれてありがとう」の中身なのだと思う。
こんなの、やってみないとわかんなかった。全然わかんなかったよ。
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