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ハロヲタ雑記を始めます〜ハロプロと僕の始まり〜

ハロプロ音楽のファンになったのは、音楽クリエイターから足を洗った後だった。以前動画で簡単にまとめたこともあるが、その中で触れなかったことも交え足取りと現在に至るまでを辿ってみる。

夢の先に見た地獄、そして挽歌

好きなことを職業にする。最初は夢のようだった。
始まりは数十秒から最大でフル尺のトラック制作。作曲、アレンジ、エンジニア。時を重ねるにつれ作業量は増え、休まる時間は減り、1作、1日と移ろいゆくうち次第に自分が何者なのかさえ分からなくなっていった。学生時代に恋焦がれる程に憧れた人の音楽に触れられている、この手で作れているのだと、束の間思いを巡らせることが忙殺から逃れる唯一の術だった。夢を実現している。大丈夫だ。これもこの先の自分への投資だ。明日を走っていられるようにあらゆる詭弁を並べ立て己を騙し続けてはみたものの、半ばその場凌ぎ的に振りかけた魔法もそう長く続かない。夢が、自分が、掌からこぼれ落ちてゆく。

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いつしか苦痛になった使命は苦痛から無に変わり、やがて壊れた。

恋人や家族にも見せられないような内情と素顔。当時の状況を知る数少ない親友曰く、顔がまるで別人のように変わっていたらしい。年に数回食事を共にする度に様子を確認し、心配された。下から顔を覗き込まれ、ちゃんと寝ているのか、食べているのかと。今思えば、そこに立っているのがやっとだった。音楽という街の片隅で素顔を伏せたまま、人知れずあがき、もがき、あても無く彷徨っていた。生き方に迷いながらもどうにかこうにか歩みを進めてきた日々は遠ざかり、幾ばくも無く時計の針が止まる。

最後は惰性的に。ほとんど経験も無かった作詞までやるようになっていた。
それでもようやく断ち切った───。


かつての自分が思い描いた夢との訣別



しかし染み付いた習性か、はたまた底から湧き出る執念か、自然とまた音を作りたくなり趣味でも音楽を始め、ひたすらインストを作り続けたりインディーズのユニットを作ったりもした。世にアウトプットしようがしまいが、作って作ってを繰り返す日々が流れた。

いつか生き還るために。

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でもある日気付いてしまった。もう続けられないと。
自然と涙が頬を伝った。

やればやるほど音楽に対しアレルギー並みに拒否反応を示すようになってしまった自分を理解した後、本当の意味で完全に『音楽』を自分の中から切り捨てた。それは音楽を聴くことさえ受け付けなくなった自分に対し、そんな自分なら要らないと、自分が自分を看取った瞬間でもあった。沢山の人を巻き込み、ある人には感謝を。ある人にはじくじたる思いを。一部の何も返せなかった人には本当に申し訳無かった。

始まりはプラチナ期

愛の種の手売り5万枚から見ていたモーニング娘。だったが、はっきりとハマったとか、ファンになったと言えるのはプラチナ期の後期の頃だった。
dance shot ver.のMVに衝撃!途端に惹き付けられた。
10年経って「今のモーニング娘。はこんなことになっているのか!」と。

あの日の"訣別"からどれほどの年日が経っていただろう。あれだけ拒絶され決別したはずの音楽が前触れも無く、スッと体に入り込めた理由は今でも分からないが、音楽より先にダンスという視覚的なエンターテイメントが先行したせいもあるのかもしれない。音楽が後から付いてきたということは大きそうだ。

その頃つんくさんやハロプロがやっている音楽は、いわゆるメインストリームからはかけ離れたその先へ駈けているように、あるいは意図的に逃げ込んでいる・潜り込んでいるようにも見え、はっきり言ってニッチなことをやっているという印象だった。自身の音楽とJ-POPの流行性、または時代への葛藤や抗いに見えた。
なぜつんくさんはこんな方向に舵を切っているのだろうと不思議に感じ、ある種の開き直りのようにも映っていた。


でも、同時に「これは面白いぞ!」と。一方向に突き抜けていたから。振り切っていたから。


かつて学生時代にゴリゴリ洋楽のハードロックやダンスミュージックを通ってきた自分にも、ズドンっと、しっかり届いた。受け取った。

プラチナ期の音楽に、ダンスに、彩りに、心が救われた。
晴れてピカピカ1年生のハロヲタになった。

それから十数年。

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現在、ハロヲタ、継続中

写真が仕事になっていた。細かく分ければ他にも色々とやってはいるが、やはり本職はフォトグラファー。世界中が自分の仕事場になり、昔は趣味で行っていた海外旅が仕事で行く場所・写真を撮るために行く場所へと変わった。海外移住を視野に入れ始め、アイルランドに1年3ヶ月住んだのはまさしくそれが理由だった。ところが皮肉にも欧州に住むことで日本 (日本人) の素晴らしさに改めて気付かされる結果となり、渡愛以前の展望として据えていたイギリス・ロンドンへの移住計画を一旦休止した。もう一度日本と向き合ってみたい、日本について考えてみたいと思ったからだ。実は日本を全然知らないのではないか。世界を巡り尽くす前にやっておくべきことがある。海外に拠点を移すのはそれからでも良いと考えた。

撮影を請け負う案件では稀に映像制作やビデオグラファーとしてのオペレーションを求められることが未だにある。写真と映像ではまるで違うのだが…。遅かれ早かれその幕切れはいずれ訪れるとは思うが、現状断ったり断らなかったりが続いている。

それでも色の無い景色や時間はもう無い。
毎夜、今日が明日に飲み込まれる頃、当時の記憶が頭をよぎっても「もうダイジョウブだよ。」今の自分の声か、はたまたあの頃の自分の声か。

どうあれ季節の匂いを感じ、周囲の音が聞こえ、PCを使っての作業に最も身が入る時間帯──すなわち夜明け頃を過ぎても街の喧騒はモノクロでなくなっていた。

世界を切り取り、瞬間を切り取り、
毎年、毎月、毎時間、毎分、毎秒。
少しずつ自分の世界に色が戻っていった。

そして今────。

亀井絵里から始まった推しメンは佐藤優樹へ。そんないちハロヲタが雑記を始めてみようと思う。動画では取り上げない話を中心に、何でも良いから綴っていく。ハロプロへの精一杯の感謝を添えて、ハロー!プロジェクトが輝かしい栄光を取り戻す瞬間を祈りながら。

時として烈烈たる話をするかもしれない。ここでは動画よりもよりストレートに思ったことをためらわずに書き記したい。

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