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久々のカナブーン。 と、友人。

先日、久々の出会いを2つした。

1つは、学生時代にクラスでただ1人
私だけがハマっていた
邦ロックバンド「カナブーン」の曲たち。

もう1つは、久々に連絡のあった友人である。

それぞれ色んな意味で衝撃を受けたので、
記録しておく。


まずは前者について。

何がキッカケで再会したのか既に忘却した。
でも、Apple Music内を
思いつくままに駆け回っていたら、
たまたまカナブーンのページへ行き着いて、
ランキングを上から順に再生し始めた。

そしたらビックリ。
歌える程に聴いた曲ばかりだった。
しばらく触れてこなかったことが
信じられない。

そういえば、学生の頃、
私は周囲の中で唯一「カナブーンが好き!」と
言いまくっていたたちで、

クラスメイトたちが誰も知らない彼らの曲を
カラオケでは歌いまくっていた。
というか、邦楽は他を知らなくて
自分の音域も狭いので、
彼らの曲しか歌えなかったのである。笑

久々に巡り合ったカナブーンの曲たちは、
だいぶ大人になった今改めて聴いても
歌詞とリズム共に素晴らしく感じた。

特に、歌詞を概観した時の
文字密度のバランスの良いことと言ったらない。
もう字面を見ているだけで
癒されるレベルに美しい。

また、歌詞を実際に声に出した時の
心地良さが抜群である。

韻の踏み方が整っているのに
単調な技巧だけでなく言葉遊びのような
面白さを感じるなんて、

もはや歌詞を通り越して文学。
かみごたえのある表現。
言葉と音の芸術だ。

そして、意味が前向き!
空元気のような無鉄砲さのない明るさには、
思わず惹かれる繊細さと丁寧さを感じる。

こんなにも感動続きのお気に入りを
気に入っていた事実すら忘れて過ごしてきた事が
本当に信じられない気持ちになった。

ここ数年の私は、
お気に入りに巡り合えないとか
長く大事にできないとか、
自分の愛着心の湧きにくさを頻繁に嘆いていた。

でも、今回のカナブーンとの再会により、
「なーんだ。私にもお気に入りあるじゃん。
忘れてただけじゃん」と思うようになった。

人の悩みは、悩んでいた頃の深刻さがまるで嘘のように、
ふとした経験の積み重ねで
案外あっさりと解決したりもする。面白い。

その大前提として、
身を置く場所を変えるとかの大工事は
必要な場合が多いけれど、

一度環境を変えてしまえば
その後の変化はじわじわやってくるから、

「今悩んでいる人は焦らぬように」。

安心して思うままに時を過ごせば良いと
助言したく思うのであった。


さて、久々の出会いの2つ目は、
しばらく連絡のなかった友人である。

何の脈絡もなく突然にきたメッセージは、
いつもとだいぶ違った印象で、
内容の抽象度も高く映った。

心配になりながら返してみる。

その後、ポツリポツリと
点々とした情報の破片を返信され、

やっぱり只事ではなさそうだと感じつつ、
その点々の間を捜索していると、

どうやらその友人が内心を吐露したらしい
長めの文章に行き当たった。

その内容を読んで私は本当に驚いた。

なぜって、私が思っていた以上に、
その人はずっと感受性が高く
人間愛や熱意の溢れる人物だったのである。

その友人の文章が賞をいただく程に流暢で、
ちょっと小説家っぽいことは知っていたのだが、

誰かのために書いた呟き程度の文しか
今まで読んだことがなく、
ここまで内心を綴った長文は初めてだった。

私にはわからない感覚がたくさん書いてあって、
あまり共感も理解もできずに大混乱。

仕事が大好きで、
どちらかといえば理性的なその人の印象は、
遠く吹き飛んでしまった。

「あれ、私はこんなに自分と感覚の違う人と
友達でいたのか、、、?」
「私と関わっていて楽しかったのだろうか、、?」と

今まで交流が成立してきたことを
不思議にさえ思ってしまう。

そのぐらい、私はその人の本質に
気づいていなかったのである。
自分の盲目さに唖然とした。

その人曰く、「初めて外に出して見せた」
とのことだった。

この文を読めばひと目で
その人の内心に寄り添える人物が気づき、集まり、
その人を適切に助けるだろう。

そして、理解の及ばない私のような人間は、
きっと離れていく。

なぜって、感覚が違いすぎて、
うまい配慮ができそうにないから。
そればかりか、助けるつもりで
不意に傷つけてしまいそうだ。

現に今の私は、このまま関わっていても
お互いにプレッシャーを
与え合うだけのように感じた。

いくつかの内心の長文を読んで、
色々考えた挙句、
最終的に私はその人から離れようと思った。

変に別れを告げるのもどうかと思い、
自然な収束へ向かえばいいなと、
私もその人へ自分の内心を吐露してみた。

すごく端的に要約すれば、
「私とあなたは全く違う感覚を持った人だったみたい」
という内容である。

内心を表に出してみるって、
自分に寄り添える人物を探す上で
非常に重要なことだと知ったから、

早速、私の反省を私の挙動に
反映させてみたのである。

気づいた時から、行動は改めるべし。


その人の内心に対抗するような性質の
私の内心を読んで、
きっとその人はひと目見て「合わない」
と気づくだろう。

私も家族以外の第三者には初めて出したので、
私が感じたのと同じく、
ちょっと衝撃的だったかも。

でも、これで自然と距離ができたなら、
それがお互いにとって一番なのでは
ないだろうか。

そう思うこと自体、その人の博愛とは
一線を画すのだろうか。

もう行動すればするほど
違いが発見されてばかりで途方に暮れる。

ああ、こうやって
人との縁は再整理されてゆくんだなと思った。

そして、その人も私も、この先
自分の内心に沿った人脈が
展開されてゆくことを
静かに願いましたとさ。


以上、2つの久々の出会いがもたらした
興味深い経験のご紹介でした。

画面の向こうの誰かにも
私の人柄が伝わったりして。


ではでは。












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