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60話 ホコ天にて

迎えた週末、当日は汗ばむ程の晴天だった。僕は予定通り、休日出勤で担当の玩具店の接客業務についていた。
昼休みになると、常駐のアルバイトスタッフに現場を任せ、僕はゆっくりと店の関係者出入り口を抜け、近くのファストフード店にでも行くように手ぶらで店を後にした。もちろんポケットでは数本の小さなハーモニカがカチャカチャと音を立てる。
10分も経たず、ホコ天の賑わいが見えて来る。日曜日のホコ天は相変わらずのお祭りのような騒ぎだったけれど、その日は特に熱狂を感じさせるものがあった。

その頃の原宿は少々特殊な時期で、かなり国際色豊かだった。特にイラン人が多く集まり、チラシを配って集会を開き、未許可で露天の商売を始め、代々木公園の一部を占拠しつつあった。それがすでに社会問題ともなり、それまで外国人を受け入れない中でやって来た日本人とのあつれきが、一触即発の緊張を作り出していた。この日もやや離れたところに警察のパトカーが待機し、物々しい雰囲気すら漂っていた。

ホコ天の中央あたりから力強く響いて来るブルースギターの音色の先に、いつものメンバーを見付けた。僕は、暑さと速歩きで多少息を弾ませながら、軽くポーズだけで「よう、来たよ!」とやってみせる。
久しぶりではあるものの、すでに顔見知りとなったメンバー達や、とり囲むバンドのファン達はそれぞれに「なんだ、兄さん、サラリーマンだったのかよ」とばかりに、その日の僕のスーツにネクタイ姿をからかうように笑った。
そのままいつものようにマイクが回って来ると、その日も当たり前に、ブルースセッションが幕を開け、僕のハーモニカが加わった演奏が始まった。

どこにでもいるようなサラリーマンが、昼休みにネクタイをゆるめた姿で爆音でのブルースセッション演奏をしているなんて、まるで「スカッとさわやかコカコーラ」のCMのようではないか。
久しぶりのそんな時間の中で、僕は(やっぱり自分は特別な存在なんだ)という想いに、密かに酔いしれていた。わずかしかない時間を、僕はめいっぱい楽しんだ。

数曲のセッション演奏でひと汗かき、時計を見ながらハーモニカをポケットにしまう。仕事は夜まで続くので、さすがにパンをかじるくらいの時間は必要だった。午後の仕事のため渋谷方向へ戻ろうとする僕を、みんなが演奏しながら笑顔で見送ってくれる。時代の浮かれ方もあったのだろうけれど(これから仕事に戻るのか?まぁ、そんな奴がいてもいいだろう)といった感じの軽快な笑顔だ。
正直、僕の方は後ろ髪を引かれる思いだった。久しぶりだったのもあり(あともう1曲くらいなら、演奏出来たかな)なんて考えながら、少し離れた場所から振り返って、メンバー達の演奏を見た。
すると、ほんのわずかな間に、バンドのメンバー達に、突如として予想もしなかったトラブルが起きていた。

囲むように演奏を見ていた大勢のイラン人の最前列の1人が「カモン!カモン!」と大げさにはしゃいでいる。それは演奏がウケているというより「かかって来いよ!」とちょっかいを出しているようにも見えた。
おそらくそれをかばおうとしたのだろう。彼らの演奏の後に出演するはずだった別のバンドのメンバーが割って入る。
すぐに口論が始まり、大音量の音楽と集団に観られているという引っ込みのつかなさと焦りもあってか、激しくヒートアップして行き、なんと終いにはギタリストが手に持っていたエレキギターで、そのイラン人の背中のあたりを殴ってしまったのだ。

遠目に見ていた僕もひやりとしたけれど、殴られた方は周りが笑い出すほど、まるでコントのようにコミカルな吹っ飛び方こそしたものの、幸い特にダメージも無かったらしく、すぐに振り返ると、そのままさらにすごい剣幕でまくし立てるように怒鳴り始めた。
それを見た他のイラン人の集団が「そうだ!そうだ!やれやれ!」といった調子で一気に煽り始め、集団の先頭を押しのけて集まって行くので、大人の押しくら饅頭のような状態になり、みるみるうちに百人規模の大混乱へと発展してしまう。
とはいえ誰かケガをしたり流血するようなものでもなく、どこかしら喧嘩祭りのような押し合いへし合いが続いて、当のバンドメンバー側は、笑い混じりにその様子をながめながら演奏をしていたほどだ。きっと彼らが出演しているライブハウスなどでも、同じような盛り上がりがしばしばあるのだろう。

まるでテレビや映画で見るような状況を前に、その場から逃げようとするホコ天の人波に押されて、僕はどんどんその場から離されて行った。
そこへ入れ替わりに待機していた警察官達が、人混みを割って入るようにホコ天の中にパトカーを乗り上げ、手際良く間に入ると、喧嘩を仲裁しつつ一斉に取り押さえに掛かっているのが見えた。もともと「有事が近い」と待機していたようで、それは「待ってました」とばかりの迅速な動きだった。

かなり遠くまで押し出されたところまで来ても、まだ演奏の音は聴こえていた。他のバンドの演奏もそれに混じって響き渡っていて、悲鳴などもなく、どことなくお祭り騒ぎをあおるような声援や笑い声もあった。
僕は心配しつつも、ケガ人もいなそうだし、わざわざ人波に逆らって戻るまでもないかと思い、時計を見ればもう昼休みも終わり掛けていて、あわてて昼食抜きで売り場まで走って帰る事になった。

売り場に戻ると課の上司がちょうど巡回に来ていたところだった。時間には間に合ったものの、走ったせいで汗まみれの僕を見て、「あれ、お前、食べに出たのか?デパートの社員食堂が利用出来るの、教えていなかったっけ?」などと笑いながら話し掛けて来る。僕は何気なく調子を合わせ、改めて何事もなかったかのように必死に振る舞った。

上司が帰った後、僕は売り場で接客をしながら、遅れて心臓がドキドキとし始める。もしあと1曲でも演奏に加わっていれば、今頃僕も警察に取り押さえられていたかもしれないのだ。少なくとも事情聴取に時間をとられ、午後の売り場の接客仕事には戻れなかったろうし、当然謝って済むレベルではないだろう。
同時に、あの時自分も現場に戻り「僕も関係者の1人です」と言うべきだったのかという考えもよぎる。
事なきを得た安堵感と逃げたように感じる罪悪感の間で、僕は内心接客どころの状況ではないまま、とりあえずはその日をやり過ごすしかなかった。

翌日、特にテレビのニュースや新聞記事などにもなっていない事を確認すると、僕は改めて胸を撫で下ろした。職場では休日出勤をねぎらわれ、「あのデパートの社員食堂は本当に美味いのに、もったいなかったな」などという話に愛想笑いをしつつ、いつものように報告書を提出し、漢字間違いの罰金を払う。

数日後、ホコ天自体が閉鎖になったと新聞の記事で知った。
急に心配になって来た僕は、財布に入れておいたバンドのドラマーの電話番号のメモ紙を引っ張り出し、その番号に電話を掛ける。
すぐにドラマーが出て、ホコ天の演奏場所は無くなってしまったものの、メンバーや観客のみんなは全員無事ではあると聞いて、まずはほっとする事ができた。警察が問題にしていたのはその時の喧嘩騒ぎではなくイラン人の集会の方だったようで、彼らの方は特におとがめ無しだったようだ。

けれど、その電話で、僕は別の事情を聞かされる事になった。凄腕ギタリストの彼が率いるバンドが解散しそうだと言うのだ。
僕からは彼らのバンドメンバーが永遠の仲間のように見えていただけに、その話は衝撃的だった。細かな事情の方はよくわからなかったものの、突然の話に慰める言葉も無い僕は、ドラマーの彼から「しばらくしたら落ち着くと思うから、また連絡して」とすげなく返され、そのまま電話を切るしかなかった。

結局、これ以降この番号に僕から電話をする事は無かった。それは、僕がこれから会社でする事になる、大失敗のせいだった。

つづく


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