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27話 3つ目の謎

ブルースという音楽自体を聴く機会がないまま、僕は教則本の楽譜のページ以外を、何度も何度も、繰り返し読み込んでいた。
さまざまな事が書いてあるものの専門用語が多く、まだネットなどがない時代では調べようもなかった。そんな中、気なる言葉が出て来る。
「なんだろ、これ?セカンドポジション奏法?」
それはテンホールズハーモニカ特有の「ハーモニカKeyの選び方」の解説で、曲のKeyとハーモニカのKeyは、必ずしも同じではないという説明だった。
その中に、僕が知りたかった「ブルースのハーモニカKey選び」が説明されていたのだ。

「なになに、え~と、ブルースは曲のKeyがGの場合は、ハーモニカのKeyはCになる。吸う音が多くなるって?一体どういう事だろう?」
もちろんこの頃は、音楽的な理屈がまるでわからなかった。そこには早見表のようなものが載っていて、数学の授業で習う公式のようにただ機械的に覚えるしかなさそうだった。
「という事は、Q君がブルースだって言ってた曲のKeyはEだったから、ハーモニカのKeyはAになるって事か。AのKeyならもう持ってるから、それの吸う音を多めにすれば、音が合いやすいって訳かぁ」

翌日の放課後、置きギターのある学校の空き部屋には、すでに数人が集まっていて、いつの間にか2本に増えたギターで、Q君を中心に例の「ジャッカ、ジャッカ」を延々と繰り返していた。どうやらこれがブルースというものなんだと、わからないなりにも受け入れてみる。結局それだけが、僕が聴ける唯一のブルースなのだから。
「Eだよ、広瀬。吹いてみなよ」すぐにQ君が誘って来る。僕はEと聞いて、教則本にあったようにAのKeyを選んで吹いてみる。最初はちょっと違うような気がして(あっ、そうか、吸うんだった!)と思い出し、今度はがむしゃらにただ吸ってみた。

すると、音は驚くほど見事に合い、なんだかとても上手く演奏できているように感じる。
ハーモニカという楽器は吹いて吸っての繰り返しなので「とにかく吸うだけ」というのに強い違和感が残ったけれど、まずは我慢して、ただただがむしゃらに吸いまくり続ける。
Aのハーモニカの「ボォ~」という音は、一番音が低いGに近いKeyだったので、はっきりとした音は出しづらいものの、佐野元春の「ハートビート」の丸暗記練習で日々吹き込んでいたので、使いやすい状態にまで仕上がっていてベンドも楽々とできた。

すると驚く事が起こる。ベンドがいつもより格好良い印象で響くのだ。長渕 剛がやるような悲しい感じではなく、なんとなくだけれど「自分がケンカが強い男になったような気分」になるのだ。それは実に爽快で、僕は何度となくベンドを繰り返してみた。

不思議と、ベンドは曲のどの場所でもそれぞれに良い感じで合っていて、僕はその事に浮かれまくり、どんどん自由に吹き、いやもとい、吸い続けた。
適当にやっても上手く聴こえる便利な奏法で、滅多に人を褒めないQ君でさえ、そのサウンドには歓声を上げ「おお、いきなり進化したね!!」と言ったほどだった。
それが、テンホールズハーモニカの王道「セカンドポジション奏法」だったのだ。

この時、僕がうまく説明できなかった音の魅力は「ブルージー」というものだった。ケンカが強くなったようなというのは、いわるゆブルースが持つ男臭い「危険なフィーリング」といったところだろう。
「どの場所でもベンドが合う」というのも偶然ではなく「ブルーノートスケール」という音楽理論で、実は全て説明がつく事だった。

ワイワイとした子供っぽい集まりは、僕のハーモニカの進化で、なんだか少しだけ大人っぽいものに感じられ、みんなは口々に「シブい」を連発し、大人がするような苦味を味わう時の表情をしてみせる。
そして僕は、密かにこの進化の先を見据え、鼻血が吹き出さんばかりの興奮をしていた。
僕の「3つの謎」の答えが、たった今、偶然にもこの場で出揃ったのだ。

一刻を争うように急いで帰宅する。しばらく触ってなかった「ある物」を使うために。
それはかつて通販で購入した「ハーモニカ専用マイク」だった。
僕が「ヒューイ・ルイス」のハーモニカの魅力にしびれつつも、それをマネできなかったのは「3つの謎」のせいだった。
1つ目は楽器が「小さなテンホールズハーモニカ」だった事。これを長渕 剛の出演するテレビドラマで知った。
2つ目はマイクを使ったエレクトリックハーモニカのサウンドだった事。これは2つ上の兄が買って来たアンプによって、すでに実験済みだった。
最後の3つ目が、今日発見した「セカンドポジション奏法」で吹いていた事。ここでやっと、今までの自分の吹き方とヒューイ・ルイスとの違いを明確に理解できたのだ。
この「3つの謎」が解けた今、僕は4年という月日を掛けてあの憧れの音を出せる段階に来たのだ。突然の幸運に僕は身震いしていた。そして教則本の存在に、心から感謝をするのだった。

けれども、この「3つの謎」を解明しつつも、悲しいかな、僕はまだしばらくはヒューイ・ルイスのようなテンホールズサウンドを味わう事はできないまま高校生活を送る。

「無い!!無いよ!!無いって!!!どこ!?どこだよ!?」
家に帰るやいなや部屋に飛び込んだ僕は、狂ったように目に入った箱といういう箱を空けていた。足元には全ての箱がフタが開いた状態で散乱している。それはまるで刑事ドラマの証拠探しのようだった。
僕はヘナヘナと座り込む。額から汗をしたたらせ、荒い息もそのままにしていた。そして、いよいよ物理的な捜索を諦め、今度は自分の記憶の中で旅をする。

そう、そうそれは去年の年末に近づく頃の事だった。僕は漫画を描く以外にも、プラモ作りや木の工作なんかも気まぐれにやっていたので、自分の部屋以外にもそれらの作業をいつもやりっぱなしにしたままだった。特に接着剤や塗料の関係はシンナーの臭いがあるので、風通しの良い窓際に置き、臭いを外に出しながら乾かしていたのだ。
当然、臭いがキツいガラクタなんて、誰にとっても厄介な物だろう。子供なら誰もが同じ様に親から叱られ、こう言われるのだ。「片付けなければ捨てる」と。そしてその期限が、年末の大掃除までだった。

こうして僕は、次々と受け入れる作業に入った。もう、僕の部屋には、いや、この世界には、僕のハーモニカマイクは無いのだと。
お小遣いを溜めて買うのは難しいだろう、かと言って貯金もないし、お年玉を貰うまでにはまだかなりある。つまり、もう手に入れ直す事も不可能だ。
なら思い切って「どうして捨てたんだよ!?、買い直してくれよ!!」というのはどうだろう?いや、片付けなかった罰のようなものなのだから、これは無理だ。むしろそれを言う事で、「なんでそんな高額なものを持っていたんだ?」「どこで買ったんだ?」「なに?通販だ?」「そのお金は?」「お年玉をそんな訳のわからないものに使ったのか?」なんて流れになったら、どこまでさかのぼって怒られるか解ったもんじゃないぞ。とんでもない2次災害もいいところだ。ましてや「マイク?どうやって音を出したんだ?」なんて事まで聞かれたら、今度は兄貴から「俺のアンプを使ったのか?」という3次災害だってありえるのだ。

僕は、かつて一度だけ出す事ができたあのハーモニカマイクを通したエレクトリックハーモニカサウンドを思い出し、頭の中だけで、セカンドポジション奏法でそれをやっている自分を想像しながら、部屋に散らばった空き箱を片付け始めるのだった。

その時頭の中に響いていた想像の中のエレクトリックハーモニカサウンドを、実際に自分が出せるようになるまでには、それから1年以上の月日が経ってからの事になる。

つづく


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