よろこびがない

ここ数日、夜になると母への憎しみが溢れてくる。
出産予定日が近づき、ただでさえ心身ともに不安定になっているせいか、忘れていたことまで溶け出した溶岩のようにダラダラと心の中に流れ込んでくる。

妊娠がわかってからずっと、産まれてくる子には私みたいなつらい思いはしてほしくないと強く思ってきた。

というのも、3つ年の離れた妹からお菓子を取られたら「残している方が悪い」「いつか妹ちゃんから恩返しがあるから(我慢しなさい)」と、ろくに妹を叱ることなく私に我慢を強いてきたから。
また、妹と喧嘩して殴られたり蹴られたりして泣いていると「逃げないのが悪い」「妹ちゃんは手が出るのわかっているんだから逃げなさい」と、これまたろくに妹を叱ることなく私が責められた。

物心が着く頃になると、私の顔を見ては吹き出し、「顔が丸くてアンパンマンみたいだ」と笑い、「妹ちゃんは私(母)に似て鼻の形がキレイだ」と言われた。

幼稚園の頃から先生にはよく褒められていたが、母は褒めてくれなかったし、抱きしめてもくれなかった。

小学校に上がると、どうやら私は勉強が得意でテストもいつも95点以上ばかりで、通知表の唯一の「頑張りましょう」は給食だけだった。
それでも母は褒めてくれず、いつも「宿題をしろ」「勉強をしろ」と口うるさく、学校から愛情不足を指摘されても認めなかった。
結果、私は小3で摂食障害になり、小6で不登校になった。

不登校になったときは凄絶だった。
学校に行きたくないわけではなかった。
ただ、どうしても朝起きてランドセルを背負って玄関を出ようとすると気持ちが悪くなって足が一歩も動かなかった。
毎日母に「学校に行け」と責められ、私も「明日こそは頑張るから」と翌日の準備をして寝るのだが、朝になると強烈な腹痛と吐き気で動けない。
カウンセリングに通って少しずつ回復はしたものの、母は何度か私と無理心中をしようと画策したらしい。
私が教室に復帰したあと友達から聞いたが、私が休んでいる間に母が泣きながら花束を持って学校に来たので、私が死んだのだと思ったのだとか……。

どうにか中学生になって、不登校のブランクのため勉強についていけるか不安だったが、それも杞憂に終わり、いろいろあって友達は積極的に作らなかったが、勉強面でも生活面でも優等生の立ち位置にいた。

勉強は授業中集中して覚えるタイプだったので自宅では課題くらいしかしなかったが、やはり母からは理解されず、「家で勉強しないから」という理由だけで塾に放り込まれた。

学校で集中して授業を受け、部活をこなし、帰宅して急いで塾の課題をし、バタバタ塾に通う日々が始まった。
私が入れられた塾は、とにかくスパルタで詰め込み教育だった。
成績順で3クラスほどあったが、私はいつも1番上のクラスにいた。
当然だ。学校のテストだっていつも上位10位以内だったのだから。

生まれつき虚弱体質で人より体力がなかった私は、だんだんと学校と塾の二重生活に限界を感じるようになった。
3年生になる前に体を壊して塾を辞めた。

不登校中に母に決められていた高校に進学したが、そこもスパルタで詰め込み教育だった。
2年生までどうにか頑張ったが、3年生になる前に人生で初めて本気で好きになった人との別れを経験してすべてが崩れ落ちた。
ギリギリで保っていた精神は一気に崩壊し、日頃の疲労と睡眠不足から学校に行けなくなった。
母は二度目の不登校で私のことを割りと無視していたが、うつの症状で落ち込み始めると鬼の首を取ったように詰り始めた。
私が「もう死にたい」と涙ながらに訴えると、母は台所から包丁を持ってきて「お前を殺して私も死ぬ」と突きつけてきたこともあった。
殺される、と思い、初めて父に助けを求めた。

それでもどうにか高校を卒業し、一般入試で大学に進学した。
もう私の心はボロボロだった。
友達はいらなかった、真面目に勉強してカウンセラーになって、私みたいな子達を救いたい一心で頑張っていた。

頑張っていたのに、2年生の夏にうつ病になってしまった。
学校の先生と面談をし、しっかり単位を取っていたので休学ではなく自主休講の扱いで実家に戻った。
母と精神科に通い、うつ病と同時にアダルトチルドレンであること、母と共依存の関係にあることを指摘された。

どうにか大学はストレートで卒業できたが、カウンセラーにはなれなかった。うつ病でそれどころではなかった。
それどころではなかったが、就職を迫られたので、パートタイマーとしてスーパーのレジ係を始めた。
うまくいくはずがなく、研修が開けてすぐ休職願いを持っていくとその場で自主退職という体ではあるが、実質クビになった。

うつ病は未だに治らない。
母はずっと私のことを見ているはずなのに、うつにもアダルトチルドレンにも共依存にも関心がないのか、理解できないのか、何かあればとりあえず私のことを責める。

夫の悪口も言われるし、結婚する前は私が夫に懐くのが気に入らなかったらしく八つ当たりもされたし、妊娠がわかって以前より私のメンタルが不安定になって泣いたりすると「アンタと夫くんのところに産まれてくる子が可哀想だ」と言ったり、「子供が産まれたら夫くんを頼らなくていいように学び直して就職しなさい」「アンタがつらい思いをしてきた分、子供はきっと恩返ししてくれる」「夫くんと離婚しなさい」「アンタの体が心配。アンタが生きてさえいればいい」「母親になるんだからアンタがしっかりしないでどうする」「そんなに実家の居心地が悪いなら夫くんのところに帰ってもう帰ってこなければいい」「世の中には誰も頼る人がいない妊婦さんもいるし、シングルマザーだっている。アンタはそれでも泣き言を言うのか」などなど言われた。

母は思い込みが激しく、被害者意識も強いので、ストレスと疲れで私の涙腺が決壊したときも「どうせママが悪いんでしょ!」と責め立てられた。
どれだけ違うと説明しても、私の意見なんて聞き入れてくれない。

昔からそうだった。

自分に都合の良い解釈しかしてくれなくて、私が気を使ったり折れたりするのが当たり前だった。

出ていけるものなら出ていきたいが、現実問題、夫は多忙を極めていて自分の病院にすら行けない状況で、私はうまく身動きが取れず、気を抜くと涙が溢れてきてしまう。

妊娠してからずっと悩んできたことだが、これからどう生きていけば良いのだろうか。

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