81話 初めてのBar①
出会いというのは本当に不思議なものだ。
路上でのハーモニカ演奏を通して「ストリートは弾き語りの人達が歌を聴かせるための場で、自分はハーモニカでのセッションだけが目的だった」という結論がハッキリと出せた直後に、なんとその場を教えてくれた謎の男性当人が現れ、また次に向かう場所を教えてくれたのだから。
まるで「勇者の剣」を「ハーモニカ」に持ち替えただけで、冒険物のロールプレイングゲームの主人公ではないか。
とはいえ、「はい、そうですか」とすぐにブルースセッションイベントをやっているBarに向かうのかというと、そんなに単純ではなかった。しばらくは今まで同様、暇を見つけては路上演奏の場をブラブラし、知り合いを見つけてセッション演奏をしながら、世間話をするように「Barでのセッションイベント」の情報を集めてみたりした。まぁ、これもまた「村人に魔物の噂を聞いて回る」という、ゲームのような流れだ。
驚いた事に、ブルースっぽい曲を演奏をする誰もが「Barでのセッション」を当たり前のように知っていて、その経験者も多く、すぐに多くの店の情報が集まって来た。
中でも、とあるギタリストからの情報は僕にはありがたいものだった。金額も低めで、その上、僕のハーモニカの腕を鍛えるにはもってこいの店だというのだ。
彼はその店のセッションデーの定期的な開催日と、最寄り駅からの行き方を簡単に伝えると、いかにも大人がする会話といった感じのスマートな言い方で「じゃあ、店で会おう」と僕に言った。
そんな訳で、結局、最初にBarでのセッションを勧めてくれた謎の男性から紹介されたチラシの店とは違う店から行ってみる事にしたのだけれど「君の楽器に向いた場所」として、ミュージックBarという存在を教えてくれた事には、本当に感謝をしていた。
そのBarは、僕らが路上で演奏をしていた駅からはかなり離れ、同じ東京でも千葉よりの駅にあり、月に一回、定期的にブルースセッションを開催していた。
当日は、店の音響機材を借りられるという事から、手持ちの電池式アンプは必要ないため、持てる限り全てのKeyのハーモニカを布のケースいっぱいに詰め込み、まだ明るい夕方頃に寮を出発し、その店のある駅へと向かった。
しばらくは特に約束や決まり事などなにも無い路上での演奏に慣れていただけに、Barへと向かう電車の中で、「もし、相手にこんな嫌味を言われたら」とか「もし、こんな難しい曲をセッションする事になったら」と、起きうる問題ばかりを想像し続け、久しくなかった緊張感に何度も武者震いをした。
駅に着く頃にはすっかり日も暮れていて、その駅周りの商店街には夜特有の賑わいが始まっていた。
方向音痴な僕でも、聞いていた情報だけで確実に目指す店に辿り着く事ができた。それというのも、駅を降りた時に肩にギターを掛けた数人が、同じ方向へ歩いて行くのが見えたからだ。
その一団について商店街を抜け数分ほど歩くと、それらしい夜の店が立ち並ぶ一角に着く。その中の一軒の店先の看板に「本日ブルースセッションデー開催」の手書きの張り紙を確認する。
店の外観は会社の上司に連れられて行くようなスナックそのもので、ローマ字で書かれている店名が、ママさんの名前で無いくらいしか違いは無かった。そんな事から僕は「小さな店、逆に高いかも」と少し不安になるものの、奥から小さく聴こえてくるBGMがまさに自分が聴いているブルースそのものであるのを確認し、最後の勇気を振り絞る。
再度、自分の財布をのぞき込み、もしかなり高額な請求をされたとしてもなんとかできるだけの金額が入っているのを確認し、いよいよ、そのBarの扉を開けた。
薄暗い店内は20人も入れば息苦しくなりそうな狭さで、唯一照明が当たっている3メートルもないほどのステージには、ドラムセットと数台のアンプが隙間なく並んでいる。事前にライブBarとしての届け出などはしていないらしいと聞いていたのもあるけれど、とにかく怪しい店というのが僕の第一印象だった。
まず入り口で店員さんらしい大学生っぽい男の子から「演奏するのか」「ただの見学か」を聞かれる事から始まった。演奏での参加を希望するなら目の前に置かれたノートに名前と自分の楽器の種類を記入する。
僕はここで「ブルースハープ、ヒロセ」と書く。テンホールズハーモニカとは書かかない。ここはブルースの専門店、ここではおそらくその呼び方の方が良いだろうから。
この段階で、まず1ドリンクを注文する。それはライブハウスなどと同じなのだけれど、これともう1ドリンクのためのチケットを受け取り、参加費と2ドリンク分の2500円を支払ったら、もうそれでおしまい。追加で飲みたければそのつどのキャッシュオンとなる。この仕組みのおかげで飲み逃げはできず、その後の出入りも自由という訳だ。
居酒屋の癖で「とりあえず生(ビール)」などと言いそうになるけれど、酒はやめておき、コーラを注文する。この頃の僕はもろもろ悩めば即コーラだった。
ドリンクはすぐに手渡され、僕は居酒屋くらいの金額でぼったくられる心配も無さそうだと、聞いていた通りの先払いシステムにやっと一安心をした。
ドリンクを片手に薄暗い店を奥へと進むとテーブルがいくつかあり、その中のひとつは誰も座っていなかったので、とりあえずそこに座る事にする。
テーブルの上にハーモニカがパンパンに詰まった布ケースを置くと机がグラグラと揺れ、座る椅子もギシギシと音を立てた。暗くてよくわからないけれど、おそらくあまり作りが良くないのだろう。ある程度は酒を飲む場には行ってはいたけれど、自分の経験の中でもかなりランクの低い店であるのは間違い無さそうだった。
イベントが始まるまでやる事もなく、暗闇に目を凝らしながらキョロキョロしている僕に、エレキギターを片手に暑苦しく話し掛けて来る人が現れる。
「よう!、来たね!!なっ、だから言っただろ、広瀬君。ここはおっさんしかいないんだよ。多分、今日も女の子なんて誰も来やしないよ!!どうするね?もう帰るかい?」
この店を紹介してくれたギタリストだった。「店で会おう」と言った通りだった。
僕はようやく知った顔に会え、ホッとしながら、笑って彼に大きく首を振った。女性がいないBarなんて、おごらされるなどの余計な出費を防ぎたい僕にとっては、まさに好都合なのだから。
僕は会社の同期同士の飲み会などではよく幹事にさせられていて、支払いのたび「私はおごりって事でよろしく」なんて言い出すタチの悪い女子社員にほとほと困り果てていた。足りない分を、自分が埋めさせられた事だって何度かあったほどだ。
ギタリストの彼は笑い混じりに僕に言う。
「まぁ、確かにむさ苦しい店だけどさ、演奏レベルは高いよ。ストイックだしね。腕を磨きたい君には、こういう店の方がいいんだろうな。まずはBarとかの雰囲気にも慣れておいた方が良いしね。とにかく、そこまでハープをガンガン吹けるんだから、今日はドーンと顔でも売ってくれよ!!」
いつもよりテンションが高く熱く語って来る彼に、とりあえず僕は自分の隣の席に「どうぞ」と手をやり相席を勧めたものの、彼はそれを断り、奥の自分の席らしいところへ戻って行った。僕は初めてだらけの連続で、できれば慣れた人に相席をして欲しかったのだけれど、これもまたBarでの振る舞い方なのだろうか。僕の頭の中の疑問は、無限に増えて続けて行くばかりだった。
やがて店に流れるBGMのブルースが少しずつ小さくなり、店内のステージのライトだけが残るさらなる暗闇になると、おごそかなムードの中、Barのブルースセッションイベントが幕を開けた。
ステージの中央に置かれたスタンドマイクを使って話すのは、エプロン姿のいかにも人畜無害そうな男の子で、入り口でノートに名前を書くよう説明してくれた店員さんだった。その部分だけを見ればまるで学園祭のようで、渋い大人の世界でもなんでもないのだけれど、どうやら彼がこのセッションデーの司会役という事のようだ。
慣れた調子で、ややコミカルに話し始める。
「え~、ジェントルマン、アンド、ジェントルマン。はいはい、今日も男ばかりですね。ありがとうございます!!それでは始めましょう。まず、最初のセットメンバーを読み上げますので、お名前を呼ばれた方は、演奏のご準備の方をお願いいたします。まず最初のメンバーはですね、っと。え~と、」
ふざけたノリでもさすがはBar、さりげない敬語は忘れない。ロック系のライブハウスのスタッフなら客へのタメぐちなんて当たり前、ヘタをすれば店長あたりから怒鳴られる事だってあるのだから。
一体何人の参加者がいるのかは解らないけれど、誰もが暗い店内に響く名前の羅列にソワソワとしているのが伝わって来る。
テーブルに座る僕に「ここ、いいですか?」と、知らない人が声を掛けて来る。僕は会釈をし、暗がりでわからないまでもできるだけ愛想良く振る舞う。どの席も当然のように相席となるようだ。
相手も会釈をしながら、隣に腰掛け、柔らかい口調で話し掛けて来る。
「混んでますね。あ、そちらはブルースハープですか?」
僕の方も答える。
「はい、ハープです。今日、初めて来たんです」
相手は笑顔で返す。
「あ、私も初めてなんです。私、ギターです。よろしくお願いします」
こんな感じで、名前までは言わず、まずは軽い挨拶程度。どの人も楽器を出しながら、チューニングなどの演奏準備を始めつつ、程良い会話は忘れない。これから共に演奏をするかもしれない仲なのだから。
すでにこの段階から、ステージ以外でのセッションは始まっているのだ。
つづく
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