ゾンビとの闘い

ゾンビ企業という言葉がある。経営が破綻しているのに資金を注入されて存続している会社・企業を指すらしい。

ゾンビ人間もいる。確かに実在する。

ゾンビ人間は自ら生きる事、強い意思を示す事ができず、生きるという事が破綻しているのに、医療を注入されて存続している。

ここでの生きるということは生活をおくるという事ですらない。食事·排泄·清潔·喀痰等の生物としての最低限の勤めの事だ。
もう一度、生活の営みですらない。

数十年前までは、死ぬことはある種の救いだった。麻薬を含めた痛み止めや鎮静剤が無く、あっても使い方を知っている人がいなかった頃、死ぬことで痛みや苦しさから救われていたし、各種臓器不全や脱水により苦しさが薄らぐことがあった。

科学が発展し、年齢を重ねて(あるいは若いうちからでも)、感染·癌·脳梗塞·心筋梗塞·糖尿病等様々な病気抱えて生きていくことが出来るようになってしまった。最後の最期まで、食事が摂れて元気だった頃と同じだけの栄養や水分の補給を目指してしまう。

家族の、何でもいいから何かしてあげたいという希望だったり、病院が何かしなければお金がもらえないからという理由で、それは起こる。

私たちは、数十年前の人々よりも幸せなのだろうか?数十年前の私たちは、今の私たちよりも不幸なのだろうか? 

飢えなくなったのはいいが、スマホ代や通信費·医療費は私たちを幸せにしただろうか。


(ゾンビ企業」との対比だから「ゾンビ人間」と書いてみたけど、「ゾンビ」だけでも良いんじゃないかとも思った。しかし、世に言うゾンビは一度死んだ後に死体のまま蘇ったりとか、ゾンビになるウイルスに感染して再生産したりする連中の事を指すことが多いようなのでやはりゾンビ人間が良い気がする。)

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