「聖剣」じゃなくてもできること

もともと私は書く人で歌う人だったんだけど
こっち(九州)きてからどっちもほとんどできとらん……

特に音楽。
子供産んだのもあるけど、カラオケ程度でもあんまりできてません。
文章は最近取り戻してこうやってゴリゴリ書くことができているんですけど
音楽に関しては、特に歌だったがゆえに筋肉死滅してて、もうズタボロすな


フィロのスにどハマりしてるように聴く方はアンテナ貼ってそこそこ楽しめてるのだけれど、自分が演る方については、とんと、ほんとにできてません

スナック行った時に歌った以来か……


これとか最高すぎて何度でも貼る


そう考えてみたら
まじでうたってない。自主練のヒトカラすら年単位で行けてない。

それが、歌い踊る人たちをみてるとときどき苦しくなってしまう理由で
その切なさすらも愛しているから見たり聞いたりするのはやめないんだけど
それでもときどき苦々しさに負けることがあって……


もう、歌っちゃえばいいんだけどね!!
なかなかそんな状況を作れないのは確かなんだけどね!!
とか思ってポケカラしたらこれがまた

信じランないくらいヘッタクソになってましてですよ orz


文に関しても、歌に関しても
自分が研鑽してそこそこ身につけていたものが手を加えなかったが故にボロボロになってしまっているような状況にある、わけです。

しかもボロってる自覚があるから焦りがあってライティングゼミとか受けてみちゃったりしてたりしたくらいですよ全くもう。
(そのうちのひとつが全く自分に合わなくて書けなくなったりすらした)


これってなんかに似てるなぁって思ったら
「怪我をして戦線を離脱していた戦士が自分の戦力減衰を嘆く」みたいな
「いきなり魔力がなくなってしまった魔術師が呆然と座り込む」みたいな
要するに、歌も言葉も私にとって
「この世を生きるためのエモノ」だった
のです

万全じゃないし、うまいとも言えない
何かの役に立つと言えばそうでもないし
人に求められるほどかと言えばそうでもない

そんな、へっぽこすぎるものだとしても
魔物が、罠が、策略が、悪意が満ちるこんな世界じゃ
身を守るためにとても必要な、それによって生かされている
そういうもの、だったのです


そんなもん自分になくて素手で放り出されたように思ってたけど
あるのに気づかず自分でポイしちゃってただけだったんです。


昨日の記事にも書いたけど
怒髪天の益子さんの名言
食うために働き 生きるために歌え」です


自信がなくて
理想には程遠くて
どれほど「できて」いるのかを直視して死にそうに恥ずかしくなったりして
書くこと自体が辛くなってしまったり、歌が苦しくなったり
そんなもんを、たくさん乗り越えてきたじゃあないか、と
そりゃ「木のぼう」じゃなくなってるよな流石に、と

最近やっと思うことができたんですよね


そもそも歌をやってたからこそ、音楽を深く味わうこともできてるわけだし

下手でも、上手くなれなくても
「歌うことが好きで、ずっとやってきていて、自分がたのしい」
そう思って続けていられる
そのことだけで、十分な武器になっていたのでした。

武器ってもっと強いのじゃないと役に立たないと思ってたけど
ドラゴンとか出てこない限り「鉄の剣」でも戦えるんだよね。
身を守る程度になら十分なんだよね。


その剣を持って世界を救いたければ聖剣を探し求めたり鍛えたりすればいい
でも、私は、私の戦いたいメインの戦場はそこではない。


私の一番鍛えた武器は、仕事で発揮されることの多い、知識や学識
それについてはもちろん不足もあるし、力が足りないところももちろんある
でもどんな武器でも特性というものがあって
この武器では、私の心の求めることを全てはカバーできないし
それをカバーするために、歌や言葉を使わなくてはならなかったのです


はー
そっかー
本当、ヒトって多層で多重で多面な存在なんですね。
了見狭かった。
っていうかもっと自分を許しておかないといけないんです、多分

ああ、沁みる。沁みすぎるぞ「フォーカス」
わたしもっと、自分を愛して許すことを学ばないといけません。




それにしても
伝説の剣を持ってる人の声や音を楽しませてもらうことは楽しいですね


そういうもんを手に入れる必要はないんだって悟ったとしても
求めたり憧れたり近づけようとしたりする気持ちを捨てるとは一言も言ってないぞなもしぽよよん


私、それでもやっぱり強欲なんです、よね

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半崎いお
サポートいただけたらムスメズに美味しいもの食べさせるか、わたしがドトります。 小躍りしながら。