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82話 初めてのBar②

セッション演奏の開始時間には、店は参加するお客でほぼ満席になっていた。当たり前のようにギターの参加者が多く、ぱっと見て10本くらいのネックがトゲの山のようにきり立っているのが見える。店に僕以外にもハーモニカの人がいたとしても、店の楽器を借りる人やボーカルなどと同じく荷物が無いように見えるため、はた目には判別がつかない。
気がつけばステージの準備も済み、第一陣のセッションメンバー達のイントロ演奏が始まっていた。ライブハウスのような爆音ではなく、心地良いくらいの音量の加減で、ブルースらしい重たさだけがズシリと伝わって来る。
これが本当に、ブルースセッションをしたいアマチュアの集まりのクオリティーなのだろうか。とてもではないけれど、名前を呼ばれ組まされたばかりのメンバーとは思えないほどのグルーブ感が出ているではないか。
僕はその瞬間の演奏の雰囲気だけで、もう元が取れたくらいにまで感じられ嬉しくなった。

どこのテーブルでもそうだけれど、演奏中に相席の人が話し掛けて来ると、聞こえるように自然と耳を寄せ合いお互いが少しだけ大声で話すようになる。
「さっき呼ばれたブルースハープって、あなたですか!?この次ですよね!!」
「はい!!そうみたいですね!!」
「私なんか、結構、遅れて来たからな~!!ギターなんで、なかなか順番来なさそうだな~!!」
「そうですよね!!ギタリストは多いですもんね!!」
僕はこんな相席の人とのやりとりだけでも、十分に嬉しかった。ストリートミュージックでは最初に声を掛けるまでだって、一体どれだけの勇気が必要だった事か。いや、それ以前に「自分は音楽を聴きに来た訳じゃない、演奏をするために来たんだ」と、最初からそう素直に言えれば、どれほど話が早かった事だろう。

僕は、今自分がいる店が主催する「セッション」というシステムに守られ、その安全の中で、程よい大きめな音量に心地良く身を委ねていた。
そして、この曲が終われば、僕は確実に「演奏をできる権利」を手にできるのだ。

最初のセッションメンバーが2曲ほどのブルースを演奏し終えると、次のメンバーが自分からステージに上って来て、演奏を終えたメンバー達と入れ替わって行く。
僕もそれに合わせステージヘと向かうのだけれど、初めての店なので、一緒に演奏するメンバー全員がおのおのの立ち位置に落ち着くのを待つくらいがちょうど良いと思った。とにかく新参者なので、なにかと様子を見るのも大切だ。
僕は演奏自体は今まで演って来たブルースとほとんど変わらないという事にほっとして、かなり落ち着いて来ていた。Barのセッション自体が初めてだと言うのに、これまでの警戒感をとっぱらってしまったかのように、ただウキウキとしていられたほどだった。

ややタイミングをずらして店員の男の子もステージへと戻り、再びスタンドマイクの前で案内を始める。
「え~と、次のセットに交代する間、お店からの連絡です。今月末のライブに、次のセットのメンバーの方が、お2人参加されま~す」
慣れた調子の宣伝に対して、セッティングの手は止めずギターとドラムの参加者の2人がひょいっと軽く手を挙げる。

ブルースという音楽でセッションをする場合は、ほとんどはボーカルが中心となる。今回一緒に組む事になったボーカル担当の人は60代後半くらい、きれいに揃えたウェイブがかった白髪がスマートで、同じく白いひげがジェントルに決まっている。ニットにスラックスのようなラフなおじさん特有の服装ではあるものの、それぞれがステージに映える派手さを持ち、さり気なく裕福な感じに満ちていた。
そして、かなりセッションに慣れた調子でギター、ベース、ドラムの各パートにパッパと指示を出して行く。
喋る声も程よくしゃがれた魅力があり、僕には「ハープの人、よろしくね、KeyはE、大丈夫?」とだけ言い、僕がうなずくのを確認すると、改めて「初めてだよね?この店」と聞いて来る。僕が笑顔でうなずき「初めてなんです。よろしくお願いします!」とノリが良い感じで挨拶をすると、彼はまるで外国のバンドマンがするように親指を立て「イェ~イ♫」とやってみせた。歳の割には軽快な若々しさがあり、かなり社交的な人のようだ。

自分の演奏するスペースを陣取った僕は、店員の男の子がマイクで案内を一段落させるのを待って話し掛ける。
「あの~、すみません、僕、ブルースハープなんですけど、自分のマイクを持って来たんで、お店のギターアンプをお借りしたいんですけれど」
路上でも使っていた「ブルースブラスター」というハーモニカ専用マイクを使うため、店の音響機材を借りる必要があったのだ。このマイクを使った大音量で演奏するのも、このセッションデーに参加した目的のひとつだった。
けれど、僕がそう言い終わるのを待たず、エレキギターのイントロがスタートしてしまう。どうやらミドルテンポ(急がない速さ)のシャッフル(ブルースの跳ね目の行進するようなリズム)で演奏をするようだ。それは高校の時からやって来た「ジャッカ、ジャッカ」のブルースと、同じようなものだった。

曲が始まってしまえばもはやマイクどころではない。僕はPA(音響を操作する機械)の脇にあるサイドボーカル用マイクを片手に、すぐにテンホールズハーモニカの音をかすかな弱音で重ね、まずはハーモニカKeyが間違っていない事だけを確認すると、改めてボーカル担当の年配の男性の方を見た。
ギターの人はボーカルからの指示で素早く曲を始めたようだけれど、他のメンバーの誰もが、同じようにボーカルの方を一心に見つめている。それは人気者というより、機嫌をそこねないようにとの慎重さを感じさせるものだった。まわりからの扱われ方から察するに、どうやらこのボーカルの男性はこの店の顔「大常連さん」という事のようだ。

イントロの後半あたり、大常連さんはにこやかな笑顔で「行くぜ、君。とにかくガンガン絡んできてくれよ。頼むよ!」と、僕に向かって歌にハーモニカの音をかぶせるよう声を掛け、そのまま得意なナンバーを余裕しゃくしゃくで歌い始める。
僕は、要望通り音数を多めにオブリガート(歌の合いの手)を重ねて行くものの、ここで言葉通りに受け取るのは危険だと判断した。誰もが自分が主役のこのステージという場所で、ましてや店の顔がすでに酒を呑んでいる状況、相手を立てておくのが無難だ。ここで必要なのはハーモニカ演奏より、会社員としての世渡りスキルの方だろう。
大常連さんは、まずは僕のハーモニカの出音に満足したような表情を見せ、スムーズに歌の部分を流し、素早くギターのソロへとつなぐ合図を出して行く。
さすがはブルースセッションをうたう店だけあって、誰もがセッションに慣れていて話が早い。ここで、僕はギター・ソロの間の数コーラス(歌のひとかたまり分の長さ=1コーラス)分のひと休みに入る事になる。

少しばかり余裕ができた僕はようやくステージから客席の様子を眺め、壁中に飾られたブルースのレコードコレクションから、この店の音楽の傾向を探り始める。
薄暗がりの中にぼんやりと見えて来るのはエレクトリックバンドのアルバムが中心で、ボーカルに重きを置いているような傾向が目立った。まだ姿は見ていないけれど、おそらくこの店のオーナーさんはギタリストなどの楽器弾きやバンドマンではなさそうだと、勝手に予想を立てる。
テンホールズハーモニカの奏者では「ジュニア・ウェルズ」のアルバムがあった。彼はアコースティックなハーモニカらしさを全面に出すスタイルで有名なブルースマンなので、僕はしたたかに店側のハーモニカの音の好みをさりげなく頭に入れ、音的にはブルースブラスターを使わなかった事が良かったのかもしれないと密かに思った。
使っているコーラス用のマイクのセッテイングが、自分では調整できないので、外への出音の大きさなどのバランスまでは把握できないのだけれど、聴いている客の様子では僕のハーモニカの音量に問題はなさそうだった。
それにしても曲の「ビート(リズム的な感覚)」自体は重たげなのに、楽器の音量自体はかなり小さく軽やかだ。最初に見たセットもそうだったけれど、これがライブハウスではなく「Barで演奏をする」という事なのだろう。

急に全体の音量が下がり始める。それは大常連さんがペンギンがするように手をパタパタとやり、全員に音を下げるよう指示したせいだった。これはセッションの見せ場を作る時の定番手法だ。
「さぁ、行くぞ~、ハープ!!君、いいかい?」
大常連さんは、まるで歌番組の司会者のように言い放つ。セッションが始まる時に僕が「今日が初めての来店」と言ったのをおぼえていたのか、それとも彼のお決まりの行動なのか。どうやら新参者の僕に、自己紹介の花道を用意してくれるようだ。
まるまる1コーラスを無駄に使い、大常連さんは僕をステージの中央へと呼び込むと、伴奏側にさらに主張を抑えさせての、次のターンがスタートする。

僕はスムーズにハーモニカ・ソロを吹き始める。けれど、ここでは音数はまだ少な目にしておく。男女でのコンパの挨拶などと同じで、立て続けに話せば慌ただしい。ある程度、ぱらりぱらりと、隙間を作り気味に演る。相手に「どうしたよ、ビビってんの?」と言われるくらいで丁度いい。
実はそこには、明確な理由があるからだ。

「ワンモア、ハープ、ヘイ、ハープ!!」
演奏が控え目な場合は、おそらくもう1ターンを僕にくれる。さすがに次からはやや派手めに演ってみせる。こんな相手を誘導するような返し方も、ブルースセッションでは全てが定番中の定番だ。

この頃の僕のハーモニカ・ソロは、音色の響きこそウケてはいるものの、どれも誰かのハーモニカ・ソロのマネのようなものだった。「コレかっこいいな」とか「コレやってたら相手が一目置くだろうな」といったフレーズをつなぎ合わせたメロディーばかりだった。その引き出しが多いのが「良い奏者」だと思っていたくらいだ。
ストリートで「音楽とはなんぞや、表現とはなんぞや」などと真正面から問われるのが僕は大の苦手だった。自分ごときにはそんなものは無いと思っていたからだ。とにかく自分が憧れている人達が出している音をマネる、それだけで十分嬉しかったのだ。まして今夜は、それを音響を通した大音量で出せるのだから。

そんな僕の初めてのソロは、店ではウケにウケた。大常連さんが客席に拍手をあおるせいもあったけれど、今までにそれなりの経験を積んで来た甲斐があったというものだ。それにお決まりのやり方で手慣れたメンバー達がバック演奏を付けてくれれば、上手く行かない訳などないではないか。
大常連さんは、そのまま後半の歌に突入するも「自分の歌などオマケだよ」と言わんばかりに、僕のテンホールズハーモニカのオブリガート(歌の合いの手)の方をフィーチャーし続け、そして程良い加減で曲をシメた。余裕綽々といった、落ち着いた大人のセッションだった。

終わるやいなや、大きな拍手が巻き起こる。けれど、それがまばらになるのすら待たず、「KeyはまたEね、スロー、ストマン進行、音は下げめで」と、次の曲の指示を最低限の言葉で指示し、そのまままるでメドレーのように次のセッション曲が始まった。
大常連さんは僕をさらに押し出そうと決めたようで、2曲めはかなり小さめの音のシブいバラードになった。ややジャズっぽい複雑なコード進行(伴奏の和音)なのだけれど、テンホールズハーモニカの活きそうな選曲だった。すぐに曲は立ち上がりを見せ、その曲を知る客からは軽い声援が漏れ響く。

また先ほどと同じ様に「もうオレの歌なんかは十分さ」とばかりに大常連さんは自分の歌を早めに切り上げ、僕のハーモニカへのソロをふる。
ギタリストを見ると難しいコードを押さえるのに必死で、「ハーモニカからソロ行きますね」という僕からのアイコンタクトには気付いてはいないようだった。
そのまま僕のハーモニカ・ソロが始まる。しかも、前の曲よりもさらにフィーチャーされた状況の中で。

けれど、これほどに全てが整った環境の中ではあったものの、予想もしなかったある困った問題が起こり、僕はこの曲の演奏に集中できなくなるのだった。

つづく


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