外国語の作文をするときに

 𝕏で、外国語で文章を作るときにどういう思考をするのかという投稿を見かけて、面白いなと思いました。その投稿は、A:「一旦母語で思考して文を作って外国語に翻訳する」のか、B:「外国語で思考してそのまま外国語の文を作る」のか、という問いかけでした。

 先日、映画「Pure Japanese」の公開からすでに2年経ったというフォロワーさんたちの投稿を見かけて、懐かしく思い出していたところだったので、私には超タイムリーな興味深い内容で、思わず引用リポストまでいくつも読んでしまいましたw
 言語と思考の関係に興味がある人ならきっと、映画や公開当時にDEAN FUJIOKAがインタビューなどで話していたことが面白いと思える気がするのでオススメです😆(私の推しの映画「Pure Japanese」はPrime Videoで観られるので、勝手に宣伝しておきます☺️)
 
  話を戻しまして、AかBかの問いですが、私の中国語は「Bを目指しているけどAになってしまうことがある」という感じです。
 理由はいろいろあるのですが、子どもの頃に異常な読書好きで、学生時代に極端に国語だけ得意だったこともあり、分からなくなると無意識に母語の思考に頼ってしまうということと、中国語で思考して中国語で話すには中国語のレベルが十分ではないことが、主な原因だと思います💦  
 私の感触として、すんなり通じる中国語が話せたときはBができたときなので、外国語ができる人はBな気がします。

 私は長く保育士をしていて、複数の言語を話す子どもに接する機会が何度もありましたが、言語の話せるレベルに関係なく、子どもたちは全てBだったように見えました。

 ただ、日本人の中国語学習者の知り合いは、圧倒的にAが多い気がします。レベルが低いのではなく、中検やHSKを受験したりして熱心に勉強している人で、むしろ文法などの知識はしっかりあって、テストなら良い点数が取れるけど、会話になると案外簡単なことが上手く言えないという人が多いように感じます。
  一昔前の日本の学校での英語教育が文法優先で実践的ではなく、会話に向いていないと批判されていたのと同じく、日本人の語学の学び方が言語の種類に関係なく、(意図せず)Aタイプが主流になっているような気がします。

 言語は、その言語圏の文化や思想・習慣など、いろいろな背景と切り離せない部分が多いので、日本人的な感覚で日本語で考えたことをそのまま中国語に変換しても、通じなくはないけど何か不自然な感じがしてしまうんだと思います。知らない言語を自動翻訳アプリで訳して読むときのような、なんとも言えない違和感と同じような感覚な気がします。
 日本語だと絶対言わないようなことを、外国語だと普通に言えることもありますし、日本語だと謙遜したり湾曲表現を使う方が良いと思われることも、外国語だとストレートに言っても問題なかったりすることってありますよね?
 同じ人でもちょっと人格変わるくらい言語によって表現が変わることがあるというのが、Aが不自然になりがちな理由なのではないかと思うのですが…どうでしょう?

 唯一、Aがいいのではないかと思う場面は、日本人としての考えを海外に発信するときです。
 その場合には、日本人的感覚で深く思考し、日本人っぽさを前面に出すことがむしろ正解なので、母語でしっかりと伝えたいことを組み立てたうえで、外国語に翻訳するという作業をするべきだと思います。
 
 言語オタクとしては、このテーマは奥が深くて興味がつきないです。
 なんかいっぱい書いちゃったけど、こんなの読みたい人いるんかな?🤣

 

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