なんやかんやでバンドマン。
写真はたぶん10年前くらい。
それはさておき、
なんやかんやで高校時代からバンドを、
主にボーカルとしてやってきている私だが。
バンドを始めたきっかけ、そして、
楽器を始めたきっかけは、姉である。
ものすごく仲が良いわけでも、
ものすごく仲が悪いわけでも無く、
ものすごく普通な距離感の私と2つ年上の姉。
記憶が確かならば、
姉がまずピアノを習い始め、
私は、姉とセットで習っちゃう?ってな具合に
ピアノを始めた。
学校の合唱などの際には、
ピアノ担当をするくらいに上達していた姉に比べ、
練習嫌いな私は、いつまでたっても、
左手は和音、右手でメロディポロポロ…
しばらくして、
地元のバンドのライブに通うようになった姉が
ギターを始めた。
そこで私もギターを…とはならず、
なんとなくベースを始めた。
父からは、
なんかギターとベース一本ずつ家にある方が
バランス良い!とか思ってるだろ、
別にいいけど。
みたいな事を言われた気がする。
初めてのベースは、
バスカーズってブランド、
(島村楽器で売ってた入門用みたいなやつ)
初めて練習した曲は、
アニメ「タッチ」のOP曲だった。
ピアノよりは割と練習したので、
脱・初心者!
って感じには弾けるようになってきた頃、
私は、高校生になった。
そのころ、姉がコピーバンドを始めていたので、またまた後を追うように、
私もバンドを始めようと動き始めた。
バンドを始めるなら…
なんとなくボーカルやってみようかな?
なら、肺活量を上げるべき?知らんけど。
肺活量上げるなら…吹奏楽部入ろうかな?
練習嫌いでも部活なら継続できるだろ。
と、夏休みを前に、
少し遅めの入部を決めた。
(…ちなみに姉も中学までは吹奏楽部だったので
その影響が遅れてきた感)
少し遅めの入部だったせいもあってか、
空きがある楽器が、
オーボエとコントラバスの2択だった。
それならベースも一応弾けるからコントラバス!
と、当初の目的の肺活量向上をすっかり忘れ、
コントラバスを始めた。
練習嫌いもあって指揮の先生を含めた合奏をする時以外は、ほぼほぼ幽霊部員のようだったが、
バンドをやっている先輩もいたし、
指揮の先生の選曲が楽しかったので、
知らない音楽を知るきっかけになった…
なった、が!
歌はまったく上達していない!
そもそも私は、中学生くらいまでは
低ーい歌しか歌えなかった。
歌い方がわからなかっただけかもしれないが。
十八番は宇宙戦艦ヤマトとマジンガーZ。
マジンガーZはラストのゼーットの音が
出せなかった。
吹奏楽をやりつつも、歌を練習せねば!
と、学校を抜け出してはカラオケに行き、
よくわからんけどとりあえず歌っていた。
姉がビジュアル系バンドが好きで、
例に漏れず影響をうけ、
私もCDを聴いたり、髪を少し伸ばしたり、
脱色してみたり、
歌を練習する曲もビジュアル系になったりした。
地元にもビジュアル系バンドがいて、
特に「いろは」というバンドが歌声も
特徴的でよく聴いていた。
地元じゃなければ、
彩冷える、Kra、蜉蝣、dir en greyなどなど…
(ここ最近、聴いていたバンドのメンバーである、
ユアナさんや靖乃さんとバンドはちがうけど、
対バンする機会があって嬉しかった。バンドやっててよかった!)
ビジュアル系を聴いていたので、
バンドのメンバー募集も自然と
ビジュアル系興味ある方求む!みたいな記事を
探すようになった。
地元でボーカル募集記事を見つけ、
連絡してみたら何故か…
私はベース担当に抜擢されたり、
ボーカル担当がシャウトしか歌わなかったり、
急に修行して帰ってくる…と言い残し、
バンドを抜けて、帰ってこないので、
私が結局ボーカルになったり、
募集はしていないのにスタッフをしたい!
って方が来たり、
地元でメンバー募集してたのに、
他県からドラム希望がきたり、
新しくみつけたベース担当がカラオケ歌いすぎで
ポリープ出来て入院したり、
その結果、
コピーバンドで出演した初ライブは、
ベースボーカルをすることになったり。
…あとスタッフ担当がなぜか
ステージに出ようと舞台袖でそわそわしてたり。
機材トラブルの時は呼んで!とかなら
納得なんだが、
出演できないメンバーがいた時に、
僕がお客さんに謝罪する!
だからMCの時、ステージから僕を呼んで!
って言われたりしたなぁ。
懐かしい。
呼ばなかったけども。
とにもかくにも、
なんやかんやで
高一の夏くらいにはバンドを組み、
コピーバンドでライブをした。
セトリは確か、
メンバーそれぞれ好きな曲、楽譜もってる曲で
決めた結果、
アンカフェの覚醒ヒロイズム
シドの御手紙
エルレガーデンのスターフィッシュ
THE BACK HORNの冬のミルク
…うーむ、統一性がない。
2回目のライブからオリジナルでやるから!
ライブ日程は決まっている!
と、当時のギターくんが言い始め、
作曲も覚えたての私が3曲作り、
結局30分の持ち時間を3曲とMC、
最後に1曲だけ同じ曲をやって、
なんとか誤魔化し誤魔化しライブした。
ちなみにバンド名は、
オリジナル曲を始めたライブから、
道端で「あ、シガルだ!…足軽だ!」
って言われたらおもしろいね!
と、おもしろくない話し合いの結果、
-cigale-(シガル)
にした。
当時のライブのブッキングをして下さった方から、
ダサいから名前を変えた方がいいと言われたなぁ。
シガルが蝉って意味らしく、
それに伴い、セミって曲をつくったり、
足軽って曲をつくったりして、
徐々に曲を増やした。
そんな感じでメンバーは変わりながらも、
4年くらいの間、たま〜にライブするペースで
ほぼ地元で活動した。
…不思議な事に、
環境的に最も続かなそうだった
他県からドラム希望で来た子は抜ける事なく、
ボーカルの私とドラムの子は
最後まで変わる事はなかった。
いまでは割と近所で連絡もとるので
なんやかんやで友人としても、
1番付き合いが長いかもしれない。
最終的には、
都内でライブを2・3回した後に
メンバーの就職やらなんやらかんやらで
休止?解散?した。
が!
私は当時まだ学生だったので、
せっかくなので
名義をカタカナ表記のシガルにして、
地元でソロ活動をすることにした。
曲が出来たらカラオケ音源つくって、
それを流してライブ。
1人なので時間の融通が利きやすく、
お誘い頂いたライブはだいたい出演できたので、
バンド時代よりもライブ頻度が増えた。
そんな時に、
おそらく結成1年目、
ライブも数回しかしていない(たぶん)、
枯レタ井戸ノ底。
とかいて、
カレイド
と読むバンドと知り合う事になる。
ちょくちょく対バンしているうちに、
ギターボーカルのえゐむさんに
ギターに専念したいから良かったら
ボーカルやる??
みたいなお誘いを頂き、
ボーカルとして加入、そして、今に至る。
早いもので加入して10年くらい経つようで。
近々、3枚目のCDアルバム?ミニアルバム?を
だすために録音している。
ボーカル以外は終わったようだが、
大絶賛花粉症で鼻がずびずびなので
歌の録音は…もうすこし先になるだろうな…
とりあえず。
むちゃくちゃライブに明け暮れる毎日!
…って感じの活動はせずに
いままで生きてきたけども、
メンバーやお客さん、他にも
いろんな方々に支えられて、
なんやかんやでバンドマンを続けられている。
ありがたい。
あ、特に!
枯レタ井戸ノ底。は正規ドラムがいないので、
サポートをお願いしているんだけど、
たくみさん、はとりさん、ゆきとくん、でざわくん、一回だけど急遽受けてくれたはくやさん。
ありがたや。
(私の加入前の人はわからないけど、
youtubeの1番ふるーい枯レタ井戸ノ底。動画は、
私の知らないドラムさんらしい。レア。)
…あ、あと音楽始めるきっかけをありがとう、姉。笑
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