「見られている」ことを考える

先日、元プロ野球選手である今浪隆博さん(以下、ナミさん)について書かれた記事を読んだ。

ナミさんは現役生活中、甲状腺機能低下症を患っていた。当時は嘆き心配したものだが、それが今になって実はうつ病だったということがわかったという記事だ。

「自分が仕事をしている一挙手一投足を4万人に見詰められている、と想像してみてください。失敗すればため息や、ブーイング。それだけ対価も大きくて、多くの人を喜ばせられる幸せな仕事ではあるけれど、反面失敗した時のダメージ、恐怖というものは経験した人にしかわからないと思う。」

言われた通り想像してみた。「経験した人にかわからない」と書かれている通り、想像しきれなかった。ただ想像もつかないほど、その重圧で心身を病んでしまうほど大変なことだ、ということはわかった。

記事の内容はナミさんがこれから自分自身の得難い経験を活かし、メンタルコーチとしてかつての自分のように苦しんでいる人を精神面でサポートしたい、という非常に前向きな応援したくなるものだったが、そのなかで『苦しんでいる人』の例に「SNSの心ない批判に悩んでいる」ことが挙げられたのが印象的だった。SNS、やっぱり見てるんだな。だとしたら、苦しめているのはファンになる。力になりたいのに逆に苦の原因になっているなんて、これほど辛いことはない。


ここで先ほどの「4万人に見詰められている」を思い出した。自分がしているSNSがTwitterだからそれで例えるけれど、想像してみよう。自分のツイートが4万人にじっと見つめられていて、ツイートごとに一斉に反応が来ることを。垢を消したり鍵をかけて逃げる事は出来ないこととする。いい反応ばかりではなく、悪い反応も何百倍も来る。うーん、病みそう。

ツイートは全世界に発信されている。言語が違う人やプロ野球に興味がない人は省くとしても、実際見ようと思えば4万人どころじゃない人たちが見ることができる。フォロワー数に関係なく鍵のかかっていないアカウントは全て。その見ているかもしれない人たちの中にはそれぞれのファンはもちろんのこと、自分の家族や友人、好きな相手、選手の家族や友人が含まれるし、もしかしたら選手本人だって見ているかもしれない。

匿名だから何を言っても大丈夫だって?勘違いされがちだけどSNSは本気になれば匿名性はそんなに高くない。実際SNSの誹謗中傷で訴えられてる人もいるしね。自分が漏らした情報で個人が特定されることも。そうじゃなくても、匿名だからとツイート主が発した不用意な言葉は自身だけでなくツイート主が好きな選手だったり球団だったりのイメージを悪くするだけの結果になったりするってことは忘れちゃいけない。


常に「見られている」選手や監督たちの目には見えない事情を考えて考えて考えて、考えても本当のところはわからないし結局当人たちが解決するしかないこともわかっていてその上で言葉を投げかけるのだから、出来れば元気を与えられる言葉を選びたい。相手の心を苦しめる、足を引っ張る言葉は選びたくない。良いも悪いも伝え方次第。表現の仕方で印象はまるっと変わる。褒めているつもりが捻じ曲がって伝わったり、単なる指摘のつもりが誹謗中傷のように響くこともある。このへんは自分もまだまだ精進が必要だな。


公の場において、自分の一挙手一投足一投稿はたくさんの人に「見られている」。自分の家族、好きな選手、恋人、片思いの相手、上司や部下。それぞれの『絶対にアカウントを知られたくない相手』に万が一見られても恥じることのない、大丈夫だと言える言葉を紡いでいきたい。プロ野球ファン関係なく多くの人がそういう意識でいたら不要に苦しむ人も減るだろうな、SNSがそういう風になればいいんだけどなあと思っている。


話は変わりますが引用したナミさんの記事は本当に知って欲しいからまだ読んでない人は是非読んでください↓





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