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62話 同期の言葉

当時、会社帰りは毎日のように何かしらの飲み会があり、新入社員はもれなく「一気呑み」を強制されていた。いわゆるアルコールハラスメントの範囲で、ちょうどそれが社会問題にもなっていた頃だった。
僕の会社はハードワークが日常的で、深夜帰りも多いため、社外での男女の出会いは当然少なくなる。加えておもちゃ会社という性質上、社員達の多くが超の付くヲタク達である為、結果として趣味が理解できる者同士がくっつき、社内結婚が9割に近かった。そんな会社の飲み会となると、毎回が出会いを求める気合の入ったコンパのような盛り上がり方になっていた。

酒の席で音楽の好みなどの話題になると、僕はテンホールズハーモニカやブルースの話をいつ切り出そうかとうずうずしていたけれど、その機会はなかなか巡っては来ず、女子社員達の社内恋愛の話に付き合わされるばかりで、ほとほとうんざりしていた。
特に気になるような女子社員もいなかった事から、セコかった僕は、男側が常に多めに割り勘を払わされるのが嫌で、できれば早く家に帰って好きなアニメでも観ながら、だらだらとしていたいくらいだった。

小間使いのような仕事ばかりがいつまでも続く中、ある日、会社の業務で新製品の展示会の飾り付けに行かされた僕は、同期と2人、帰りがけに最寄りの駅の居酒屋で酒を飲む事になった。
自分達も含めてだけれど、周りは100%黒かグレーのスーツ姿で、まるでサラリーマンしかいない街のようだ。その場には気を使う上司や先輩もおらず、互いの上司の悪口に花が咲き乱れ、久しぶりに羽を伸ばせた気がした。
そんな新入社員のグチだらけの酒の席も程よくお開きとなり、僕らはフラフラと店を出た。
同期はかなり酔い、時折大声で上司の無能さを口にする。少しばかりみっともないながらも、いつもと何も変わらない光景だった。僕は、自分がよくいる会社員のひとりで、皆と同じようなグチ話をする毎日に満足していた。

僕らが呑んでいた居酒屋の近くには、団子やせんべいなどのお土産店が立ち並んでいた。土産を買うでもなしに、酔いに任せそれを眺めながら駅に向かって歩いている内、遠くからアコースティック・ギターをかき鳴らすような音が聴こえて来るのに気がついた。
やがてその音がする辺りを通り掛かると、そこにはギターの弾き語りをしている男性がいた。
20代くらいに見えるけれど、Tシャツにジーパン姿で、その雰囲気からなんとなしに会社員ではなさそうなのが分かる。

演奏していたのは僕もかつて演奏していた「ジャッカ、ジャッカ」のブルースのような感じの曲ではあるものの、それとは所々に違う部分があった。後になって知るのだけれど巷では「ニューオリンズ系ブルース」などと呼ばれていた音楽だ。「憂歌団」などがその代表的なバンドだったようだけれど、当時の僕はスタンダードなブルース以外は、まだ知りもしなかった。

僕はほろ酔いの中、頭の中でテンホールズハーモニカを合わせ始めていた。しばらく人に合わせて演奏する事もなかったので、その脳の使い方はかなり久しぶりで、新鮮な感じがした。
もし実際に、今この場で彼とセッション演奏をする事になったとしても、自分が持っている技術ならすぐにでもハーモニカでアドリブ演奏できそうな曲ではあった。けれど、ある箇所になるとコード進行(和音の流れ)がよく解らなくなる部分が出て来る。そこの部分が気になった僕は、まるでクイズの答えを考えるかのように、その人の弾き語りをただぼんやりと見続けていた。

「お~い、広瀬ぇ~、もう行くぞぉ~!」
いつのまにか真剣に考え込んでいた僕は、待ちかねた同期のやや怒ったような声で我に帰った。
同期はかなり酔いもまわっていて、ろれつもはっきりしない大声で、目の前の弾き語りの演奏を邪魔するように、もう一度僕を呼んだ。
また同期と並び少しずつ駅に向かって歩き始めるものの、弾き語りの曲が気になった僕は、耳をそこへ置いてきたまま、上の空の状態だった。

何度か後ろを振り向きながら歩く僕に、同期がからむように言う。
「なんだよ、あの人、知り合いか?違うだろ。全くさ、いるよな~、ああいう奴ら。もうけっこうな年じゃん。みっともないよな。あの歳で、歌手とか目指してんのかね?」
そんな何気ない同期の言葉に、僕は密かに固まってしまった。
一瞬にして、会社の誰にも言ってはいなかった、数ヶ月前のホコ天でセッションをしていた自分を振り返った。自分だって別の駅前で同じような事を続けて来たのだ。しかもそれがホコ天の閉鎖でたまたま頓挫しただけで、続けられるものなら日曜日のたびにその世界に酔いしれ続けていたはずなのだ。

この瞬間、僕は初めて認識した。会社員となった自分達の立ち位置では、それは「みっともない」と言われる事だったのだ。
その同期はさほどおかしな事をいう訳でも、意地悪なタイプでもなかった。そう思う方が、今の自分達がいる世界では自然なのだと、僕はそこで初めて思い知らされたのだ。

僕はすっかり酔いからさめていた。自分が固まっているのを同期に気が付かれないよう必死に振る舞って、大声で馬鹿話をしながら駅までの道のりを、千鳥足で歩き続けるしかなかった。

つづく


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