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23話 長いハーモニカソロを覚える

Q君は僕のためにテレビの前にラジカセを置き、ライブビデオを流して、自宅で練習するためのテープを録音してくれた。アナログで録音するため、長時間の息を殺しての沈黙に、それだけでクタクタになった。

テープは持ち帰り用として確保し、すぐに「僕らなりの」楽譜作りの方に入る。
僕は佐野元春のハーモニカの音から「ベンドの音の位置」を基準に、耳コピ(聞いて暗記)を始めて行く。
Q君もビデオを流しながら、自分も一緒にギターを弾き始める。それは2人で並んでやる、別々の個人作業みたいなものだった。

ライブ版「ハートビート」のハーモニカソロはとてつもなく長く、ただでさえ長目のスローバラード曲なのに、ソロの部分が歌の4コーラス(歌のメロディーのひとかたまり=1コーラス)分もあった。今まで練習して来た長渕 剛のハーモニカソロの長さなら20回分も吹くほどの長さで、そこだけでまるで別の1曲のようだった。
その頃の僕は全く楽譜が読めないし、長いメロディーを覚える土壌もなかった。テンホールズハーモニカの性質上、出番はだいたい1コーラス分、短い場合は4小節なんていう短さの曲すらあったくらいなので、苦労して曲を覚える必要がなかったのだ。

Q君は歌とギターなので、その分担比率を考えると、僕は「With 広瀬」と表記されても仕方がないほどだ。そんな中にあって、このライブ版「ハートビート」だけはまさにハーモニカソロのためにあるような曲なので、僕はこの曲の丸暗記に全力を注いだ。
さて、問題はその長さをどう暗記するかだ。ギター・ソロを弾いたことのない人に、イーグルスの名曲「ホテル・カルフォルニア」のあの長いギター・ソロを全部通して覚えさせるようなものだ。その上、このハーモニカ・ソロはライブらしい音の乱れがあり、耳コピにはあまり向いていなかった。

たどたどしく始まりつつも、2コーラス目、3コーラス目と徐々にエキサイトして荒っぽく乱れ出し、最後の4コーラス目はかなりのラフプレイで、音も力強く、かなり強めなベンドも掛かっていた。あまりの難解さに耳コピをあきらめ、紙にメモし始める。

「えーと、♫パーパララー、♫パラパーパララーだよね?そうかなW君?」
「違うよ、♫パーパララーの次は♪パー、パラララーだよ」
Q君は耳が良く、音感にはかなりの精度がありそうだった。
「♫プワワァ~ン、のところは、何なの?これ、佐野元春が間違えてるの?」
今度はQ君が尋ねる。
「違うよ、それがベンドの音なんだよ。ポワ~ンみたいな感じで、強く吸うんだよ」
僕はハーモニカの話なので自慢気に答える。
「♫パラララー」などと書かれたオリジナルの「カタカナ楽譜」の下には、それに対応するハーモニカの穴番号と吹き吸い、それにベンドの位置のメモがびっしりと連なる。2人掛かりで仕上げたその資料は数ページにも及んだ。

買ったばかりで初めて鳴らすAのKeyのハーモニカの響きは、とても新鮮なものだった。どことなく温かみのある音色で、曲のせいもあって、自分が主人公っぽい気分にもなれた。
ベンドの音もGのKeyよりはやや出しやすく、全体的に吹きやすかった。僕はテンホールズ自体にKeyのような音の高さとはまた別に、音の出やすさなどの個体差があるのを初めて知った。

同じAのKeyで吹いている自分は、確実に今までよりは、佐野元春の関係者であるかのような錯覚をする。映像を見つめ、ふらりふらりと揺れる動きまで合わせて行くと、そのライブ演奏で「こんな事を感じていたんじゃないか」というフィーリングが、自分の内側から溢れて来る気がした。

気がつくと、僕はかなりその音に酔いしれていて、自分だけが影のあるイケメンになったような気分になり、うっとりとした恍惚の表情を浮かべていた。あまりに入り込み、その様をうかつにもQ君に見られてしまう。
「お~、佐野元春ぅ~。浸ってんじゃん、広瀬」
からかわれ、顔は火が出るほどに火照る。確かに僕はたっぷりと浸っていた。人の家にいるのを忘れてしまうほどに。

その日は最初の方だけをQ君のギターと合わせてみて、残りは家に帰ってからの僕だけの自主練習となった。
とにかくまずはこの数ページ分のメモの内容を全部吹けるようになって、最終的には暗記するしかないのだ。
もちろん練習はそれだけではない。大変なのは「人と合わせる」方なのだ。

こうして僕は、いよいよバンドのような「集団行動」ならではの苦痛を知ることになる。

つづく


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