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49話 再び学園祭にて①

時は流れ、僕は2年生から専攻したインダストリアルデザインコースで、さらに過酷になった課題提出の毎日を送っていた。朝も昼もないような日々がどこまでも続いたその歳の後半に差し掛かろうという頃、デザイン学校での「学園祭」の季節がやって来る。
学園祭といっても専門学校なので浮かれたものではなく、そこには作品応募を求める企業コンペなどのイベントも加わって来る。学生にとって卒業後の就職の足掛かりを作るべく挑戦する機会でもあり、目的意識バリバリの祭典として、それに向かう学生達の前準備は入学以来最も忙しいものとなる。
もちろん僕も、その学園祭で開催される校内コンペのひとつに参加するつもりでいた。

目指すのは僕の専攻するインダストリアルデザイン科の生徒を対象にした企業のコンペで、カメラの大手メーカーが主催するものだった。僕の学校からはまだ誰も就職していない「超」の付く大手の主催で、若手へチャンスをという、先方からの申し出だった。
「これから必要とされるカメラ」という大雑把なテーマで、カメラ本体のデザインだけではなく、新しいカメラの使い方や、写真との付き合い方なども幅広く提案して欲しいとの事だった。
まだ携帯電話どころかデジカメすら無い頃で、「写ルンです」のような使い捨てカメラの登場から、誰しもが写真を楽しむようになった一方で、高価で重いカメラ本体の人気はかなり落ち込んでいた時期でもあり、メーカー側には生き残りをかけた真剣さがあった。

僕の専攻するインダストリアルデザインの花形産業はなんといっても自動車関係のデザインで、その次に家電関係や精密機器が続いた。カメラのデザインなども人気の上位で、このコンペの話はすぐに生徒達が飛びつく話題となった。けれど、ただでさえ大変な日常の課題提出に加えてこれらにまで参加するというのは相当の猛者達で、事前の申込みをするにも、かなりの覚悟を決めて臨むようなものだった。

僕の課題提出は相変わらず順調で、期限を守るのは当たり前で、常に余裕すら持ち続けていた。でも、それは他の生徒達と意識面が大きく違うせいだった。
デザイン自体にあまりストイックな真剣さがなく、自分らしい着眼点と差別化があればそれでいいという適当な判断基準から来るもので、悪い意味で常に迷いが無く、どんな課題でも直ぐに制作、直ぐに完成へとテンポ良くつなげて行くからだった。
そんな僕からすれば、コンペの作品を並行させる事などさほどの苦でもなく、数点の出点も可能と聞き、ひとりで2点の作品を出品させたほどだった。1点はコミカルテイスト、もう1点はスマートテイストと真逆のコンセプトで、説明用のプレゼンボードや展示手法などもかなりテイストを変えた2点となった。

クラスメイトの中にはそのような僕の「スピード優先」の姿勢を悪く言う者も少なからずいたけれど、1度でも課題の提出期限に間に合わないならそれで単位も危うくなる上、僕が参考作品に選ばれる結果が多かった為、皆も次第に僕のようなフットワークを認めざるをえなくなっていた。
僕の方も、誰ともぶつかりたくないと言う気持ちから接点を極力少なくしていたし、誰もがあまりの課題提出の忙しさから、人を気にしている余裕さえ無くなって行く。全員がお互いにライバル同士のように語る生徒もいたけれど、僕はたまたま同じ時期に入学をしたメンツくらいにしか思っていなかった。漫画を描いていた時と同じで、結局は全て個人作業になるからだ。かといって、全く友達がいないという訳でも無かった。

疲れ果てている生徒達の頭上を超えるように、元気な女子の声が響き渡る。
「おはよう!!聞いたよ、聞いた!!出すんだって、コンペ!!凄いよね、間に合うの!?今からだと、もうギリギリじゃん!!もっとさ、早く募集して欲しかったよね!?全くさぁ、ねぇ!?ありがた迷惑だよねぇ!?」
同じクラスのW子だった。彼女は同じインダストリアルデザインコースの同級生で、裏表のない性格で、僕には数少ない気を使わずにいられる友人のひとりだった。ちなみにW子の彼氏も同級生で、かつて僕がハーモニカを教えた事もあった。

W子自身も、もちろんデザイナーを目指しているのだけれど、さすがに課題と並行してまでコンペなどを目指す余裕はないとの事で、それに果敢に挑戦する僕を尊敬しているようだった。とはいえ、彼女のような元気者が、せっかくの学園祭に何も参加しないという訳も無かった。W子は少々真面目な声で言った。
「ところでさ、広瀬君。本当に、私で良いわけ?本当に、本当?だって、大した事できないよ、まじでさぁ。絶対、足引っ張るしぃ~」
僕は笑いを交えて答える。
「いやいや、大丈夫だって、全然問題ないよ。この前だって良かったじゃん。やろうよ、絶対、上手く行くって。だって、もう実行委員会に申し込みだってしちゃったんだよ」
このやり取りは、はためには学園祭関係の何かしらのコンペへの出品の話のように聞こえる事だろう。確かに、学園祭への参加には違いないのだけれど、それは作品の出品ではなかった。

少しだけ不安そうにしながらも、W子は元気に言う。
「うん!!やるよ!!絶対!!せっかく広瀬君が誘ってくれたんだからさ!!でもさ、本当に大したもんだよねぇ。課題だっていつも早いしさ、その上、コンペも出してでしょう?それだけでも大変なところに来て、ハーモニカだよぉ~、まぁ、ハーモニカは、練習の必要なさそうだけどさぁ~。たぶん広瀬君なら、当日、ポワンポワ~ンって簡単にやっちゃうんだろうからさぁ。それにあの子さ、Q君だっけ?凄いギター上手いもんね!!」
そう、僕とW子が話しているのは、学園祭での「ライブ演奏」についてだった。

確かに学園祭は卒業後の就職を賭けたコンペなども重要だけれど、やはりお祭り的な要素も魅力で、大学などと同じように在学生によるライブイベントも開催されるのだ。
僕はこれに高校の同級生Q君とデュオで参加する事を決め、キーボードが弾けると話していたW子を助っ人として誘い、学園祭のためだけのユニットを組んだのだった。
W子の担当はコード(和音)を押さえるくらいの伴奏で、ソロ・パートなどの責任がある部分は担当させ無いというのが、彼女が出した参加の条件だった。
アコーステックギターとハーモニカとキーボードのトリオという事で、練習はスタジオなどは借りず、千葉県の僕の家でこぢんまりと行い、1、2回合わせたくらいでもう十分なほどだった。キーボードが伴奏で加わってくれるため、ギターもソロ・パートを演奏できるようになり、ハーモニカも2人の伴奏に乗せるため、俄然、演奏に安定感を出せるようになった。

元気なW子が加わってくれた事で、仲直り後の僕とQ君の間には、さらに穏やかな関係が続いていて、3人がそろっての練習はわずかだったけれど、学園祭で解散というのが惜しいほどのコンビネーションに感じられた。

こうして、僕にとっては授業での過酷な課題提出、そしてカメラメーカー主催のコンペへの2点の作品の出品準備、そしてライブ出演に向けたハーモニカの練習と、実に忙しい月日が流れて行った。

つづく


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