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いきなりですが

これまでtumblrで文章を書いていましたが、ここ最近で言語化することの大切さを嫌というほど思い知ったので、改めて文章を書くことにした。

駄文ですがお付き合いください。

ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2021(以下ロッキン)開催中止のニュースが、7/7お昼ごろに発表された。

正直、このタイミングで中止が発表されることは予想だにしていなかった。JAPAN JAMも成功していたし、今年はなんとしても開催するだろうなと思っていた。全ラインナップ、タイムテーブルが発表された矢先のニュース。

めちゃくちゃ動揺した。発表されたタイミングでは緊急事態宣言の再発令のニュースも出ていなかったし(その日のうちに再発令が示唆されるニュースが出たけど)、最初Twitterで記事を見た時は、「え、なんで?」と思った。

そして、ロッキンの公式HPに掲載された、渋谷さんの悲痛な声明文。今年私自身は行く予定ではなかったけれど、あまりに悔しさが伝わってきて涙なしでは読むことができなかった。

何を大袈裟な、と思うかもしれないけれど、大小は兎も角、イベントを1つ作りあげるまでにどれだけの労力がかかっているのか。それも日本で3本指に入る大型フェスティバル。開催に向けてかけられた時間、人の思い、そしてお金。東京の隅で小さなイベントを組むことにだって、あれだけの労力を必要とするのに。

茨城県医師会が要請を出し、そしてロッキン主催サイドは中止または延期を迫られ、開催中止を決断した。

勿論、医師会が感染予防が難しいのであれば中止または延期を要請することは理解できる。団体として正解だと思う。

ただ、その過程があまりにも杜撰で、忖度したと言われても致し方ない、とは思う。

ロッキンが中止になったことに対して、同じ県内で実施されているJリーグや、開催予定のオリンピック、聖火リレーが対比にあげられているが、私はこれらを中止にしてほしいとは思っていない。そうじゃないんだよ。

私は、スポーツを、他の文化を悪者にしたいわけではない。正直オリンピックも他の競技観戦も、映画もミュージカルも舞台も、全部うまく開催できたらいいと思っている。その中で、なぜここまで音楽や映画や舞台などのカルチャーだけが槍玉にあげられているのかは理解できないけれど。

コロナ蔓延禍において、ほとんど日本に住んでいる人々の全員が、何かしらの場面で我慢を強いられていると思う。感染を抑え込むには我慢が必要だと理解していたからこそ、イベントやライブを数知れず諦めたし、今は仕方ないよね、と言い聞かせて生活してきた。それは決して私だけに限った話ではないことは理解している。

私が悔しくて、怒っているのは、オリンピックが開催されることではない。(勿論今の状況で開催するの、ちょっと無理ない?とは思っているけれど、今書きたいのはこれじゃないので割愛する。)

私が愛しているものが、無下に馬鹿にされ、投げ捨てられていると感じているから、その状況が余りに悔しくてやりきれない。書いていたらまた涙が止まらなくなってきた。

誰かにとって、スポーツや、映画やミュージカルが、とても大切なものであるように、私にとって音楽は欠かしたら生きていけないぐらい大切なもので。

スポーツで生計を立てている人がいることと同じように、音楽で生計を立てている人もいるわけで。メジャーからインディーズまで、大小かかわらず生活がかかっている人がいる。アーティストだけでなく、その後ろでアーティストを支える人たち、そしてライブ制作に携わる人たち。その過程には音楽を作らない人だって存在している。それはどの職業だってそうだよね。

私はアーティストのように音楽を生み出すことはできないけれど、私にとって音楽は生活である。音楽をここまで激しく排他する様子は、どうしても許せなかった。当たり前じゃない?愛しているものを馬鹿にされて許せないの。普通だよね。

私がこれを書いたからと言って、何かを変えることができるわけではないけれど、今私ができることは自分の中に思うことを閉じ込めることではなく、表明することだけだと思ったので書いた。

音楽を愛する人々は、誰かを排斥したいなんて思っていないよ。私はただ、みんなが今このコロナ禍でも少しずつ幸せになれるようになったらいいのになと思っています。誰かが不幸にならないと幸せになれない世の中なんて望んでない。

ロッキンの中止は本当に残念ですが、この先開催に向けて動いている他のすべてのイベントが(音楽だけでなく)、どうか無事開催し、成功に向かえることを願います。


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