131話 バーテン同士で①
初めてのジャズセッションへの参加から、一週間ほどが過ぎた。僕は結局誰にもあの日の出来事を話せないもどかしさと、一方的にやり込められた悔しさの中で、いつまでももがき苦しんでいた。
開店前の一人での仕込みの時間などは、その店が、自分が働く店とはそう遠く離れていないのもあって、(今頃、またあの店の連中は、誰かに高圧的に振る舞いながら、訳のわからない演奏をしているのだろうか)などと、つい想像をしてしまっていた。おまけに「おい、この間、ブルースハープ持って参加した奴、傑作だったよな。何もできないでやんの。ここら辺の店で働いてるんだろ?ここのマスターも、さすがにもう来るなって言ったらしいぜ。ざまぁないよな」なんて、ひとしきり自分の悪口で盛り上がっていたらどうしようと、あらぬ妄想をふくらませるまでになっていた。
店のセッション演奏が始まれば、眼の前でいつものようにブルースの熱いセッションが繰り広げられて行く。ジャズのそれとはまるで違い、誰もが演技じみているほど熱く振る舞い合い、共にセッション演奏を盛り上げようとする。店は当たり前のように沸き立ち、拍手や声援が飛び交っていた。
たまにホストバンドのメンバーから「広瀬さん、ハープで1曲どうよ?」なんて声を掛けられる事もあったけれど、僕はなんとなく忙しいフリをして、逃げるように断ってしまっていた。実のところちょっとした演奏にすら、恐怖を感じてしまっていたのだ。いや、もっと言えば、ハーモニカを吹く事自体に、もう自信が無くなっていたのかもしれない。
その時期は自分のライブ予定も空き気味で、気持ちを切り替えられるような機会も無いまま、ただ日々だけが過ぎて行き、いつまでも頭の中をジャズセッションでの失敗と、自分が言われたさげすみの言葉が、繰り返し駆け巡っていた。
けれどその翌週には、状況が変わっていた。僕は懲りもせずにまた、とあるジャズセッションをやっている店に顔を出す事を決意していたのだ。一旦冷静になって、あまりにも失礼過ぎたホストバンドや店長さん達の態度を振り返ってみると、さすがにあの店は「異常」だったのだろうと結論づける事ができ、また1からスタートし直すべきだろうと、自分の中で踏ん切りがつけられたのだ。結構なダメージではあったけれど、やはり大概の事は時間が解決してくれるのだろう。
加えて、そう決めたからにはなるべく間を開けない方が良いとも思えた。これ以上長い期間足踏みをしていると、また嫌だった出来事ばかりを思い出し、さすがにもう(自分にはジャズができなかったのだ)と、結論付けてしまいそうだったからだ。
そして、今度はジャズセッションへの再トライに関して、自分なりの作戦を練ってから臨む事にした。前回は、たまたま店の常連さんからチラシをもらったからというだけの無防備な状況だったので、行ってみなければ何もわからなかった。今度は、そんな成り行き任せのギャンブルは絶対にしない。しっかりと方針を立てて、情報を集め、そして前回の失敗を踏まえた上での、確実な動き方をするのだ。
昔から僕は、失敗をしても反省したり勉強せぬまま、次のチャレンジを行う事が多かったけれども、今回はそれなりに作戦だけはしっかり立ててみた。前回親切にしてもらった人の影響から、今度はジャズセッションのホストバンドを「ギタリストが仕切っている店」を探してみたのだ。黒ズクメという嫌な人物は、ひょっとしたら「ウッドベース奏者特有の問題」なのかもしれない。であれば、ギタリストなら僕は山ほど知っているし、たとえ分野が畑違いのジャズであっても、まだコミュニケーションを取れるはずだと考えたのだ。
そして、僕がジャズセッションへの参加の2軒目に決めたのは、名古屋近郊の繁華街でも歴史ある大型のジャズBarだった。
その店は、古い雑居ビルの階段を降りた地下にあり、店の看板を照らすライトが昭和のテイストを醸し出している。同じ地下フロアにはクラブやBarなど数軒の夜の店が並んでおり、古いビルにしては中の造りが小綺麗だった。それぞれの外壁やドアのデザインは大人の店としての落ち着きを感じさせ、ハイセンスな気配も漂わせていた。通路だけでも、いかにもジャズBarがありそうな空間ではないか。
「よし、ここだ。見つけたぞ。なかなか感じのいい店だ。どことなくブルースの方も似合いそうだし」
この時の僕は、緊張する事もなく、力みも全くなかった。それもそのはず、その日はセッションデーの開催日でもなく、普通にその店の「Bar営業」の日だったのだ。僕はまず楽器すら持たず、ただの下見に行ってみる事にしたのだった。
店内は広く、Barというよりギャング映画の中で出て来る古いキャバレーのようだった。余裕を持たせ並べているテーブルを詰めれば、50人以上は楽に入れるかもしれないという広さだ。カウンターは10人程が並べるくらいの長さで、とりあえず僕はその辺りへ立ち、店の様子を見渡した。すぐに、おそらくアルバイトであろう大学生のような若いバーテンさんが奥から登場し、出迎えてくれた。
「あっ、いらっしゃいませ。すみません、少々お待ち下さい。今、ご用意いたしますので」
慌ててBGMを入れ店内をやや暗めにする。開店して間もないという時間帯で、おそらく掃除や仕込みをしていた店員さんからすれば(こんなバタバタと忙しい時に!!しかもなんでライブイベントも何も無いようなこんな平日の、こんな早い時間に来やがるんだよ!!)と文句も言いたいところだろう。けれど、そんなタイミングを狙ったのは「あえて」の作戦からだった。
全てわかっていながらも、僕は白々しく言ってみる。
「いえいえ、僕は急いでないので、手が空いたらで良いですよ。すみませんね、まだお店、開いてませんでしたか?あれ?今日は、ライブとかはないのですか?」
当然、相手は聞いて来る。
「そうなんですよ、すみません。今日はBar営業の日でして。では、今日はどなたかのバンドがお目当てで?」
まぁ、そう聞くしかないだろう。そして僕はできるだけ自然に答える。
「いえいえ。ただ、ぶらっと来てみただけなんで。へぇ~、そう、ライブ無いんだ。じゃあ、どうするかな」
今度は少し大げさに(帰ろうか)と迷ってみせる。すると相手は多少控えめに聞いて来る。
「残念でしたね。よろしければですが、お飲み物だけでも、いかがでしょう?」
そして、僕は受け身な状態で応じる。
「じゃあ、せっかくなんで、コーヒーくらいは」
この段階で、楽しみにしていたライブも見られないのに、店員さんに言われたから仕方無しに注文をしたのだという受け身の状態が完成した訳だ。実のところ、これが僕の、しょうもない「ケチな作戦」だった。
僕もバーテンをしていたのでよく解っていた。ライブがないBar営業の日なんて、店員からしたらただの留守番みたいなものだ。ましてやオープンしたての時間なんて誰一人来ないのが当たり前。「ライブが無い」と知り、帰る可能性の高い相手を引き止められるなら、注文もそんなに強引には勧めないものだ。自分がそう考えるのだから、その店員的な思考は手に取るようにわかる。つまみも無くコーヒーだけの注文なんて、本来Barではかなり迷惑な客だけれど、この時間帯なら許してもらえそうなわがままだろう。とにかく、できるだけお金を使いたくない、それでいて情報だけは欲しいというこちらには持って来いの状況が完成したのだ。
僕は同業である事を隠している罪悪感もあり、表情がひきつるのだった。
つづく
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?