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110話 『陶磁器の町で』②

僕が目の前の紙に書かれた予算表の額面が大きい事に注目した途端、間髪を入れず、その様子をまたすぐに茶化される。
「おいおい、すぐに(この予算を)あんたにあげるって、言っとらんで。みんなでやる事が決まったもんは、ここ(組合)で払うってだけよ。決めるのは、町の若い衆よ。どう?会ってみる?」
この言葉が終わる頃には、もう彼は自分の机に置かれた電話の受話器を手に持ち、今にもその若い衆とやらに連絡しようとしているところだった。
僕はとっさに「いえ、今日のところは、ただ立ち寄っただけですので」と返した。今までの土産店だったらそんなフットワークでも良いかもしれない。けれど、今回だけは僕にとって失敗は許されない話なのだから。
彼はまた笑いながら「そうか、また、準備して出直すか?ええで、ワシまだしばらくは(引退までは)ここ(組合)おるから」と言い、眼の前の予算の書類を取り上げ、机に立て掛けられた元のファイルへと戻した。
そのからかうような様子は、まるで鼻っ面にぶら下げられた人参に僕が鼻息を荒くしたのを見透かしているようだった。経理畑というからには、そこは人を判断する上でかなり重要な部分なのだろう。

後日、改めて彼の言う「若い衆」に紹介してもらえる事になった。それは町の様々な事を話し合う経営者の集まり「青年部」代表者の男性2人だった。
1人は明らかに「青年部」らしい若さで、髪も茶色に染め、土にまみれる陶磁器の職人とは思えないほど時代に合ったファッションセンスだった。もう1人は彼より明らかに二回りも年齢差がありそうな中年男性で、2人はまるで親子ではないかと思わせた。言葉では「青年部」といっても、そのメンバーにはかなり年齢的な幅があるようだ。
小さい町なので、この2人も含め青年部の誰もが消防やPTAなども兼務しているらしく、一度にいくつもの肩書を紹介される事になった。いわば町の名士達という訳だ。

青年部のメンバーは陶磁器の量産品を製造・販売している個人経営の社長さんばかりらしく、例え同じ地域でも町役場のような警戒感の無いのんびりとした雰囲気ではない。常に作業に追われ、その工程の間のわずかな空き時間を利用して事務所に駆け込み、用件が済み次第急ぎ工場に飛んで戻るという慌ただしさがあった。まぁ、見た感じは社長さんというより「親方衆」と言った方がしっくり来るほど、筋肉質で男っぽいこわもてだった。
町で育った人以外はあまり立ち入らない地域とあって、初めは詐欺師を見るような疑いの目を向けられたけれど、いくつかの企画書や商品のスケッチなどを見せる内に、(まぁ無料でいいのなら、一度くらいは試してみるか)という程度の興味を持ってもらう事ができた。
そして、ざっくばらんに町の実情を話してもらう中で、僕は実に「窯業の町らしい問題」を知る事になった。

町の多くは普通の量産工場ではあるものの、若い陶芸家や人間国宝を出した特殊な窯元も横並びで仕事をしている。それがこの時期、急にブームのように「匠」と崇められ始め、何の準備もない町内にどっと観光客が押し寄せて来るようなありがた迷惑な流れとなり、町として今後どう対応して良いのかを迷っていたらしいのだ。
ところがそれを決める青年部の全員が、お互いに自分の会社の親方のような立場だ。近所付き合いこそあっても、仕事の面での意見交換となると、さすがに気楽にはできないものがあるというのだ。「誰もが同じ仕事でのボスという立場」だからだ。
せめて話し合いだけでも進めなければとは思うものの「では誰の号令で?」「何から話すのか?」が決められないと、つまりはこういう事だった。
陶磁器という部分を除けば、他の観光地と全く同じで、最初の一歩で足踏みをしている段階だったようだ。こうなると、僕のかつての商品開発のスキルより、ここ半年で身につけた、話し合い後の議事録制作の経験の方が活かせそうな感じではないか。

2人は、僕の存在自体は怪しみつつも、その時提出した「叩き台」とも言える商品のアイデアのスケッチの数々には、価値を見出してくれたようだった。
歳が上の親方だけが、僕にいくつかの質問をして来る。
「あんたさん、いつからこれ(企画の仕事)やっとんの?」とか「物言いが関東のようやけど、生まれはどこよ?」とか。一方の若い方は、年長者を立てる業界という事なのか、自分からは一言も話しては来なかった。
一通り会話が終わると、2人は顔を見合わせながら、何やらニヤニヤと少し意地が悪そうな微笑みを浮かべた。
察するに、僕の叩き台を使って話し合いを始めれば、何のリスクもなく、自然な意見交換の場が生まれるのではないかと見込んだようだった。もちろん採用してやる義理もない訳だし、後は怪しい詐欺師のような奴だったと蹴ってしまえば、それで終わりで済む訳だ。そういう意味での、身勝手さがほのかに漂う笑みだった。
仮にそうだったとしても、この点は他の町の会合と同じで、結局は叩き台があれば話は進むという事ならば、ある意味では売り込みの第一段階は成功したようなものなので、僕の方は正直ほっとしていたくらいだ。
この頃になると、自分の考えたアイデアが半ば叩き台で使い捨てられる事に、なんのダメージも受けないほどタフにもなっていたし、電話すら受けてくれない日々に比べれば、とんでもないチャンスを手に入れたように感じてもいた。それに、要は動きさえあれば、後はなんとかできるはずという、自分の企画の応用力に対して自信を持ち始めていた。

この日、僕は青年部会合の日程を聞き、それまでに大ラフで「叩き台となる商品企画案」を持参し、参加する事を約束した。なお企画書は前日までに人数分コピーし組合に届け、事前に関係者に見てもらう事になった。もちろん、コピー代なども含め、その一切の費用は僕の自腹で、青年部には請求はできないという事だった。

そして親方衆が集まる会合当日。
やはりこの地域でも夜の19時頃の集合だった。
よほどに職場である窯場が暑いのだろう。親方達全員が、汗だくの首にタオルを掛け、まるでサウナから出て来たような雰囲気で、組合に集まって来る。
少し前に到着していた僕は、事前に窓口となった親方と簡単なやりとりを済ませていた。
この日の会議で話し合われる予定の「観光客対策も含めて、これからどんな物を作って行くべきかを話し合いたい」という漠然とした議題に対して、少なくとも会話が弾むようにと、最近の食生活をからめた新しい食器の商品アイデアをスケッチとして描き起こし、資料として用意した。
それは「ポテトチップ」や「ポッキー」といったいわゆるコンビ二の菓子を含めた若い人向けの食器で、和食まわりしか意識していなさそうな親方衆に対して、あえて時代的なインパクトを与える事に重点をおいた商品企画だった。
資料は商品企画のため全てカラー原稿で作り、自腹でコンビニのコピー機で人数分を用意した。A4サイズ1枚50円はなかなかの出費だった。なにせ配る相手は、10人以上もいたのだから。
僕は、事前にそれなりの出費をした事もあり、かなりの気合でこの会合に望んでいた。

つづく


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