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51話 再び学園祭にて③

ライブ演奏が始まる。1曲目は緩やかなバラードで、僕はスタンドマイクの前に立ち、やや離れたところから、アコースティックなハーモニカらしい音を出し始める。
あえてダラリとした感じのルーズな演奏から始めたのは、緊張などでお互いの演奏にズレが生じても、聴いている側にはそれがわかりづらいからだった。けれど、それは無用な心配だったようだ。当日の3人の音の重なり具合は、今までで最高だと思えるほど良いものになったからだ。

僕は前日嬉しさで寝付けなかったのと、コンペの飾り付けに使うプレゼンテーションボードの早朝搬入で徹夜に近かった眠さもあって、その疲れから良い意味で緊張感が全く無く、ほど良い脱力で、力みのない自然な息をハーモニカに注ぎ込んでいた。
Q君もW子も見た目ほどの緊張はなかったようで、今までに練習した通りの感じで、お互いに順調なスタートを切れたようだった。

僕のテンホールズハーモニカの音色は、初めてプロの音響の方に調整を委ねているため、吹いている自分がうっとりとするほどの聴こえ方になっていた。きっと恥ずかしいほどに浸りきった顔をしていた事だろう。
Q君の歌とギター、W子のキーボードの両方の音が迫力を持ち、それでいてほど良い位の大きさではっきりと聴こえて来る。3人で演奏をしているという感じがひしひしと伝わって来るのが嬉しかった。

そして最初の曲が終ると、盛大ではないものの少々長めの拍手と「渋いなぁ~」と言った感想がもれ、軽やかな笑いが起こった。それは僕らにとって心地の良い反応で、僕のテンホールズハーモニカならではの雰囲気がなせるものだと思えて嬉しかった。
僕はリハーサルで見掛けたバンドと、自分達のひとつ前のバンドしか観てはいないのだけれど、それが縦ノリのスカっぽいバンドや絶叫系のロックバンドで、想像していたより遥かに若向けのライブだった。それが社会人経験者も多い専門学校の学園祭としてはちょっと浮いていて、誰もが無理をしているようにも見えていた。
そこに来て、僕らのアコースティックでブルースを軸にした演奏の持つテイストは「大人っぽい」聴きやすさがあり、観客には「ちょうど良かった」のだろう。

滑り出しの演奏が良かったのもあり、リーダーである僕によるメンバーの紹介なども上手く行って、そのまま次々に曲を披露して行った。
Q君も歌うごとに声が伸びて行き、そのギターは練習の時より上手かったほどだ。一方のW子はとにかく間違えまいと必死で、決まり通りのコード(和音)だけを確実になぞり続けている。時折、観客席から飛んで来る自分への声援にも、応える余裕すらないようだった。間違えたら迷惑をかけるという責任感からか、硬過ぎる表情は、いつもの彼女を知る僕からは少しばかり可哀そうにも見えるほどだった。

演奏中のステージの脇では常に実行委員会スタッフが「短く、早めに!!」とバタバタ指示して来る。全てのバンドが持ち時間以上に演奏する為、スタッフ達は完全にヒステリックな状態になっていた。かといって、僕らは必要以上に焦る事もなく、スタッフの様子をチラチラとは見ながらもさして気にせず、予定通りの曲を確実にこなしていった。
この頃はまだ演奏を楽しむなんて余裕まではないので、表情や動きばかりプロっぽく見えるような振る舞いはしても、決めた通りの事を間違いなくやる、子供のお稽古ごとの発表会の大人版といったことろだった。自分ではライブハウスに足しげく通い、プロが気楽な感じで楽しげに演奏しているのを観慣れてはいても、それをお客として観ているのと実際にやるのとでは大違いだ。ましてや3人が揃っての練習が数回だったのもあり、お互いに演奏での冒険はしないようにしていた。

そして、いよいよラストナンバーとなる。僕は2人に目配せをして、少しだけ待ってもらうよう合図をすると、手早く、それでいてハウリング(音響トラブル)が絶対に起こらないような慎重さで、たった1曲のための手持ちの別マイクへと取り替える。そのマイクの設定はひずみを帯び、かなり不良っぽい雰囲気を伴った響きに調整済みだった。それはリハーサルの段階から音響のスタッフの方に特にこだわって伝えていた、ポール・バターフィールドを目指したハーモニカで使う手持ち用マイクのセッテイングだった。そしてこれから演奏する最後の曲は、彼を代表するブルースナンバーでもあったのだ。

実はブルースのナンバーはその1曲だけだった。ブルースの曲のインストゥルメンタルナンバーはほぼ無いといってもいいほど稀だ。そのため、歌を担当するQ君が歌いやすいものを選曲するしか無く、その結果が唯一の1曲となってしまったという訳だ。
けれど、それは僕にとって大好きな曲で、ポール・バターフィールドの長いハーモニカ・ソロを完全にコピーしきれていた。それは間違いようが無いほどのレベルまで達していて、僕はその曲に関しては絶対にも近い自信を持っていた。

マイクの交換が終わり、Q君がチラリとこちらを覗き込み、ギターで聞き慣れたイントロをスタートさせる。僕は今まで出していなかったエレクトリックハーモニカのサウンドを、自信満々に唸らせる。
会場はすぐにブルース特有の重たげな空気に変わり、客席の影から僕のハーモニカの音色に注目が集まって来るのがわかる。
そして歌が始まる。僕は、慎重にオブリガート(合いの手)を合わせて行く。まだ自分のハーモニカ・ソロまでは大分あるけれど、それまでにだってひとつの失敗すらしたくはなかった。

歌が一旦途切れ、まずはQ君のギター・ソロ。僕はオブリガート演奏でそれを支える。さらにその次、また歌に戻れば、いよいよ僕の長いハーモニカソロに入る流れがやって来る。
今までの音の響きでも、自分は十分に満足していた。その響きで、後は完璧におぼえているポール・バターフィールドのハーモニカ・ソロを、そのまま間違いなく吹ききればいいのだ。大げさかもしれないけれど、それが僕の夢の実現だった。

けれど、それは叶わなかった。Q君は自分のギター・ソロから歌に戻ると、なんとそのまま曲を終わらせてしまったのだ。
僕はこの展開が信じられなかった。パニックになりながら、Q君の方を見るしか無かった。一方のQ君は、ギターをジャカジャカとラフにかき回すように鳴らし続け、当たり前のように観客に拍手をあおり始める。こうなったら場の雰囲気的にも曲を終えるしか無くなるのだ。ましてやこれが最後の曲だ。スタッフには急がされているし、アンコール曲の用意もない。これでもう演奏を終えるしかないのだ。

(なんだこれ!?えっ、間違えたのか!?これ、ブレイク!?いや、それは無理だ!!って事は、これで、もう終わりっていう事!?なんだよ、これ!?僕、まだハーモニカ・ソロを吹いてないじゃんかさ!!しかも、1番大事な曲なんだぞ!!)
僕は混乱しながらも、エンディングのジャカジャカというかき鳴らしのために、誰もがするよう、合わせてハーモニカをラフに吹き鳴らすしか無かった。W子もようやくライブが終わったという安堵で、同じようにバンバンとキーボードの音を叩き鳴らしている。3人が同じように音をかき鳴らすのに合わせ、観客が大きな拍手を送り続けた。そしてそのまま、会場が明るくなり、僕らのライブは終わったのだった。

観客席から数人が駆け寄り、W子に花束やプレゼントらしきものを渡しているのがぼんやり見える。大きかった音が急になくなった為、耳がぼんやりとしているところにスタッフさんが駆け寄って来て「とにかく、早く片付けて下さい!!早く!!」とわめきたてる。
W子はステージで数枚写真を撮ると、彼女をファンのように取り囲む友人達に引っぱられステージから連れられて行った。
気がつけば、Q君はもうステージから降りていて、客席側でギターケースにギターをしまっているところだった。
自分のハーモニカソロが無いまま曲が終わったショックにただ呆然としている僕を「早く、早く」と実行委員会スタッフがせき立てる。僕は布バックにハーモニカをしまう事もできないまま、両手でバラバラのハーモニカを抱えるように、とりあえずステージを降りた。

数人の観客が僕に話し掛けて来たけれど、僕は全くの上の空だった。程なくして次のバンドの演奏が始まる頃、僕はようやくQ君を連れ出し、会場の端の方で話を始めた。
もちろん僕は、Q君の「ハーモニカのソロを忘れてた」なんて言葉は信じなかった。メンバーはハーモニカとギターとキーボードだけ。しかもキーボードのW子はコード(和音)伴奏だけのサポート参加でソロなどは無いのだから、僕のハーモニカソロを入れ忘れるにはかなりの無理があった。ましてやハーモニカを中心とするブルースの曲なのだから。
それにもし間違えたところで、その後にただハーモニカ・ソロを追加すればそれで良いだけなのだ。いくらでも長くできるのは高校の頃からやって来ている事で、それもブルースの良さのひとつなのだ。自分が歌って、自分がギター・ソロを弾いて、自分がまた歌ってそのまま曲を終えてしまう方が、明らかにおかしいのだ。ましてや、僕の学校の学園祭の、僕がリーダーのバンドなのだから。

そして、終いにはQ君から耳を疑う事を言われる。
「格好をつけようとするから、そういう事になるんだよ」と。
全く理解できない言葉だった。唯一解ったのは、彼がどこかの段階から僕の何かしらに腹を立てていて、僕は彼からそれに対しての嫌がらせをされたらしいという事だった。その曲のハーモニカ・ソロを吹くのが、僕にとっていかに大事かをわかっていての事なのだろうから、もはや、それをどうこう言うレベルではなかった。

結局、Q君はそのまますぐに、ひとりで帰って行った。僕らの揉め方を集まって見ていた野次馬も「なんだか解決したらしいね」と離れて行き、そこで騒ぎは一旦収まった。
彼の真意はわからなかったけれど、悲しいかな、これが本当に、彼との最後となってしまった。

僕はまた前回のスタジオでQ君ともめた時と同様に、無限のループに入って行く。
「そういう事になるんだよ」というのだから、やはりわざとやったという事だろう。けれど、なぜ人の学園祭へ来てまで、しかもわざわざマイクまで変えたブルースの曲で、あえてそんな事をしたのか?だいたい僕への嫌がらせだとすれば、僕らはいつから仲が悪くなったのか?いや、それより、彼は僕の何に腹を立てていたのか?今日の学園祭で何かが起きていたのだろうか?それとも、もともと何かで僕に腹を立ててはいて、やり返すのが今日の最後の曲だったという事だろうか?でも、わざわざ人の学園祭に来てまで?マイクを変える曲まで待って?
僕は混乱し続け、徹夜に近い作業での疲れも重なって、もはや目が回りそうだった。

学園祭はそのまま、まるで何も無かったかのように進んで行くのだけれど、僕は怒りの無限ループの中から抜け出す事ができずにいた。考えても仕方がない「彼の言葉の意味」を、真正面から考え続けてしまったせいだった。

それと同時に、今回の事で初めて解った「ハーモニカという特殊な楽器自体の問題」もあった。
ハーモニカのようなソロ楽器側は、伴奏側ほどは、曲の流れを左右できないのだ。以前、高校の同級生達と初めてスタジオに入った時にも同様の事をされたように、伴奏側がやめようと思えば、簡単にそこで曲を終わらせる事ができる。ギターやキーボードなどは伴奏とソロの両方ができるため、ある意味、演奏では支配性があるのだ。
それを力として使えば、相手を凹ませる事だってできるし、大勢の人前でやれば、恥をかかせる事だってできる。けれどソロ楽器側には、どう頑張ったって、その逆はできないのだ。もっともそんな風に嫌がらせをし合う事になるくらいの集まりなら、バンドでもなんでもないのだけれど。

この結論も含めて、僕にとっては、最悪の日となってしまった。
けれど、本当に僕が心底「大変な日になった」と実感するのは、実はこの後からの事だった。

つづく


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