見出し画像

自分の話をしようとするとなんかドロドロした恋の話になってしまうの巻

自分のことを話したり書いたりするのがなんかちょっと苦手です。

夫と付き合って11年。
実家で話すことといえば夫があーしたこーした、夫と〜に行って夫は〜と言っていた。
そんなことばかり。

そういえば夫の前に付き合っていた人の時も、周りの友達にその人の話ばかりしていたような気がします。

私は「自分」というのがだいぶ希薄です。
中高生の頃は「私はカメレオンだ」と思っていました。
幼い頃から人の顔色を伺い、怒られないように振舞ってきたせいか、なんのグループにも所属していませんでしたが、誰とでもそれなりに馴染めてしまう、そんな子供でした。

中学時代、一生懸命「私は愛されてはいけない、幸せになってはいけない存在だ」と自分に言い聞かせていたことを覚えています。また、怒りの感情は悪だと思っていて、必死になくそうとしていました。
なんでそんなことを思ったのか今となっては思い出せませんが、怒りは未だに行方不明です。

もっと幼い頃は「私を見て!!!!」がかなり強い子供でした。
運動以外なら何をやっても人並み以上にできたし、基本的に褒められたりおだてられたりするのが大好きで、どんどん伸びるタイプの子供でした。

親からは「あんたはおだてると調子に乗る」「あんたはできて当たり前」とよく言われていました。
私はできて当たり前だったので、たとえテストで100点を取っても親から褒められた記憶はありません。

不登校から復帰して中学に入っても、なぜか体育以外の成績は上の上。ブランクなにそれ美味しいの?状態で中学校生活が始まりました。
しかし、両親は私の成績を加味せず、家で勉強しないから、という理由だけで塾に放り込んだのです。未だに納得がいきません。

楽しくない中学生活、学校より厳しい塾での勉強……。
なーんにも楽しくなければ、入塾したおかげでどんどん伸びていく成績にも親は無関心でした。だってできて当たり前だから。
気づくと、成績は平均90点に僅かに届くか届かないかまで伸び、学年4位まで上り詰めていました。
親は喜びませんでしたが。

高校に入るとトントン拍子で彼氏が出来ました。
親に「あの子はチャラいからダメ」と反対されましたが、いろいろ興味もあったので無視して付き合っていました。
あいては小中の同級生だったので、友達感覚が抜けないまま「しばらく一緒にいればいつか好きになるよね」と軽い気持ちで一緒に遊んでいました。

ただ繁華街に行って、ぶらぶら歩いて、おしゃべりして、プリクラ撮って……。
というデート?ばかりしていましたが、それだけで楽しかったです。
別の高校の子だったので、部活の話とか学校のこととか聞くのが好きでした。

しかし、そんな日々も長くは続かず。
私の高校生活が忙しすぎたんですね。好きになるにも時間が足りず、会う暇もなくなってしまい、お別れになりました。
交際期間は2ヶ月くらいだったかなと思います。

その後、2年生になると一個上の先輩とお付き合いを始めました。
1年くらい付き合って、その間、彼の家に掃除をしに行ったり、夏祭りに行ったり、なんだろうな、ウブでピュアでプラトニックな恋をしていました。
私から告白したのもあり、彼自身飄々とした性格だったのもあり、常にちょっとした寂しさは抱えていましたが、「追いかける恋」に必死になっていました。
別れたあと、ショックで不登校になってかなり荒れてしまいましたが。

荒れていた頃に好きになった人がまたタチの悪い同級生でした。
今で言う、「どしたん、話聞こうか?」の典型例でした。

絶対私に「好き」とは言わないのに、言葉巧みに色んなことを誘導されていました。
こういうタイプは好きになってしまった時にはもう遅い。
学校ではあだ名で呼ばせるのに、2人きりの時は名前で呼んで、と言うし、学校では友達として雑に扱うのに、2人きりになるとやたらめったら扱いが甘くなります。
でも絶対に「好き」とは言ってくれないし、彼女にもしてくれません。
女遊びが酷くて女子生徒から避けられていること、私とは別に、どこかに本命彼女がいたことを後々風の噂で聞きました。
夢中になるともう頭がお花畑になるんですね。
2番目でいいから!と思っていました。
この頃、シドを死ぬほど聞きまくっていたのを覚えています。

因みに、一個上の先輩の時はあまりに私に振り向いてくれないせいでYUIのNamidairoを毎日歌っていました。
メンヘラか。メンヘラです。
しかし、西野カナではありませんでした。

さて、2番目の女と判明し、私と付き合う気なんてサラサラないよなー……と思っていた頃に告白してきたのが今の夫でした。

夫は中学の同級生で、なんかパッとしない暗い男の子がいるなー、でも顔は悪くない、けど、どこからどう見ても厨二病だし、同じクラスになっても1人で居るだろうし、一生関わることない人だと思っていた人でした。

時は高校3年生の9月。
再会した時に、なぜか私の名前を覚えていて驚きました。そして、聞いてもいないエロゲーの話を一方的にされて「なんだコイツは……」とビックリを通り越してドン引きしたのを覚えています。

それから何度かバッタリ会うことがあり、やはり聞いてもいないのにやれ料理が趣味だとか、家でクマノミを飼っているだとか、大学は群馬に行きたいだとか、学校の決まりで防衛大を受験することになっているだとか、整ってはいるけど表情のない顔で喋ってきます。
当時私は荒れに荒れていたけど、気持ちだけはイケイケだったので「今どき料理が趣味な男の子はポイント高いよ!君の彼女になる子は幸せだね!」とよく分からないお世辞を言いました。
数日後、告白メールが届いて3度目のビックリでした。笑

断る理由もないし、顔だけ見れば知り合いの誰よりイケメンです。
背も高いし、すらっとしてるし、何より大学生になったら群馬に行くんだから、ちょいと遊ぶくらいには丁度いいと思ってOKしました。

まさか結婚するとはね。( ˙꒳​˙ )

付き合い始めた頃は酷いものでした。
全く目が合わないし、表情筋は死んでるし、人の気持ちは考えられないし、貴様はロボットか!と何度思ったことでしょう。
しかも、遊びに行く時はだいたい雨です。
女性物の花柄の傘を持ってきた時はひっくり返るかと思いました。
自分の傘を持っていないからおばあちゃんの傘を持ってきた、と言われ、何も言えませんでした。
高校時代のデートの思い出はあまりないです。
たまにファミレスでパフェを食べてたくらい?
なんだコイツ感、やばかったです。

まぁいい、私の本命は同じ学校の女遊び酷いやつだから(ひどすぎる)。

結局、夫は防衛大も群馬の大学も落ち、県内の実家から通える大学に進学しました。
本命は浪人しました。
私は県内ではあるけど、実家からは通えない距離の大学に進学しました。

本命とはここで一旦関係が切れますが、夫との関係が進展したかと言うと、ロボットはすぐには人間になれないので一進一退でした。
私はやはり荒れていたので、大学で勉強しつつ、いろいろと遊んでいました。

2年生になると、本命が同じ大学に入学してきました。
正直、私の通っていた高校出身者で、浪人してまで入ろうと思うレベルの大学ではありません。しかも、かなり偏差値の低い学部に入学してきたので、あんた何やってんの???と本人に言った記憶があります。何も言われませんでした。

そこからなんとなく本命とも友達として遊ぶ機会が増えたりしつつ、私はうつ病になって実家に戻ります。

その頃になると夫は少しずつ笑うようになっていて、鬱で寝込んでいる私のところにお見舞いに来てくれたり、外に連れ出してくれたり、食事が取れない時にはスニッカーズを買ってきてくれたり、一生懸命支えてくれました。

3年生になって、遊んでいた人たちとの関係を全部切りました。

4年生になって、いよいよ院試だという時に、夫から大学の中退が決まったけどどこにも居場所がない……と死にそうな感じで連絡があり、2週間ほど一人暮らしの部屋に呼びつけて強制的にお世話をしました。
私は勉強したいのに、お構い無しにカンバーバッチのシャーロックを見ていたことにムカつきまくってたのをはっきりと覚えています。

結局私は院試に落ち、夫も中退し、2人仲良く地元に戻ります。
私の鬱は治らないまま、レジのパートを経て学童の先生になり、夫は就職し、28歳でバタバタ結婚し、結婚後半年で妊娠し、今に至ります。


なんだろうな、自分のことを話そうとすると、うつ病か、つまらなかった学校生活か、女遊び激しかった人にねじ曲げられた貞操観念ガバガバの恋愛の話にしかならないんですね。
しかもどのエピソードも割と悲惨。

こんな話、誰にできるかっての!
これから先の人生、当たり障りのない平凡なエピソードが増えることを願っております。

追伸。
ロボットだった夫は今、よく笑い、よく食べ、よくジングルベルを歌い(クリスマスの時期になるとお正月の歌に変わる)、仕事と家事を頑張り、一緒に出かけても雨が降らなくなり、しかし傘は無くすので持っておらず、よく忘れ物をし、都合が悪くなるとキスと変な笑顔で誤魔化し、私の遊びまくっていた過去に何も言わず、一緒にいる日は妊娠して大きくなった胸を触りつつ「オッパイデッカ!オッパイオモイ!メロン!」と鳴き、背中をかいてやるとンフンフ鳴き、化粧をすると「カワイイヨ!」と鳴き、ぷにぷにのお腹を触ると悲しそうな顔をして「ヤセルカラ……」と言います。
私が体調不良で実家に帰ろうとするとすごい勢いで拗ねます。
もうロボットみたいなんて口が裂けても言えません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?