藤本タツキ「ルックバック」に寄せて

 
久しぶりに、ただ面白いだけじゃなくて、ぶっ刺さる作品に出会った。大好きなチェンソーマンの作者、藤本タツキ先生の読み切り、「ルックバック」である。 

1回目は、まだ朝ごはんを食べようとしている時に読んだ。ただ書き込み方が凄すぎて脳みそが追いつかないくらいだった。 
2回目以降、少しずつ考察して読み進めて行った。 

とにかくすごい気持ちが湧き上がってきて、言葉にうまく出来ずにいる自分がいた。 

言葉に出来ず、また漫画を読み、それからTwitterの考察も見ていった。 

多分、もう5回以上読んだ。  

その上で、多分あの漫画の  
・認められたかった人に認められること 
・「じゃあなんで漫画描いてるの?」
のアンサー 
・漫画の中では救えたのに、現実では救えない  
 こと。だけど、漫画があったから救われた 
 現実があったこと。 

その3つが一番好きな場面、要所だったのではないかとなんとなく考察した。

これは、漫画、小説、映画、アニメ、音楽、ドラマ…全ての、そして何かの創作物を愛する人にしか分からないはずであるドラマチックな現実だと思った。 

人間は、絶望を前にまだそれを糧にしても生きていこうとできる生き物だと改めて思う。  
絶望して、希望を持てば潰されて、それでも何か小さな光に手を伸ばし、それに縋って生きていく。そんな姿がきっと美しいし、それが生き様ならばカッコ良いと思った。 

チェンソーマンを読んだときにも思ったけれど、人生は残酷で、良い人や優しい人は結果として不幸を被ることも多い。(これは漫画「あひるの空」でも思った)
私が人生を生きる中でもそう思う。私のことを簡単に虐めてきたようなやつも、軽薄に生き、文化というものに何も触れてこなかったような人も、簡単に言えば「リア充」「幸せ」それを掴んでいるように感じてしまう。 

そのような人を否定する気はさらさらないが、 
大抵の人は「人を傷つけたこと」は忘れるくせに「自分が傷ついたこと」だけは忘れないようにできている。それが簡単にできる軽薄な人にはなりなくない。 
逆のことができる優しい人でいたい。  
漫画とか本とか音楽が好きだからってだけでできることじゃないのだが、それでも漫画も、本も、音楽も、好きでいられて良かったと思う。それが好きでいられる人でいられて良かった。

ルックバックにも出てくる
「人を傷つけた痛み」の表現。 

これを忘れない人は優しい人であるし、優しいの意味づけに疑問すら持つ人であろう。 

さらに言えば、Twitterの考察を観て知ったが、ルックバックは過去にあったイギリスでのテロ事件の際に歌われたoasisのDon't look back in angerという曲からも思想を得ているようであった。 

英語のできない自分にも、和訳を調べたり、なんとなく中高で学んだ英単語を繋げた感じで理解ができる気がした。原曲も聴いた。 

誰しにもある気持ちに「Don't look back」と歌えるoasisは最高だ。

それから和訳を見ていたとき、最高の歌詞もあった。これからこの歌もじっくり聴いて好きになれるんじゃないかと思う。 

ごちゃごちゃ色んなことを書いてきたが、やっぱり
「傷ついたことは忘れても、傷つけたことは忘れちゃいけない」
これは一生のテーマだ。受け売りだけどね。 

チェンソーマンも含めて本当にすごい作品だった。こんな作品を簡単に読めてしまう現代と、生み出してくれた作者に心から敬意を。 

私も、作品に救われた現実を胸に生きています。

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