「好き」を伝えよう

先だって、とある方にファンレターをしたためた。SNS上のDMで気軽に気持ちを伝えらるこの時代だが、まだその手段には抵抗があるアナログ人間なこともあり、手書きの手紙というツールを選択した。

「ファンレター」を書くのは今回が初めてではない。2年ほど前に気に入ったレターセットを買ったのをきっかけに数人に何度か送ったが、便箋を使い切ったのでしばらく送ることがなかった。今回は札幌ドームでの試合がしばらく開催されなかったこともあり、持て余した時間でまた書いてみようと思い立った。

ファンレターを書く、というのは、好きな部分を自分の中で整理しなおし相手に伝えるためにわかりやすく言語化する、ということである。よく「勉強を人に教えることは自分の勉強になる」というが、仕組みとしてはそれと同じで、ファンレターを書く中で自分がどうしてその相手が好きなのかという理解度が段違いに上がるのである。書き上げたときには相手のことが更に好きになっている自分に気づき大満足し、その後のこと…見てもらえるか、ちゃんと伝わるか、なんていうものは結構どうでもよくなっている、というのがいつものことである。

ではなんでこんなことを今ここで書いているのかというと、今回初めてファンレターに返事が来たからである。これは自分の中では結構な大事件で、届いたときにはだいぶ大騒ぎしたのだがそれは置いておいて。今これを見ている貴方に伝えたいのは、返事の中で手紙に対する感謝の言葉と共に「救いになる」「力になる」旨の内容が書かれていたことである。自分の「好き」を伝えることが、好きな相手の救いや力になることがあるということを知ってほしい。今回返事がかえってきたことは本当に思いがけないことで、基本的にファンレターは一方通行なものだけれど、自分の気持ちが力になっていると思えることは、本当に幸せなことなのだ。

自分史上初めてファンレターを送った2年前よりもう少し前に、別のアーティストにファンレターを書こうと思い立って結局書き上げられなくてお蔵入りになってしまった手紙がある。今思えばあの手紙もちゃんと出せばよかったな、と思う。伝えなかった気持ちは、伝わらないまま。見えないものは、なかったことに。伝えればそれはどんなに拙くても、些細でも、力になる。塵も積もれば、きっと大きな山になることだろう。

最初に書いたとおり、今は手紙という手段を取らなくても、SNSで気軽に直接メッセージを送ることができる時代になった。ネット上で「好き」を伝えることもきっと相手の力になっていることだろう。ただ、SNSは手軽が過ぎて悪意もまた気軽に相手に届いてしまう。それはこれまで述べたことと反対に力を奪ってしまう行為ではないかと感じる。どうか直接相手に届ける気持ちは「好き」であって欲しい、というのがアナログ人間の切なる願いである。


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