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28話 東京の楽器専門店

「3つの謎」こそ解けたものの、ハーモニカマイクを失った悲しみに打ちひしがれる僕だったけれど、意外にもすぐにそのショックを忘れる事になる。「新しいマイクが手に入った」というような喜ばしい理由ではない。それどころではない、大きなショックを受ける事になったからだ。

僕は相変わらず漫画家を夢見続け、月々の漫画の賞レースに申し込むだけでなく「週刊少年ジャンプ」の編集者のひとりに、エンピツ描きの段階で直接アドバイスをもらえる充実した日々を送っていた。
そんな中、最年少デビューのためには「どうしても高校生の内に新人賞を取る!!最低でも佳作で!!」と意気込んでいた。もちろん入選が望ましいけれど、学校でも家でも進路の話が出始めていて、親を説得する為にも、なんとか結果を出さなければと焦っていたのだった。そんな事から、僕のエンピツ描きでの持ち込みは鬼気迫るものがあったろう。

そんな僕に編集者は「よし、本気でデビューを狙うならば」と、秘策を与えてくれた。けれど、その内容は当時の自分の年齢では、到底受け入れられるものではなかった。
僕の漫画の基本路線はギャグテイストの「学園モノ」だったのだけれど、それに「女子の着替えなどのエロシーンから物語が始まるように」「ケンカのシーンを殺害事件に変えて」などの、商品戦略的な指示を、いきなり突きつけられたのだ。

僕が悔しくて返事ができずに黙り込んでいると、突如、編集者はエンピツ描き原稿を放り投げ返して来た。それは「君にはそういった手法を取るくらいの才能しか無いだろう」と言われたようなものだった。自分には勉強も運動も何もかもダメでも、漫画の才能だけはあると思っていただけに、このショックは立ち直れないほどだった。
そしてまだ視野が狭かった僕は、その担当者が漫画業界の大物のように思えて、急に怖くなってしまい、今回逆らった事で、他の出版社も含めて漫画業界全体に出入りできなくなったのではないかとまで、怯えきってしまったのだ。

それから数日と経たない内に、たまたま同級生の女子のひとりが、密かに漫画家を目指していたらしく、少女漫画で最年少デビューを決めた事を突然知らされる。
僕は漫画家以外の道を考えていない事をクラスメイトにも伝えていたため、公言しているのに佳作にもならない僕と、誰にも言わずにサラリとデビューを決めたその子との差が浮き彫りになってしまい、クラスメイト全員の僕への同情の視線が痛いほどだった。僕はその恥ずかしさと悔しさから、あっさりと「才能が無いから、もう漫画家は諦めた」と、勢い任せに公言してしまった。

時期的には全員が進路を決めて行くタイミングだったのもあり、ひとりは夢を実現させえ、ひとりは断念したという明暗が別れた高校の一日という事で、それはそれで青春の1ページとして静かに流れて行った。
その宣言直後から、僕は急に忙しくなる。なにせ「漫画家になる」以外の進路をまるで考えていなかったのだから。とはいえ、今から勉強をやっても追いつかないだろうし、大学なんて考えた事もないし、浪人なんて事になれば親が認めるはずもない。
慌てて担任の先生に相談し「絵を描くような進路」という中で、東京のデザイン系の専門学校を勧められる。とりあえず絵を描くような仕事に着くには、有力な学校らしいとの説明だった。実際のところは「漫画家を諦めた段階で、もう人生どうでもいい」という自暴自棄な部分もあって、先生の勧め通りあっさりその進路に決定し、僕は具体的な受験の説明を先生から受ける事になった。

その目標校は2年制の専門学校で、簡単な学科試験と「エンピツデッサン」「平面の色彩構成」という絵の実技試験があった。デザイン専門学校の中でも、なかなか敷居が高いらしく、自分の高校からはまだ合格者が出ていなかった。驚いたのは、なんとその学校を受験するための「夏季・特別集中講座」まで開催されていた事だ。
僕は、漫画以外の事を少しも考えて来なかった自分への罰のような気持ちもあって、うなだれながらその講座に自分から進んで申し込んだ。

申し込みから講座までの数ヶ月の期間に、荒れた気持ちも随分落ち着いて行く。クラスメイトも美大なり専門学校なりおのおの進路に向けて動き始めるタイミングだったので、僕もその中に紛れた。(まだ、僕が漫画家を諦めた事を気にしているクラスメイトはいるかなぁ)なんて、人目を考えた日もあったけれど、誰もが進路の事で頭が一杯っていう感じなのが救いだった。
今まで漫画を描く為に当てていた時間がまるまる空いたので、家にいる間中、僕は遅れに遅れた勉強を頑張ったり、講座で習う為の準備にも費やす事にした。その頑張りの中で、不思議と漫画への未練や、悔しさとか惨めさみたいなものも、少しずつ薄れて行くのも解った。

頭の中に少しだけ余裕が出て来る頃、僕は勉強の合間に、久しぶりにハーモニカに手を延ばしてみる。ただ気まぐれに「ポワ~ン」とやる感じだ。急激な進路変更で今更のように忘れていた「マイクが捨てられてしまった」という事を思い出す。あれほどの重大事件だというのに、それすら遠い昔のような感じがした。
(そういや『3つの謎』が解けたんだったな)そう思い出し、こちらも久しぶりにハーモニカの教則本をパラパラとやる。(そうそう、セカンドポジション奏法だよなぁ~)ページを進めながら、僕はあるページで、手を止めた。それは、様々なテンホールズハーモニカの写真が載っているページだった。僕は、ただぼんやりと、そのページをいつまでも眺めていた。

そして集中講座の日を迎える。夏の照りつける暑さもあり、せっかくコツコツと準備を進めて来た講座だというのに、なかなかやる気にはなれなかった。けれど、僕にはそんな自分を奮い立たせる為、前もってこの期間を乗り切った後の「ご褒美」を先に決めていた。
地元千葉から東京へ向かうため、親から電車賃と昼食代を出してもらえるのだけれど、そのやりくりを上手くやる事で、僕は臨時の小遣いを作り出す計画を立てる。それが「ご褒美」の資金となるのだ。そのご褒美の為に、僕は東京へ通い続けられるという訳だ。

集中講座の期間は数日間で、専門学校らしく集まったのは社会人から学生までとかなり幅広い年齢層だった。講師も中学・高校の先生と比べると、さっぱりとしていて教育者としての力みがまったくなく、デザイン業界の入り口といった軽やかさがあった。
昼食代を浮かすため、家から密かに持ってきたパンをかじり、その頃はまだ飲む事もできた水道水をたらふく飲む。授業は真剣に受けるものの、僕はもうひとつの目的地の事で、すでに頭がいっぱいだった。

迎えた集中講座の最終日。夕暮時にグーグーと鳴る腹を手持ちのパンと水道水で押さえ、浮かせた金額を握りしめる。そしていよいよ僕は、自分へのご褒美とばかりに、この夏のお楽しみにしていた「東京の楽器店」へと向かうのだった。

渋谷にある大きなビルの2階にあった楽器専門店。そこには田舎の楽器店とは違い何でも揃っていた。ギター、ベース、ドラムに、シンセサイザー、そしてもちろんハーモニカ。
緩やかな螺旋階段を登ると、壁沿いにサックスやトランペットがキラキラと輝き、上の階にあるだだっ広い楽譜・書籍コーナーには大勢の「楽器を抱えた演奏者らしき人達」がひしめいていた。

さらに先へ進むと、バイオリンやチェロなどが入るガラスケースが両脇に並ぶ通路の先に、お待ちかねのコーナーがある。それが「ハーモニカ専用売り場」だった。
相談のための椅子付きのカウンターもあり、そこにはハーモニカを並べて、その特徴などを質問している客がいる。
ここは、ハーモニカを他の金管楽器と並ぶ「一人前の楽器として見せている」珍しい売り場で、若きハーモニカ吹きには誇らしい光景だった。

部屋の中央には宝石売り場のような照明付きの大きなガラスケースがあり、僕が今まで使って来た「メジャーボーイ」はもちろんの事、以前買った教則本にも載っていた様々なテンホールズハーモニカの機種が当たり前のように並んでいる。
「オールドスタンバイ」「ゴールデンメロディー」「プロハープ」などなど。中には当時で9800円もする「マイスタークラス」というテンホールズハーモニカもあり、まるでピカピカに磨き上げられたトミカの「ミニカー」が一堂に会したようだった。

ガラスケースを眺める僕の方へ、店員さんが近付いて来る。もちろん「今日はハーモニカをお探しですか?」などと当たり前の事は聞いては来ない。ここはハーモニカ専用コーナーで、ここに来る客はより多くの中から自分の目当てのハーモニカを選ぶ為に来ているのだから。僕は勇気を出して、自分から言葉を掛けてみる。
「あのう、『ホーナー』のテンホールズハーモニカを、見たいんですけれど」
「ホーナー」とはドイツのハーモニカメーカーで、その生産規模は世界最大でもある。
店員さんは「はいはい」とばかりに慌てず「こちらへ」と相談カウンターへ誘導する。
この後、僕は生まれて初めて「海外商品」のテンホールズハーモニカを手にするのだった。

つづく


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