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渋谷の昔と今

ちょっとした用事が幾つか重なって、今日、渋谷に行ってきた。

せっかくなのでジュンク堂に寄ったら、東急本店付近の路上で、課外授業なのだろうか、小学生達が5〜6人ぐらいでグループになって、3グループぐらいで道行く人にアンケートを取っていた。

僕も見事につかまってアンケートに答えたのだが、おそらく設問項目も小学生達自身が作っているのだろう、ド真ん中ストレートな設問が多く、曰く

「渋谷には何をしに来ましたか」
「渋谷のどんなところが好きですか」
「渋谷の第一印象はどんな感じでしたか」
「渋谷にあったらいいなと思うものは何ですか」
「渋谷で行ってみたいところはありますか」

など、正面切って聞かれるとパッと思いつかない問いも有ったりして考え込んでしまったのだが、最後に何かを聞かれた時(どんな問いだったか忘れた)、僕の答えに小学生の1人が

「昔のほうが良かった?」

と問うてきた。おそらく、予め用意した設問には入ってなかった問いなのではないかと思う。

その問いにハッとした。
僕がそんなことを匂わせたのだろうか。
それとも、いろいろな人にインタビューをしていく中で、そういうことを言う人が多かったのだろうか。
はたまた、地元の小学生の授業の一環であろうことを考えれば、前提にある課題意識として「変わりゆく渋谷」みたいなテーマがあって、「渋谷はかつて勢いがあった」みたいな話が先生から話されたりしたのだろうか。

もちろん小学生相手にそんなことを掘り下げて問うても仕方がないので、その場はいったん「そんなことないよ。いまの渋谷も好きだよ」と答えて別れたのだが、普段改まって考えることもないような問いを真正面から投げられたことで、帰路いろいろ考えてしまった。

そんなわけで、僕が見てきた渋谷についての記憶をたどりながら、つらつらと思い付いたことを書いていきたい。

なお、僕自身渋谷に関係が深いということもこれまで無かったし、インサイダーであったこともないので、渋谷に関する深い話や面白いトピックを書けるわけでもない。ただの一般人の思い出話である。
この先を読まれる方には、その点ひらにご容赦いただきたい。

渋谷の30年前

僕は約30年前に、東京都内の大学に進学したことをきっかけに上京してきた。
いわゆるお上りさんであった僕は、当時のお上りさんな大学生の一典型として、ファッション誌の情報をけっこう鵜呑みにして、渋谷や原宿のショップを巡っては、服を買ったり買わなかったりしていた。(貧乏学生は、そんなにひょいひょい服を買うことなんかできない。)

その頃の渋谷はちょうど、チーマーと呼ばれるチンピラがセンター街から駆逐されつつあり、池袋や町田や大宮といった微妙な地域にチーマーの拠点が移っていくという時期だった。(その背景として関東連合との武力抗争があった、なんて話もあるようだが、当時の僕は関東連合という勢力を全然知らなかった。お上りさんだったので。)

センター街の入口には怪しげな露天が並び、本物かどうかは分からないがマジックマッシュルームと称する物体を販売していたりした。(当時はまだ麻薬指定される前だった。)
そこから一本入った路地では、西アジア系外国人(当時それはイラン人であるとされていたが、真相は知らない)が、偽造テレホンカード(まだ携帯電話が普及する前の時代である)や違法薬物の販売をしていたりした(と言われていた)。

宮下公園の先にある山手線のガード下にはいつもシルバーアクセサリーの露天が出ていたが、ある日、明らかにカタギではない人がその露天をメチャクチャに破壊しているところを目撃したこともある。

渋谷界隈の路上では昼も夜も汚いカッコで道端に座り込んでいるガラの悪い若者がたくさんいたし、自分もそういう者の一人だった。
そういう若者を咎めるような人はそもそも渋谷には近寄らなかった。(と、主観的には記憶している。)

毎週金曜・土曜の夜には、サークルの飲み会に来た酔っぱらいの若者たちがちとせ会館前にあふれ、車道にまで人があふれていた。
一気飲み文化も、やや下火になりつつもまだまだ健在だった時代なので、路上には正体を失った人がよく転がっていた。
「渋谷の路上で寝ていて財布を盗られた」なんて話はありふれたものだった。

当時の渋谷での記憶として、強烈に脳裏に焼き付いている光景が1つある。
道玄坂小路の「壁の穴」という名前のパスタ屋(たぶん、今もある)でご飯を食べていた時、店の前の道を露出の多いドレスを着た女性が全力で走って行き、その後を黒服風の男性が全力で追いかけていく(多分、逃げた嬢を追いかけてたんだと思う)、という光景だ。
その時僕は「東京は何でもアリなんだなぁ」と思ったのだが、今になって考えれば、何でもアリだったのは「東京」ではなく「渋谷」だったのだ。

つまり、30年前の渋谷とはそういう街であった。
ひとことで言ってしまえば、汚くて治安の悪い街だったわけだ。(活気がある、と言えなくもない。)

クラブ

今はどうか全く知らないが、90年代前半の渋谷にはクラブ(ホステスさんがいるところではなく、大音量の音楽がかかっていて客が踊ったりするところ)がたくさんあり、六本木や青山などの比べて年齢層が若く、やんちゃな雰囲気であった。

どれぐらい年齢層が若かったかというと、たまたまその場で仲良くなった女性の年齢を聞いてみたら16歳だった、みたいなことが普通にあった。
入店時の年齢チェックがほとんど無かった時代ならではの、恐ろしい話である。

客の目的はかなり明確に、クラブによって異なっていた。
音楽を楽しむ箱と、ナンパ目的の箱。
インターネットの無い時代だったので、その箱がどういうジャンルの音楽をかけていて、その日どんなイベントをやっていて、どんなローカルルール(というか、暗黙の了解みたいなもの)があるのかは、詳しい人から直接教えてもらう他は、身を以って知るしかなかった。

お上りさんだった僕は、「東京に出てきたからにはこういうところにも行かなければなるまい」と思っていろいろ行ってみたが、そもそも音楽にそんなに興味が無かったのと、今で言うパリピみたいな気質をほとんど持ち合わせていなかったのとで、どうやっても馴染めなかった。当時の僕の実態は、泉鏡花好きの地味な大学生だったのだから、そりゃ当然である。

昔と今

今の渋谷は、どんどんキレイになっていっている。

ドブ川だった渋谷川沿いには、渋谷ストリームという複合施設ができ、よりによって渋谷川をライトアップしている。

その手前には渋谷スクランブルスクエアという、これまたピッカピカの、常人には思いつかないような外装のビルが立ち、その向こうには渋谷再開発の一番手である渋谷ヒカリエがそびえている。
宮益坂下交差点に立つと、それらの綺羅びやかな高層ビルが頭上から迫ってくるかのような錯覚を覚える。

駅から明治通りを北上すると、かつて宮下公園であった場所には「MIYASHITA PARK」がある。(冒頭で述べた小学生からのアンケートで「渋谷で行ってみたいところはありますか」という問いに、苦し紛れに「み、み、みやしたぱーく、かなぁ」と答えてしまった。)
宮下公園といえば、日が暮れてから一人で立ち寄るのはちょっと躊躇われるような場所だったが、すっかり綺羅びやかな場所になってしまい、やはりというべきか、早々に人権活動家と揉めたことがニュースになっていた。

渋谷駅の南口側では、渋谷東急プラザがスクラップ&ビルドされて昨年末に新装オープンした他、桜丘地区では高層ビルの建設が着々と進んでいる。

この30年、僕は、飲食、アパレル、書店、家電量販店などのただの客として、月に2〜3回以上コンスタントに訪れ続けてきた。
他にはこんなにコンスタントに訪れ続けている街は無いので、それなりに思い入れもある。
最近は、訪れるたびに駅の導線が変わっていて閉口するが、それも過渡期の今は仕方ないのだろう。(山手線の玉川口改札閉鎖は地味にショックだったが。)

昔の渋谷の方が良かった、とか、再開発で失われる古き良き渋谷、といった声もしばしば聞かれる。そういう面もあるだろう。
実際、最近できた複合施設に入っている飲食店を利用したいかと言われると否であるし、桜丘の坂の上の小ぢんまりとしたフランス郷土料理店の方が、何倍も心惹かれる。
また、再開発の途上で、よく立ち寄っていた店や、思い出の店がいくつも消えていってしまったのはとても切ない。

ただ、本当に渋谷の昔の姿が「良かった」のかといえば、そんなことは無いと強く思う。

あんなに治安の悪かった渋谷に戻してほしいとは一切思わないし、あのころの渋谷にあった「勢い」は、決して多くの人達が享受できる種類のポジティブな「勢い」ではなかったはずだ。
その状況を打破するために渋谷は、今の大規模な再開発以前から個々のプレイヤーの取り組みとしてもいろいろなテコ入れをしてきたわけだし、ガラの悪いガキンチョではなく、大人を呼び込もうとしてきた経緯がある。(渋谷西武なんて、その過程で完全に力尽きた感があるが。)

この記事が件の小学生に届くことは一切無いと思う(というか、あんまり届いてほしくないし、読ませたくない)のだが、最後に小学生が言った、

「昔のほうが良かった?」

という問いには、改めて「そんなことはない」と答えたい。

もちろん、今後渋谷がどういう姿になっていくか(浄化されすぎてディストピア感が出ちゃったり、とか)によって、「昔もクソだったが、今は別な種類のクソになってしまった」みたいな気持ちになる可能性が無いではないが、期待をもってウォッチし続けていきたい。


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