校庭で愛を叫んだ少年
「Oくん、はなまるちゃんのことが好きだって校庭で叫んでたよ」
クラスメイトがこっそり教えてくれた内容に、私は「嘘だ~」と返した。
たしか、小学校3年生か4年生の頃だった。
周りの女の子たちが少しずつ誰々くんが気になる、という話で盛り上がり始めていた頃、隣県から転校生がやってきた。
転校生のOくんは飛び抜けてイケメンというわけではなかったが、爽やかで人懐こいスポーツマンで、一瞬にしてクラス中の女の子のハートを鷲掴みにした。
Oくんはみるみるうちにクラスの中心人物になり、彼の周りにはいつも人がいた。
Oくんには転校前の学校に好きな子がいたという話が広まると、クラス中が色めき立ち、初恋もまだな子が多かった周りの子たちは「Oくんってプレイボーイなんだね!」と憧れを強めていった。
そんなある日、Oくんに好きな子ができたという噂が流れてきた。
その頃にはすでに、女子たちはあちこちで「私Oくんが好きなんだ~!」「私も~!」などという会話が飛び交っていた。
私はというと、Oくんは男女問わず大人気だな~なんて他人事のように思っていた。
当時の私は誰かに夢中になるより、ボール遊びの方が大事だった。
だから、ときどき「はなまるちゃんは誰が好きなの?」なんて聞かれてもはぐらかすばかりだった。
なんなら、Oくんより幼馴染の男の子の方が気になっていたくらい、Oくんとは関わりがなかったし、気にもしていなかった。
それからしばらく、Oくんの好きな子探しが始まった。
男子も女子も、人気者なOくんのハートを射止めた子が気になってしかたなかったのだろう。
私も何度かOくんが数人に囲まれて「教えろよ~」と絡まれていたのを見たことがある。
まぁ結局、Oくんの好きな子はどうやら私だったらしいのだけれど。
それは突然だった。
理科室からの帰りだったろうか。
ある女の子が急に私に話しかけてきて、「Oくん、はなまるちゃんのことが好きだって校庭で叫んでたよ」とニヤニヤしながら言った。
私は嘘だと思ったし、からかわれているのだと思った。
だって、私の家は学校の目の前にあるのだ。チャイムの音だって聞こえる。熱を出して休んだ日には給食の匂いが漂ってくるし、お昼の放送も聞こえるし、昼休みに校庭で遊ぶ子どもの声も聞こえるのだ。
Oくんの叫び声が聞こえないわけがない。
しかし、近くにいた男の子も「俺も聞いた!」と言ってくる。
Oくんのことは本当に何とも思っていなかったのでついぞOくんに真偽を聞くことはなかったが、その日からだんだんと「Oくんが好きだ」と言う子は減っていったように思う。
結局Oくん本人から直接気持ちを聞くこともなく、Oくんや周りの子たちから私の気持ちを聞かれることもなかった。
のだが、それから不思議なことが起こり始め、私は”Oくんの告白”を本当なんだと思わざるを得なくなった。
大前提として、私は一度もOくんと遊ぶ約束をしたことがなかった。
というのも、ふだんつるんでいるメンツが違ったからである。
Oくんは先述したとおりクラスの中心人物で、いわゆる一軍男子だった。
対して私はさえないというか、運動音痴で男勝りな女でも文句も言わず一緒に遊んでくれる優しい男の子たちと遊んでいた。
私がいつもの仲間たちと「今日はどこどこ公園に集合ね~」なんて約束して、帰宅して早々ランドセルをほっぽりだして公園に行くと、なぜかいつもOくんがいた。
最初は偶然ってあるんだな~なんて思っていたが、行く先行く先、Oくんが現れる。
Oくんは私達の遊びの輪に入るでもなく、ふらっと現れては男子と少し話してまたふらっといなくなっていた。
そのことを「不思議なこともあるのね~」なんて母に話したこともあるが、母は当たり前のように「Oくんはあなたのことが本当に好きなのね」と笑っていた。
今思えば、Oくんの気持ちに気づいていなかったのは私だけだったのかもしれない。
また、Oくんは、いろんなものを私にくれた。
あるときは旅行のお土産に根付を、またあるときは故郷で買ってきたという陶器でできたうさぎのストラップを、またあるときはクリスマスプレゼントと言って小さなメモ帳をくれた。
当時の私は、みんなにあげているものとばかり思っていたが、うさぎのストラップをもらった時に「これはガチなやつかもしれん……」と思った。
その頃になると、私もだんだんとOくんに惹かれていた。
Oくんが転校してきて半年くらいが経っていたような気がする。
相変わらずOくんは私の行く先々に現れたし、ちょっとずつではあるが会話をすることもあった。
強烈に記憶にあるエピソードが3つあるのだが、覚えたての英語で「What animal do you like?」と聞いて「I like rabbit」と答えてもらったときの嬉し恥ずかしさは過去類を見ない。
その日急いで帰宅した私は、不器用ながらに白いフェルトでうさぎのマスコットを作った。初めて作ったのでどう見ても餃子だったが、Oくんはうさぎだと気づいてくれた。
それからそのうさぎ餃子は、長いことOくんの筆箱にぶら下げられていた。
今思い出してもドキドキする。
2つ目は、Oくんからもらったうさぎストラップをどこかに落としてなくしてしまったこと。
その日は4年生の音楽発表会の日だった。
うさぎストラップはエレクトーンのレッスンバッグに付けており、その日はランドセルではなくレッスンバッグを持っていたのだが、発表会の帰りにストラップがちぎれていることに気づいた。
いつもならキーホルダーをなくしても「仕方ない」とすぐ諦めるのだが、その日は泣きそうになりながらうさぎストラップを探した。
なくしてしまった申し訳無さと悲しさでいっぱいだった。
しばらく落ち込んでいたと思う。
3つ目は、私が6年生で不登校になり、久しぶりに教室に復帰する日に、一番にOくん含む数名の男子が迎えに来てくれたこと。
当時、私が不在の間に私のクラスは学級崩壊を起こしており、それはもうひどい有様だったらしい。
私を一番に迎えに来てくれたOくん含む数名の男子が中心になってクラスで暴れていたそうで、担任は彼らを御せなかったそうだ。やんちゃな子たちだったので、話を聞くだけで納得してしまった。
しかし、私としては、一番に「よく来たね!」と笑顔で迎えてくれた彼らは予想外で、だからこそとても嬉しかったのを覚えている。
なんなら、さんざん休んでいる間に家に「早く元気になってね」と押しかけてきていた女子たちがのろのろだるそうにやってきたことがショックで、さらに感動した。
もう一つ付け加えると、私が教室に入れるようになって、歓迎会と称したレクレーションをしてもらえることになった。たしか野球だったと思う。私が運動音痴なの、誰も知らなかったのだろうか。
私がバッターになる順番が回ってくるも、一向に球が打てない。バットがかすりもしない。当たり前だ、野球なんてやったこともなければ体育の成績は2だぞ。本当に担任は何を考えていたのだろうか。
その時ピッチャーをしていたのは、学校で一番暴れていたKという男の子だったが、彼は私に「当たるまで何度でもゆっくり投げるから打て」と言ってくれた。
3振どころの騒ぎではないほど空振りしたが、彼のおかげで私はどうにかバットに球を当て、頑張って走った。余裕でアウトだった。でも、Kのおかげでちょっと楽しかった。
また別の日に、今度はドッジボールをして顔面にボールを喰らったのはいい思い出だ。
さあ、そんな復帰劇だが、後日母から聞いた話によると、どうやらOくんは私が不登校になった原因は自分たちが暴れたからだと悩んでいたらしい。どこまでも優しい男の子である。そんなことないのに。
ちなみに、私にも不登校になった理由がわからない。きっかけはマイコプラズマ肺炎と小児喘息の発症で、病気が治っても学校に行こうとしたらひどい吐き気で身動きが取れなくなっていた。ただそれだけ。
……そんなこんなで、小学校3年生くらいから小学校卒業まで、Oくんにはどうやら好かれていたらしく、私も淡い恋心を抱いていた。
中学校に入ると更にヘンテコリンな恋をすることになるが、それはまた別のお話。
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