ピョンちゃんジェラシー

 平昌オリンピック、すごかったです。
ここ最近は、録画を見て毎日のように涙を流す日々。
色んなドラマがありました。いやー感動した!よかった!
そんなふうに、ほくほくした嬉しい気持ちとともに、なんとも欲深い気持ちが渦巻いてきてモヤモヤしていました。

 わたし、羽生選手が羨ましくてしょうがないんです。
「お前ごときが!何様だよ!!」な、とんでもない発想ですが、あの演技を見て同じことを感じた人は私のほかにも必ずいると思っています。そういう方はぜひご一報ください(笑)
 
 逆境を乗り越えてトップに立った彼を、画面越しに見ていることしかできない自分。
年下の彼が輝く舞台に立っている一方で、何者にもなれていない自分にすごく焦りを感じました。
 年末に書いた内容と少し被りますがね、、「これだ!」と決めたものに出会えたこと、それを極めるだけの根性や才能、そして見事に大舞台で最高の瞬間を手にしたこと。その全てが羨ましくて仕方がない。
 もちろんそこに至るまでの間、私の想像なんてかすりもしないほどの大変な苦労があったはずで、一番良いところしか見ていないからこんな呑気なことが言えるのだとは思います。

 世界のトップアスリートたちに嫉妬したところでどうしようもないのですが、選手たちのすばらしいプレーに感動しながらも、そうやって「感動を与えてもらう側の自分」という、切ない気持ちがぐぐーっと迫ってきて飲み込まれそうになりました。
 私がテレビを見ながら垂れ流していた涙には、そういう切なさや悔しさみたいなものも含まれていたと思います。

 「何年、何十年か経った時、私も自分の舞台で、それまで積み重ねてきたものや、磨き上げた力を発揮できる日が本当にやってくるのだろうか?」と、普段ふとした時に頭によぎることが、オリンピック中はずっとずーっと離れなかったんです。
 「色んなものが、今の自分がいる位置からほど遠いところにあるな」と思い、ため息がでるような切なさをひたすらに感じていました。

 あぁ、なんかただでさえ寒いのに、余計に体温が下がりそうなことをぼやいているので、さすがにこれで終わらせられない!ちょっとでも体温を上げて終わろう。
 悔しいだの切ないだの言いながらビービー泣いてはいますが、いまの私は、なにをすべきかが分かっているのでそれをやるだけです!
ぼやきたくなる時はあるけど、迷いは無い。

ありがとう平昌オリンピック!
次はパラリンピック!