「ファミコン」とは本当に必要だったのか

考えようによっては、堂々と「引きこもれる」のは、私にとって悪くはない。できるだけ不要不急な外出は控えなさいと「公式」に言われているわけだから。

しかしながら、ここで筆を執り始めたのは今年1月からだが、節目の2020年が、まさかこのような年になるとはねぇ‥。もちろん「緊急事態宣言」だとかは初めてのことで戸惑いはありつつ、でも逆に「やりがい」があるというか、一連の事象を書き留めておこう‥‥そんな気にもさせられる。noteの名に相応しい利用の仕方を、今後もしていきたい。


引きこもりの過ごし方。子供なら、その一番手に来るのが、やはりゲームになるのか。先日どこかの国の首相?も、街の子どもに【家でプレイステーションをやっていなさい】と口にしていたっけ(笑)。ここ30年近く、筆者もリアルタイムで追ってきたけれど、テレビゲーム業界の躍進ぶりは本当に目覚ましかった。

世界がこうなってしまった今、いち「娯楽」以上の役割をはたすテレビゲームに救われたという向きもある。だが、それまでは「害」と捉える者、大人もわりと多くいた。‥つまり、ゲームの普及によつて、子供の学力・体力・さらには視力までも奪っていってしまったと。


たしかに、その側面は否定できない。もし、「ファミコン」というものがこの世の中に生まれていなければ、極端な話、今日の日本は無かったのではないか。

当時ファミコンに熱中していた子供が、運動でも勉学でも、もっと別の方向にエネルギーを注いでいたら‥‥。そう考えると一部の大人たちが、我が子の能力を棚に上げて、ゲーム会社を疎ましく感じた気持ちが全く理解できないでもない。


かくいう私も、かつては「ゲームっ子」である。ファミコンのない世界‥‥は、もはや自分には想像できない。アレに費やした時間は、たしかに膨大だ。ファミコンをしていなかったら、今とはまた違う人生を歩めたのだろうか。

‥冗談。 この世にファミコンがなかったにしても、ファミコン誕生後に自分が出合わなかったとしても、けっきょく何も変わっていない可能性が高い。ただひとつ、ゲームで目を悪くしたのは疑いようのない事実であるが。

聴けばゲームで世界的な大会が催され、そこで大金を稼ぐ猛者までいるという。ゲームの在り方も、この30年でだいぶ変化したように思う。


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