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79話 弾き語り人②

気が付けば、ギターを抱えた大学生くらいの男の子が、僕の前に立ち止まっていた。
音が終わる少し前から観ていたようで、僕のハーモニカ演奏を気に入ったのか、弱々しく「あのぅ、一緒にセッションしてもらえませんか~?」と声を掛けて来た。
その声に僕は救われた。何に救われたかって、たった数十分間ほどで、もう自分の中からは何も出て来なそうなのが良くわかったからだ。

僕は快く応じ、彼もかつて僕がしたようにこちら側に移動して来ると、慣れた調子でギターをケースから取り出し、忙しく弦をチューニングし始める。そしてギターに触れる手とは独立しているかのように、口ではKeyやリズムなどの打ち合わせを始め、見事なまでの速さで演奏準備を完了させてしまう。
そのまま彼は素早くイントロ演奏に突入し、少し遅れて僕がハーモニカのソロを重ねると、適当なインストゥルメンタルブルースが出来上がって行く。それは行き交う人に向けた僕らの最初の1曲であり、僕らにとってはお互いの自己紹介でもあった。

考えてみると、僕は初めて相手からセッションを申し込まれたのだった。彼も演奏こそ慣れてはいそうだけれど、見ず知らずの僕に話し掛けるのにはさぞ勇気のいった事だろう。ひょっとしたら僕がこの場所を押さえている人だと思い、初めて音を出すに当たっての許可を求めるようなものだったのかもしれない。
誰が音を出したって良い、決まりなんて特に無いのだから。けれどそれはこの場所で演奏をして来た回数や期間がそう思わせるだけで、彼の方はそんな事は知らないのだ。
かつて会社でつい路上演奏の話を得意気に話してしまった時、上司や先輩から質問攻めにあった。誰だって「そんな事しても良いの?」そう思うはずなのだ。
そういった意味でも、1人より2人、誰かと一緒というのは本当に助かるものだ。

音出しとばかりの簡単なブルースのセッションを1曲終えた後、ニコニコと笑いながらその彼が言う。
「あの~、僕の持ち曲を演っても、いいですかね~?」
僕はKeyだけを聴くと彼のイントロを耳で追い、少しずつハーモニカの音を重ねて行く。頼りなさそうな見た目だったけれども、彼の持ち曲には力強さがあり、なかなか良い感じだった。聞けばそれは彼のオリジナルソングという事だった。夢はプロのシンガーソングライターで、そのためにいくつかのコンテストなども狙っているのだという。
彼のオリジナル曲の良さもあり、僕らの路上でのセッション演奏にはすぐに人だかりができ、心地良い拍手と、曲間にいくつかの質問が飛び交うようになって行った。
彼へは曲について、僕へはテンホールズハーモニカという楽器について。

そして、今更ながらに僕は理解したのだった。ストリート・ミュージックで弾き語りをやっている人の多くは「自分の歌や曲を聴かせたい」のだという、シンプルな事実を。
自分の音楽の完成が目標で、路上演奏は手段でしかない。最初に路上で声を掛けた時に、僕が「ハーモニカを一緒に吹きたい」と申し込んで来たと誤解し、即座に断って来た弾き語りの人も同様に、目的は自分の歌なのだ。だから、当然、ハーモニカのサウンドが加わる事を、断って来る場合だってあるのだ。
一方の僕はというと、全く誰とも目的が違っていた。「ハーモニカを、いきなり知らない曲に合わせたい」だけだった。つまり、手段は同じ路上でも、目的はセッション演奏の方だったのだ。

相手に合わせて様変わりして行くハーモニカのそれぞれの顔が新鮮で、それ自体が僕にはたまらない魅力だった。当然、音楽を仕事になどできなくとも、ハーモニカを吹き続けられれば、僕はそれで良かったのだ。
自分の歌に人生を賭けているような人にそれを言ったら怒られそうだけれど、それが今更ながらに気がついた自分の素直な想いなのだから、仕方がない。コンビを解消する事になってしまったかつての相方もそれが解り、そんな僕との違いに腹を立てたのかもしれない。

ある程度、演奏を見ていた人達との会話が一段落する頃、また路上での演奏が再開される。
彼が僕に言う。
「え~と、今度は少しジャズっぽいリズムにしますけれど~?」
僕は何も考えず、気楽に返す。
「いいよ、裏乗りかな?」
思えば路上演奏の期間を通して、何にでも合わせられるようになったものだ。ハチ公前のセッションの頃から含め、随分と路上で鍛えてもらったからかもしれない。
僕は改めて「ストリート・ミュージック」という存在を、自分のハーモニカのトレーニングコースのように感じるのだった。

その後、数曲の演奏を終え(そろそろ今日のところはお開きかな)と思える頃、聞き覚えのある男性の声がした。
「やぁ、久しぶり。君、ここにいたんだね。今、ちょこっと聴かせてもらったけれど、君は、かなりの腕前だったんだね」
それはかつてこの場所を教えてくれた中年の男性だった。以前、謎の「宇宙人」のような女の子に腹を立てる僕に「クリオネ」というギタリストを教えてくれた人物だ。

僕は再びこの人の案内で、次の「新しい世界」を知る事になる。

つづく


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