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「母」というものの偉大さを知った

5月5日、夫が熱を出した。
GWが始まってからバーベキューにTRPGの集まりに飲み会にと、私のことをほったらかしにして遊び回っていたので、これはコロナに違いない!と戦慄したものの、検査では陰性。
そのまま数日すれば熱も下がるかしら……、と思っていたのだが、夫は「おしりが痛い」と言い始め、熱はどんどん上がっていく。
38℃まで上がった熱と、左臀部~左足をかばってヨタヨタとしか歩けない夫。整形外科を受診したら「神経痛」と言われたようだ。
そして現在進行系で腰~脚の痛みで熱が39℃近くあり、痛み止めの副作用か、胃腸の働きが鈍り、ガス溜まりに苦しんでいる夫の看病と、家事と、持病のうつの調子が悪く限界が近い私である。
1週間以上熱と激しい痛みが続くのは辛いだろうが、私は夫が呻くたびに駆けつけねばならぬ。パンツも一人では履けないのだ。汗をかいたら体を拭いてやらねばならぬ。折を見て水分補給と室温の調整をしてやらねばならぬ。リモコン式の電気すら自分で消せないのだ。「自分でできる」と言われるが、何ができるというのだ。

今回は、GW中から続く夫の看病をしんどく思うかたわら、実家の母の働きぶりを改めてすごいなと思ったので、自戒を込めていろいろ書いてみようと思う。


夫について

夫は私と同い年で、中学の同級生である。
身長は私より18cmほど高く、体重は倍以上だ。
極度の構ってちゃんで甘えん坊、しかし、やると思ったことはなんとしてでもやり通さないと気がすまず、頑固で自己中心的なところが多々ある。
痛みには敏感なのか鈍感なのかわからないが、とりあえず限界まで我慢。
限界まで我慢するせいか、単に大げさなのかわからないが、この世の終わりみたいな痛がり方をする。
薬と病院と身内に頼るのが大嫌い。
料理、ゴミ出し、風呂掃除、買い物などの家事は進んでしてくれる。

母について

私が結婚するまでいろいろと確執があった。
基本的には悪気はないが、おせっかいかつ心配性。
本人がいわゆる毒親育ちのため、愛情表現が下手くそで、とくにスキンシップなどに難あり。
ややヒステリーなところがあり、他人の感情に左右されがち。
私はどうやらACらしいが、母は私が幼い頃から、私のことは戦友というか同じ目線(子供としてではなく)で接してきたらしい。
家事、育児、仕事、祖父(母から見て義父)の介護、祖母(母から見て実母)との確執・介護と、家庭のことはほとんど母がワンオペでやっていた印象が強い。
最近は母も肩の力が抜けたのか、性格が丸くなり、父とのデートが楽しみな様子。
今年65歳になるらしいが、家事も仕事も頑張っている(料理は妹と父が分担しているが、掃除洗濯などは母主体)。

私について

うつ歴9年目の手帳持ちアラサー。
自律神経が弱く、不安が強い心配性。ストレスが掛かると腹痛と希死念慮と自信の喪失が起こる。
ACのせいで人の顔色を必要以上にうかがってしまい、悪い方に考えてしまう。
人と親密な関係を築くのが大の苦手。
食がめちゃくちゃ細く、体重は30kg台。なかなか増えなくて困っている。
洗濯と洗い物と誰かの役に立つのが好き。
リフレッシュ方法は川や海、林や山など、自然に触れること。
臆病で出不精で繊細で優しくて弱い印象を他人に与えるらしいが、知らない人相手なら割と強気に出られるし、億劫なだけでしようと思えば手続きとか電話連絡とかもそれなりにできる(しかし、うつで動けない日も多いので、心の準備と体調調整が必要)。
鬱の状態がよくないので専業主婦をやらせてもらっている。


私と夫のふだんのくらし

上記の通り、私はうつと自律神経の関係で動けない日が多い。
現在は2日に1回元気な日があるので、その日に私ができる限りの家事(食器を洗ったり、麦茶を作ったり、洗濯物を洗ったり、特に元気が良い日は食料の買い出しに行ったり)をする。
このとき気をつけるのが、夫が帰ってきたときに疲労で動けなくなるまで頑張らないこと。
夫は私が元気な姿を見たいと言ってくれているので、ある程度余裕のある状態でいることを心がけている。
たまに私が食事を作ることもあるが、手際が悪いのと、料理はあまり好きじゃないので、手際の良い夫が仕事の後にサッと作ることが多い。
元気がない日は一日ボーっとしているか、お洗濯と洗い物だけしかしなかったりもする。
そんなときは残りの家事は翌日に回すことが多い。
トイレ掃除は手間がかかるから後回しが多いが、お風呂掃除は洗濯機を回した日に、フローリングはクイックルワイパーで、カーペットやラグはコロコロで、好きな歌を口ずさみながらお掃除したりする。
専業主婦と言いながら、たぶん家事は夫のほうがしてくれている。


私が実家にいた頃の家族のくらし

私の家族は母中心に回っている。
朝晩の食事は母が作り、洗濯も母がし、お風呂の準備も母がする。もちろん洗い物も母だし、ゴミ捨ても母だ。
父は夕方になると自分で軽い夕食(だいたいサラダ)を作ったり、残り物をチンしたりして、台所でビールを開けながらひとりで食べていることが多かった。
妹は昼間は仕事か友達と遊びにいったりして、夜は月の半分くらいは母の代わりに夕食を作る。彼女は料理が好きらしく、作るのが楽しいらしい。
私は週に1回の仕事に向けて体調を整えるのに必死で、ほとんど家事をしてこなかった。たまに洗濯物を畳んだり、食器を片付けたりが関の山だった。


結婚してからの、母の見え方の変化

昔から「母みたいにはなりたくない」というのが私の中ですごくあった。
お盆と正月は父の親戚が実家に集まり、母はほぼ一人でおもてなしをし、酔っ払った父や親戚たちに気を使い、疲れ果てて寝ていた。
盆正月じゃなくても、母は働き詰めだった。
朝から晩まで仕事をし、仕事帰りに夕食の材料を買い、帰宅したら夕食と風呂の準備の日々だ。休みの日は家中の掃除と何らかの買い物で一日が終わる(フォローすると、父は男尊女卑ではなかったし、昭和の男なのに母に頼まれれば文句も言わず動いている。母が介護していた祖父も穏やかで、大正生まれなのに気難しかったり怒ったりしているところはほとんど見たことがなかった)。
そういうのを幼い頃から間近で見てきたので、私は絶対母のような暮らしはしないぞ。と思っていた。

いざ結婚して、夫は家事にも協力的だし、私が動けない日も「君は最初から家事をしない体で結婚したんだから気にするな」と罪悪感と私の人権はどうなっているんだ?という気持ちを湧き上がらせるようなことを言いつつ、許容してくれる。
正直言って、すごくらくだ。

すごくラクだと思っていたのだが、今回夫が高熱と神経痛(炎症?)で倒れ、家事どころか夫の世話が私の仕事として食い込んできた。
思っていた10倍くらいしんどい。

夫は何もできない幼子じゃないはずなのに、パンツが一人で履けない。
汗をかいてもほったらかしにするので、気づいたらボディシートで拭いてあげる。
冷蔵庫のお茶やポカリも自分で取りに行かないので、折を見て持ってきてあげる。
薬を車に忘れてきたから飲まないとダダをこねるので、駐車場まで取りに行ったし、飲むのを忘れるので水とセットで渡してあげる。
ご飯はお腹が空けば自分で予備のレトルト食品を食べるが、自分の分しか準備しないし、私が準備するまで待っていることもある。
痛いからってすぐ唸る。痛いのはわかるが、あんまりひっきりなしに「痛い」とか唸ったりされると心配で気が気でなくなるし、大丈夫?と聞くと強がって「大丈夫」と言ったりするので、ストレスが溜まる。
病院に行くときに保険証からお薬手帳から財布から携帯まで準備してあげないと忘れる。
冷えピタは冷たいし、すぐ剥がれるし、部屋は蒸しているのに毛布と布団をかぶっているので熱中症が心配だ。窓を開けようとすると嫌がる。

なんということでしょう。

私には子供はいないのに、なぜ、幼い子どもにするように成人男性のお世話をしなきゃいけないのか。
それは夫が不調だからしかたのないことかもしれないが、ちょっとこれはあんまりだと思ったのと同時に、実家の母はリアル赤ちゃんだった私と妹のお世話を20年近く続けて来たんだなぁと思うと、頭が上がらなかった。

成人男性は我が子みたいに可愛くない、と言われると、それはそう、としか言いようがないが、認知症じゃない老人介護とほぼ変わらないかもしれない。
夫だから我慢できていることもあるが、母は祖父(母から見て義父)の介護(下の世話含め)を数年ワンオペでやってのけたので、やっぱり頭が上がらない。

これ以上夫の状態が悪化したら私も本当に限界だと思うし、今すぐにでも実家に帰って現実逃避したい。
自分で選んだ夫なのに、こんなことを思ってしまうくらいには追い込まれている。

お母ちゃんはなんてすごいんだろう。
若い頃は母の短所や、自分を縛り付けてくる過干渉さばかりが目について、母がちゃんと私のことを愛してくれていたら、私はこんなに生きづらさを抱えずに済んだのに、と恨んでいた。
母は母で大変な中、一人で踏ん張って立っていたのだと今ならわかる気がする。

私のお母ちゃんはめちゃくちゃ偉大だったのだ。

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