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136話 ブルースという言葉③

次にセッションをする事になった、店長さんが言う「ブルース」の指定KeyはFmだった。おそらくはその曲も、僕からすれば「ブルースじゃないじゃん!」と言いたくなるような違いがあるのかもしれないけれど、それ以前に、僕には考えなければいけない問題があった。マイナーの曲という事は、今までのブルースの定番セカンドポジション奏法では音が合わない可能性が出て来るのだ。そうなると取り急ぎ別のハーモニカKeyチョイスが必要となって来る。
「E♭Keyのハーモニカでのサードポジション奏法」でなら何とかなる場合があるので、僕はその準備もしつつ、2本のハーモニカを持ち替えながら演奏をする場合のあれこれを考え、少々不安になりながらも、とりあえず店長さんにはOKの合図をしてみせた。
他の参加者達はみな直ぐに楽譜の話を始め、店に置いてある表紙が破けた1冊のボロボロの譜面集を取り出し、回し読みするように囲み忙しくページをめくると、全員が1分と待たずに読み込んでしまった。それは読むというより確認をしたというニュアンスなのかもしれない。暗記をしている人も数名いるところをみると、今から演奏するというそのブルースは、やはりジャズセッションの定番曲ではあるようだ。
1人が僕に「君は見ないで良いのかい?楽譜」と声を掛けて来る。僕は「読めません」と言う必要もないので、手で(結構です)と合図し、軽くお礼の会釈をする。おそらくはここにいる全員が楽譜に強いのだろうし、それを読めない奴がこの世にいるなんて考えもしないのかもしれない。

僕がジャズでハーモニカが合わせづらいのは、特にメジャーのコード感が強い部分だった。ハーモニカは元々が悲しい音色の方が演奏しやすいので、マイナーならさっきよりもなんとか音を合わせられるのではと、心持ち強気でいられた。けれど、軽くカウントが打たれ、管楽器の分厚いユニゾン演奏でその曲が始まるやいなや、また僕は全身をこわばらせる事になった。今度も明らかに、自分が演奏して来たようなブルースなどではなかったからだ。
共通する部分が微塵も無く、そして何より曲がどこまでも長かった。同じメロディーが何度か出て来るところをみると、すでに何コーラスか繰り返されているのかもしれないけれど、一体どこまでが曲の1番なのかすらまるで解らない。その切れ目がどこだか判断できない僕には、すでにお手上げの状態だった。
ユニゾン演奏が一段落し、またトランペットの参加者のアドリブソロがスタートしたのをきっかけに、何人かの管楽器奏者が一旦は自分の席へと戻って行った。おそらく曲が長い分、各ソロも長くなるため、自分の番まで座って待とうというのだろう。
このぞろぞろと動いたのが僕にもステージから逃げ出す機会となった。僕は店長さんだけに「やっぱりできません」と手を振ってみせ、ステージを離れ自分の席に戻った。幸い周りからは自分のソロまでの時間を待つ一団の1人に見えたようで、特に誰にも気にはされなかった。

僕はカウンター席からそれぞれのパートのソロ演奏を眺める。なんだかメリハリのないソロばかりで、僕らがやって来たブルースのような「怒り」や「悲しみ」といった感情表現に該当するものではないように感じる。まるで「ドレミファソラシド」のスケール練習をしているようなメロディーがどこまでも続き、曲調だけでなく、そういった表現の面でも(こんなのブルースじゃない!)と、僕は激しい怒りが湧いて来た。
暇なので、周りに聴こえぬように、客席から自分のハーモニカを合わせてみる。最初に念のためと準備をしていたE♭Keyのハーモニカのサードポジション奏法で合わせられるところをみると、やはり言われた通りFmのブルースではあるようだ。かといって、どこまでが1コーラスなのかすら皆目わからない僕からすれば、結局この曲ではハーモニカのアドリブソロを吹けないのと同じだった。やはり早めにステージを降りたのは正解だったのだろう。
かなりの大人数のソロの後、ひとりの管楽器の参加者がわざわざ僕の方を向いて(君は吹かないのかい?)という表情で誘って来てくれたのだけれど、僕は(すみません、結構です)と手でやってみせ、軽くお礼の会釈をしつつ断った。
その後、参加者達がかわりばんこにソロを回し切り、途方もない時間を掛け、その曲は終わりを迎えた。結局は管楽器奏者の数人は自分のソロの時以外は全て席に座っていたり、後半のユニゾン部分の演奏はステージまで行かず、客席から音を重ね参加をしていたりというズボラさ加減だった。

曲が終わるやいなや、店長さんがカウンター席に戻ってしまった僕に言う。
「どうしたの?ハーモニカの君。Keyが合わなかったかい?」
僕は情けなくも、ボヤくような思いで店長さんに聞いてみた。
「あのう~、今の曲ってなんなんですか~?。結局ブルースじゃないじゃないですか~。こういうの全然わかりませんよ~。曲も長いし、複雑だし。これ、どこがどうブルースなんですか~?」
半ば自分がイジメに遭っていて、その苦情をいうように粘液質に言ってみた。
すると参加者のひとりが話に割り込むように言った。
「いや、ブルースだよ!普通のブルース!」と。
その声は次々に続き、まるで何かの信者のように笑みを浮かべながら、誰もが「普通のブルースだよ!普通の!」と続いて来る。
さすがに1対全員のような構図になってしまい、店長さんが間に入ってくれた。
「まぁ、確かに、君が言っているブルースと、同じではないよな」
そう言われるや否や「そうでしょう!?」と言いた気な僕を遮るように、店長さんの言葉は続いた。
「いやいや、でもまぁ、ほとんど同じなんだけれど、確かに、全く同じではないんだよな」
そして、さらに僕を混乱させる言葉が飛び出す。
「まぁ、あれだな。AーAーBーAのブルースって事なんだよ」
一瞬、何がなんだかよくわからなかった。
僕は(エー・エー・ビー・エーのブルース?)と何度か頭で繰り返し、そして混乱したまま、ハーモニカを吹く上で、もっとも重要な部分を取り急ぎ先に確認した。
「なんですって!!AとかBなんて、今まで言ってなかったじゃないですか!?だって、KeyはFmなんですよね!?メジャーじゃなくて、マイナーでしょう?」
間髪入れず、再び話を聞いていたほぼ全員から、総突っ込みが入る。
「違うよ。FmはKeyの事だって。AーAーBーAは構成の話だよ。曲の構造の事さ」
同じような言葉は続き、取り囲む大人数が自分だけに話し掛けて来るだけに、僕の方は余計に苛立ち、さらに勘違いは進んで行く。
「えっ?転調ですか?Fmが途中でメジャーのAのKeyになるんですか?」
セッションが一段落しての合間というのもあり、それぞれの座席で見ていた人達までもが立ち上がり、次々にこの話に加わって来る。もはやほとんど店の全員に近い人数が、僕1人を取り囲んでいるような有り様だ。一度に話す人の多さで、もはや収集がつかない状況だった。
「違う違う、君は勘違いをしているんだよ。構成の打ち合わせで使うアルファベットの話なんだよ。これはKeyの話じゃないんだ」
「やめなよ、駄目だって。こういう人はなおさら混乱するだけなんだ。同じアルファベットの話だから分かりづらいんだよ。う~ん、困ったな、なんて言えばいいかな~」
「いやいや、それよりさ、もっと根本的なところからわからないんだよ、この人はさ。言えば言うだけ、どんどん混乱しちゃうんだよ」
もうこうなって来ると、まるで興奮して何をやらかすかわからない犯罪者を、全員で説得しているのようなものだった。

しばらくして、その中に親切な解説好きが現れる。
「やめよう、やめよう。この話きりがないよ。ちょっと待ってよ。今、きちんと教えてあげるからさ」
代表者のように前に出て来たひとりの参加者の穏やかな口調に、僕はようやく我に返り、最初の疑問から聞き直す。まず「ブルース」についてからだ。
「じゃあ、お願いします。え~と、さっきの曲、1曲前のセッション曲の方からですけど。あれは結局、ブルースだったんですか?」
一息つき、その1人が僕に答える。
「1曲前?あ~、そうかそうか。さっきのね。そうそう。そういう事だよ。まずはそこからだな。ブルースはブルースでも、君がやっているようなブルースではないんだろうな。3コードのブルースとは違うんだよ。でもね、12小節の曲だったよね?そこは同じだよね?曲としては全く違って聴こえるだろうけれど、両方を『同じブルースっていう言葉』で、ひとくくりに呼ぶんだよ。わかるかな~?君にとってはややこしいだろうけどね」
どうやら「ブルース」という言葉の解釈の問題という事らしい。さらに僕は食いつく。
「だったら最初からそう言ってくださいよ。同じ言葉で呼ぶだけで違う音楽なら、初心者の僕なんかは、全然、手も足も出ないじゃないですか!!」
すると今度は店長さんが返す。
「いや~、手も足もって事は無いよ。さっきのブルースだって、結構、吹いてたじゃないか。あれで充分だよ、最高、最高」
そんな風に褒められても、今となってはかえってからかわれているようで、僕は悔し紛れに言い返えす。
「そりゃあ、最初のうちはそれなりに合わせられましたけど、途中なんだかグニャグニャになるじゃないですか。あれだって、全然ブルースと違うコード進行(和音の流れ)ですよね?12小節の長さではあるんでしょうけれど、あれは何なんですか、あれは?」
今度はまた別の参加者がしゃべり出した。
「違う違う。また話をゴッチャゴチャにしているよ。それは3ー6ー2ー5と言って、3コードブルースでは使わない、ジャズ特有のコード進行なんだ。だけれどもジャズでブルースをやるっていう事は、こっちが基本になるんだよ」
今度は一転してコード進行の話が始まってしまった。伴奏を担当するコード楽器ではない僕は、正直Keyくらいしか考えてはおらず、コード進行に関しての知識はほとんど無かった。さっきの「AーAーBーAという構成」の話に続いて「3ー6ー2ー5というコード進行」の話。もう理解の範囲を超えていて、僕は吐きそうにすらなって来る。

僕がうなだれていると、店長さんが頃合いと見たらしく話のシメに入る。
「そうか、わからないよな。すぐには無理さ。でもね、君が普通に3コードブルースとして演奏していても、そんなにおかしくないはずなんだ。むしろ、バックだけがジャズのコード進行で、フロント楽器がストレートな3コードの進行のままアドリブを通すなんて、なんだかカッコいいじゃないか。またやってみようよ、後でさ」
そう言った店長さんの笑顔は、百戦錬磨の音楽の大先輩という説得力に満ちていた。
(君は、今まで君のやって来たブルースをそのままやればいい。それが周りとズレていても、その違いは問題にはならない)
それを専門用語を使って、店長さんをはじめとする全員から代わるがわる言われたのだった。話が一段落し、ようやく息を整える僕は、全員の説得が功を奏した「立てこもり犯」のようだったろう。

ちなみにこの後で教えてもらったのだけれど、構成を指す「AーAーBーA」とは、メロディの違いを伝えるための現場用語のようなものだった。つまり同じAのメロディーが2回繰り返され、Aとは違うメロディーのBが入ってから、またAのメロディーに戻るという事を端的に伝えるための用語だ。ポップスなどでも良くある構成だし、ブルースでもそんな進行の曲は多い。僕が唯一自信のあるジャズの「ルート66」だってその進行なのだ。
後で冷静になって考えてみれば、自分達も「Aメロ」や「Bメロ」などの多少違う言葉で使って来てはいたので、よく考えればわかるはずだった。ただ、わからないと焦る気持ちが、この大差ない言葉にまで混乱させたのだった。
僕はこの用語の「A」や「B」の部分が「Keyのアルファベットだ」と思い込んだところで、すでに大きな勘違いをしていたのだけれど、昔はこのKeyの事すら、楽器に付いている演奏者用の名前のイニシャルだと思い込んでいた事があり、楽器店の店員さんに「僕は広瀬哲哉なので、HかTが付いたものを下さい」と注文し、呆れられたくらいだ。

完全に落ち着き、店が騒然となっていた事に、僕はようやく「ハッ」とした。BGMもなければセッション演奏も止まっている中で、1人対全員で対峙し合っていたこの絵面は、今店に入って来た人の目から見れば、事件に見えるやも知れない状況だった。
僕は改めて参加者達に軽く会釈をして、恥ずかしさを抑えつつ自分の座るカウンター席で背中をまるめるように縮こまっていた。
ステージにいた参加者達の多くは入れ替わり、何事もなかったかのように、新しいメンバー達が、また淡々と次の曲の準備を始める。さすがに、知らない事づくしの中でどうして良いものやらわからない僕に、カウンター越しに声が聞こえた。
「広瀬さん、どうです、一旦落ち着いて、何か飲まれませんか?」
それは店員さんの声だった。ニッコリと笑いながらもその表情はやや引きつっていて、自分が今日の紹介役を買って出たものの、いきなりトラブルになってしまったようだという心配を漂よわせていた。
僕はとりあえず頭を冷やすべくアイスコーヒーを追加で注文し、(なんでもないよ)と言うように笑ってみせた。
全く、なんて事だろう。これでは前回の店以上の問題児扱いではないか。穴があったら入りたいとはまさにこの事だ。僕は遅れて顔が赤く染まり、さらに萎縮してちぢこまった。

そして、もっと恐ろしいのは、この後のセッション演奏だった。これからもうひとつ、ジャズセッションならではの洗礼が、僕を待っていたのだ。

つづく

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